連続テレビ小説『べっぴん』
働くママのお話だから、いつも共感しながら見ている。
2週間ほど前の回で、15歳になった娘のさくらちゃんが、ずっと
いい子で優等生だったのに、両親不在の家にずっといる淋しさを実は
ひそかに堪えていて、誘われてナイトクラブに行ったのをきっかけに
親からみれば「不良行為」のような世界に足を踏み入れてしまう。
ナイトクラブに慌てて迎えに行った母親のすみれに
さくらちゃんは
「勝手やわ。いつも忙しい忙しいって好きなことしておらんくせに。」
と言って(一字一句この通りではありません)
すみれは「好きなことしてるわけやない。仕事や。」
さくら「好きなこと仕事にしてるんでしょ!それなら自分のためやない!」
すみれ「...............」
さくら「私だって好きで1人で家におるわけやない!」
父親が仕事しているのは”家族のため”
そんなこと、誰も言わなくてもわかる。
だけど、母親が子供を放って仕事していると”自分のため”と思われる。
これってやっぱり、神様が女性に命じた役割は、
生計をたてるための仕事をすることではなくて、
子育てと家事だからなんだよね。
働くママの中には、旦那が働かない人で仕方なく子供を養うために
働いている人もいると思うけれど
たいていは、旦那1人の給料では”足りない” ”生活水準を保ちたい或は
あげたい” ”子供をいい学校に行かせたり習い事をさせるための
お金はいくらあってもいい”
という、欲
または
生きがい、やりがいのため
社会と関わるため
自己実現のため
仕事が好きだから
という、”自分のため”
などの理由だろう。
私も、仕事が好きなので
子どもを産んでも専業主婦になる気はない。
仕事したい。
やりたいことはたくさんある。
能力だってある。
そう思って、産んだ後も、今も
葛藤している。
そりゃあお金はたくさんあった方がいいし
家で子どもとだけ過ごすより
外に出たり仕事を持って外部の人と関わる方が
刺激的で気分転換にもなる。
充実しているような気になる。
その一方で
母親不在の家に1人でいる子供の心は、
満たされない思いだけが募っていく。
『べっぴんさん』でも
父親と娘が食卓についていて、母親がいないとき
娘の表情は暗い。
母は早朝出勤したり、夜も遅くて
朝ご飯も晩ごはんも、一緒にいない。
両親ともにいないのも当然子供は淋しいのだけど
父親がいても、母親がいなければ、やっぱり
子どもの淋しさは消せない。
「お母さんじゃなきゃ、ダメなんだよ」
人間は、10月10日おなかにいた、
一心同体だった母親に、自分の存在を認められて
最優先されて、初めて自分がこの世界に生まれて
生きていていいんだ、と確認できる。
それは父親でも足りなくて
祖父母でも足りなくて
当然保母さんや先生なんかの他人じゃあ、無理なんだよ。
誰でもいいから誰か、そばにいて話を聞いてくれたら
一緒にごはんを食べてくれたら
その時は一瞬淋しさを忘れるかもしれないけれど
自己肯定はできない。
自分の存在を肯定できないままに育った子供は
思春期や青年期に、必ず壊れる。
悪いことするようになったり
自分や他人の命を軽んじたような言動をするようになったり
精神を病んだり
暴力的になったり
生まれてきた命に
「あなたは望まれてここに生まれて来たの。
あなたはここにいていい人間なんだよ。」
そう示してあげられるのは、世界でたった一人
母親だけ・・・・
他の誰にも、代われない。
父親にさえも。
我が子の命を、認める。
それ以上に優先しなければならない仕事が、あるかな?
私が妊娠する前、
子どもを産むなんて考えもしていなかった頃
青森の神様、木村先生が私をみるなりおっしゃった
衝撃的な一言
「あんた、子育て失敗するよ」
当時はこの言葉の意味が分からず
子どもを産んでからはこの言葉をケンカの時に夫に
私を攻撃するネタに使われ、
何度も強く思う言葉が現実化する、というのがあるから
こんなことを言った木村先生を恨めしく思うこともあった。
でも、子どもをもった今、少し分かる気がする。
木村先生は、顔をみればその人の性格や
日々の言動も分かるから、
私が正義だ義務だと正論を振りかざして
そばにいる心ある人を傷つけていることが、一瞬で分かったんだと思う。
私は、仕事が好きな人間だから
仕事しようとするとどうしても家族にしわ寄せが
いってしまう。
パソコンを開ければ子供が寄って来て触るから
できない。
寝ている間に、と思えば夫に呼ばれたりしてできない。
思う時に思うことができないイライラを
夫や子供にぶつけてしまう。
自由に使える時間がほとんどない中で
好きな仕事をするのも物理的に難しいのだけれど
母親が仕事するとなるとどうしても誰かに子供を預けることになる。
”人に預けられた” 子は何を思うか。
「お母さんは私なんかどうでもいいんだ」
「私より仕事が好きなんだね」
仕事は、世の中のためになっている。
誰かが喜んでいる。
その一方で、自分の子どもが、泣いている。
お母さんには
世の中よりも、よその子よりも、
あなたが一番大切なのよ、と言ってほしい。
朝も昼も夜も
一緒にごはんを食べて
話を聞いてほしい。
お金やおもちゃがたくさんあることの何倍も
心が育つ、
母親がただそばにいること。
ちゃんと、見守っていること。
にははっきりと、神が定めた役割として
女性は子供を産み育て、家事をするのが仕事です
とある。
生計をたてる、お金を稼ぐ仕事は男性に命じられたことです
神が定めた役割に背くと
無理が生じる。
みんながしんどくて、不幸になる。
みんないろいろ事情があるから
仕方なく働きに出なきゃいけない母親は
無理があることを認識して
子どもと夫の心のケアをすることも、忘れないようにしないと
いけない。
何より、自分が一番しんどいよ。
私の父は
母の完璧主義、頑張り屋なのを知っていたから
私たち姉妹がまだ幼い頃、仕事しようか迷っていた母に
「子どもが小さいうちは仕事するな。おまえは仕事となると
必死になるからな。子どもが淋しい思いする。
仕事は子育てが終わってからでもできるけど子育ては取返しがつかんからな。
俺の給料だけで、やれんことはないやろ。」
そう、母に言ったそうだ。
だから私は、母親不在で淋しいと思ったことはない。
お母さんは、いつも、そばにいた。
手作りのおやつがあった。
手料理でみんなで食卓を囲んだ。
休みの日は、家族で出かけた。
子どもの頃の思い出に
母の笑顔がいつもあること。
お母さんが、家にいて
幸せそうであること。
それが、家族を幸せにし
そして世の中のためにもなる。
私は今まさに
仕事と子育ての両立の葛藤のさなかにいる。
優先すべきことを、間違えないようにしたい。
家庭を壊してしまったら、何のための仕事か
分からなくなるから。