自分の親が毒親だと気づいたところで、
親から離れるのはものすごく難しい。
長年にわたって巧妙に洗脳され支配されてきた
のだから、その洗脳を自ら解き、逃げ出すのは
監獄から抜け出すような難しさがあると思う。
私は自分の親が過干渉・支配タイプの毒親だと
明確に気づいてから2年くらい経つけど
一体どうやって離れたらいいのか、よくわからなかった。
この2年間、なんでも直球でモノを言う私は
カウンセラーや占い師に言われたこと
本に書いてあったこと、自分が分かったこと全部
両親にもそのままズバッと伝えてきた。
「お母さんの不機嫌は私だけに向いていた。
それが辛かった。」
「私が自分の意見を言ったら全部”反抗”と捉えるのはおかしいよ!
もう大人としてお母さんとは違う”意見・意思”を伝えている
だけなのに。」
時には怒りながら
時には泣きながら
時には冷静に淡々と
言葉で、文章で
私はなんとか分かってほしくて
必死に魂を削りながら面と向かって
訴えてきた。
でも・・・
やっぱり親は変わらない。
謝罪もない。
母は、そして父も
自分たちの子育てに間違いがあったとは
今更絶対に認められないし
何より被支配者である私が
一人前なことを言うのが許せない。
その思いだけだから。
うちの親は子供の心よりも
必死で自分の心を守ろうとする。
「明日の約束」でひなたさんは
最後に母親に面と向かって思いを伝えた。
これはとてもとても苦しいこと。
ひなたが言っていたように
愛情だって分かってるから。
自分を産んだ人を嫌いになったら
自分を嫌いになるのと同じことだから。
でも、、、
私は、お母さんといたら苦しい。
お母さんの言葉にいちいち傷ついて
思いは分かってもらえなくて
お母さんだから、大好きでいたかったけど
でも、もう無理なんだよ。
私は、お母さんの所有物じゃない。
もう、へその緒は繋がっていない。
お母さんのためだけに、生きることはできない。
私は、私のために生きていきます。
ドラマのエンディングを真似することにした。
あと3ヶ月。
娘の保育園入園と同時に私は親の家を出る。
その頃には夫とも離婚が成立している予定。
夫と離婚して、お母さんとも離婚する。
私が実家にいることが気に入らない夫にもそう伝えた。
「あなたと離婚して、親とも離婚するから。」
私は20歳で最初にこの家を出てから
何度も出入りを繰り返した。
彼氏と別れては戻り
仕事をやめては戻り
夫と喧嘩しては戻り
出産で戻り
今は離婚準備中で、戻っている。
妹は大学入学時に出てから
今まで一度も戻ってきていない。
年に2回の数日間の帰省だけ。
私は、”実家に住む”という意味で
戻ってきている。
いつも1年が限界でまた私は出て行く。
それでも何度も戻ってしまったのは
今度こそお母さんに認められたい、
優しくされたい、そんな甘い期待があったからだろう。
親に対する満たされない思いが
どこかのタイミングで満たされるかもしれない。
そんな期待が潜在意識にあったのだと思う。
でも、今回ばかりは傷つきすぎた。
いい加減、分かった。
私の気持ちが理解される日は永遠に来ない。
被支配者だった私が
本当の意味で1人の人間として認められ
褒められ、応援されることはないのだと。
親にとって私はいつまでも奴隷で、自分の一部で、
良くてもペットでなくてはいけない。
勝手な行動をしたり
親の理解できない世界で親と違う生き方で
幸せになることなど許されない。
母が、そして父までも
私のことをそんな風に見ているということが
産後2年の直接対決ではっきりと疑いようもなく
分かってしまったから
もう、期待することはここでやめにしないと
いけないみたいだ。
多くの本にも書いてあったし
毒親カウンセリングでも言われた。
「離れるしかない」
「距離をとる以外にあなたの心を守る方法はない」
だから今度家を出るときは
私は今までの私とは違う。
今までのように
彼氏や夫という男への甘えもない。
私は2歳の娘を1人で育てる覚悟で
夫と別れ、そして親の家を出る。
私は母になった。
修羅場を経験して多くを学んで
賢くなったし強くなった。
これからもっともっと賢く強く生きていかなければならない。
未成年の娘を守れるのは、私1人だから。
私の娘時代は終わり
ここから私は母親として生きる。
3月に家を出るとき
『明日の約束』というタイトルをつけた
大学ノートを置いて出ることに決めた。
しばらく同じ市内には住むので
母が土足で私と娘の生活に介入して来ないように
ビシッと約束事を書く。
ひなたが書いたように
嬉しかったことや感謝していることも書く。
そして
「私はお母さんとは全然違う生き方で、私と娘の幸せだけを
考えて生きていきます。」
そう書こうと考えている。