修羅場だった2017年が今日で終わる。
この1年は、私の40年の人生で一番辛かった。
2017年の年明けは夫と子供と3人で夫の母の故郷の国に
いたけれど、ちょうどその12月の半ばから夫が突然
ギャンブルをやり出し、
目を見開いてスマホで賭けの
行方を追っている夫と同じ部屋にいながらバラバラの年越しを過ごした。
昼間から睡眠薬をのみ、変な時間に寝ては夜中スマホでギャンブル
したりフェイスブックのコメント返しに忙しくしてみたり。
夫の行動について私が何か言おうものなら
理性なくブチギレて怒鳴りながら家中のものを投げて
破壊し、暴れる。
そんな夫を子供に見せたくなくて
心臓ばくばくさせながら夜中にホテルに逃げたこともしばしば。
私と子供の睡眠も夜起きている夫に妨害され
子育てが平穏にできるような状態ではなかった。
どんどんめちゃくちゃになっていく夫の行動と
自暴自棄な態度に私史上最高の怒りの感情が出てきて
事件になるところだった。
3月には完全に別居し、私は子供と2人で実家に帰ったけれど
母は毒親なので帰ってきてあ〜助かった、幸せ〜になど
なるはずもなく
私は夫が目を覚ましてまた3人家族で異国の地で暮らす日を
諦めきれないまま、実家で娘の立場に戻らされ、親に支配干渉されながらの
子育て、さらに両親が夫を私以上に敵視し私の気持ちは軽視されると
いう息の詰まる状況。
1歳児の子育て、毒親との心理的争い、意味不明な言動を繰り返す
夫との離婚協議、義理両親への説明、弁護士相談、離婚調停の
申し立て、そんなギスギスした事柄満載の中、夫のギャンブルの支払いを
一部建て替え、貯金ゼロになり無職だったために在宅ワークを始めて
隙間時間に仕事もしていった。
夫もダメなら親もダメ。
でもお金もなくなって1歳の子供がいて他に行くところもなく
八方塞がり。
夫といれば命の危険さえも感じた。
実家にいれば少なくとも衣食住事足りて安心して眠ることはできる。
心理的な葛藤だけ。
お寺に駆け込むとかも考えたけど
私は実家を選んだ。
世の中にはこんなにも辛いことがあるのか、と初めて知った。
20代の頃、何かに思いつめて沈んでいた私に
「いやいや、全然大丈夫だよ!もっとしんどいことってあるから!」
と言ってやりたいくらいだ。
離婚というのは、人生で誰にでも起こりうる出来事の中で
辛いこと第2位だそうだ。(精神科の待合室に貼ってあった統計表より)
1位は配偶者の死だそうだけど、今年の私は
その死さえも願っていた。
でも「だんなデスノート」がアマゾン1位になるくらいだから
特に珍しいことでもないのかも。
だけど、この2017年が終わるこの12月に
私ははっきりと気づいた。
タロット占いでも出た。何度も。
私が今一番離れなければならないのは
夫ではない。
親だ!!!!
私は夫と離婚協議している時
「あなたと離婚してからお母さんとも離婚するから」
そう言ったけれど
順番が逆だった。
まず親から離れるのが先だった。
色々思い返せば思い返すほど
一番の罪人は母だ・・・・・
辛いけどもう気づいてしまったから。
妊娠報告した時の電話でまだ夫とラブラブだった私に
「それやったらもう離婚してもええよ〜。しんどかったら
もう、あんたと子供と2人だけでこっち帰ってきたら・・・・」
と言った母。
魔女の呪いは強力で、ラブラブだったのに
なぜかあれよあれよとその言葉通りになっていった。
母は、私や子供の幸せを考えていたのではなく
ただただ、自分の幸せのためだけだったのに。
母が娘を支配下に戻したいから。
孫というペットを世話することで自分の存在価値を
示したいから。
生きがいを持ちたいから。
周囲に”お孫さんと一緒に暮らせる幸せなおばあちゃん、
元気なおばあちゃん”と思われたいから。
私の夫の悪口を言い、
その人の子供と遊んできゃっきゃと笑っている
魔女の不自然な笑い声を聞いていると
またしても呪いにかかってしまった自分に
胸がぎゅーっと締め付けられる。
里帰り出産していて
新生児だった娘を初めてお風呂に入れる時
「僕も参加したい」と浴室に入ろうとした夫を
ドアをピシャン!と閉めて追い出した母。
男には分からないことだから。
男は赤ちゃんの世話では何も役に立たんから。
そう言ってことごとく夫の参加を拒んだ。
思い返せば
そんな母の態度が夫を傷つけ、育児参加のやる気と
チャンスを奪い、もともと低かった夫の自己肯定感を
粉々にしたのかもしれない。
そうやって母は、たった1つしかない
”子の父親””夫”の椅子を奪い取った。
休日外に出かけると
パパママ子供の3人の姿をよく見る。
なのに私と一緒にいるのは
ばばと子供。時々じいじ。
2歳になった子の手を引く。
右手を私、左手をパパ、、、ではなくババ。
何で、パパじゃないんだろう。
この光景を望んでいたのは
世界でただ1人、母だけだ。
シワに埋もれた目をギラギラさせて孫と娘を
見つめる母の顔は、執着に取り憑かれた魔女の姿で
私はもう否定できない。
これは、私の離婚は、子供と出戻ってくることは
疑いようもなくこの人が、心から望んだことなんだ・・・
私も夫も、感受性が豊かで優しい人間だから
親に自立させてもらえなかったのに誰よりもそんな自分を
責め親孝行することばかりを考えているような、
健気な人間だから
まんまと呪いにかかってしまったのだ。
夫と私と子供と3人がしっかり自立して遠い場所で
幸せに暮らしていたなら
母には入る隙がない。
他人である夫と夫の親に遠慮してさほど干渉もできないし
たまにしか孫と会えない。
だけどその夫がいなくなり
娘がシングルマザーになるなら
きっと娘は私を頼ってくる。
金銭的にも援助して”あげる”ことができるし
孫の面倒もたっぷりみて”あげる”ことができる。
同じ家、あるいは近くに暮らして
手出し口出しし放題。
母が強く強く望んでいたのは、そういう未来だった。
危うく、そのまんま望みを叶えてあげてしまうところだった。
離婚調停までしたけど、夫が来なかったので不調に終わった。
母は早く裁判と急かすけれど、私はここで一旦立ち止まることにした。
別居のまま、自分と夫に猶予を与えることにした。
最低1年。最長3年。
私たちには1人で冷静に思考と感情を整理する時間と空間が
必要だし、仕事をして大人として子供を養育できる環境を
しっかりと自力で作らなければならない。
毒親が入り込む隙がないように、自分の城を自分の力で
自分の望むように築き上げる必要がある。
大混乱の2017年には、そんな余裕は到底なかったから
ちょっと猶予を与える。
2018年。
私は夫よりまずこの魔女の呪いを解くことを最優先にして
心の成人式を終える。
もうこれ以上母の望みを叶えるために自分を犠牲にするのを
やめる。
1歳の子供を抱えての離婚協議は
辛すぎた。傷つきすぎた。
こんな傷を娘に負わせてもなお、
自分は良い母親だと信じて反省もしない母のために
親孝行しようなんて思いは木っ端微塵に砕け散った。
私は母に対して冷酷になる。
自分と子供を守るために。
自分の選択を後悔しないために。
毒リンゴは喉で引っかかっている。
まだ飲み込んでいない。
だから、吐き出すことにした。