母は全てにおいて自分が先に気づいて先にやりたい。
出かける時の持ち物チェック。
今はさすがに私自身の持ち物についてあれこれ
言わなくなったけれど、その代わりに私の娘のものを
私がちゃんと準備したか毎回毎回確認する。
毎日のことなのに
毎日毎日
「りんごちゃんの靴下!コート!」
だからもう出してあるってば・・・
私がとっくに玄関先に用意してあるのに
それを見ながらでさえも母は自分が気づいたかのように
決まって「りんごちゃんの靴下!コート!」と大声で言う。
そして、自分の持ち物を忘れる。
もう歳だからね。
65を過ぎてから母もやはり脳の老化が進んでいて
色々忘れるし気づくのも遅くなった。
母は自分の持ち物を忘れるほどに、
娘が用意するべき持ち物の確認を最優先にしたい。
気づくのが遅くなったという老化は母が最も
受け入れられないことのようで
最近はオウムのように私の真似をするようになった。
それも無自覚に。
私が気づいてうっかり独り言を言う。
「あ、りんごのジュース買っとかないと」
「あ、りんごのジュース買わないとね!」
母は、私がたった今呟いたこととそっくり同じセリフを
さも今自分が気づいたかのような口調で言う。
私「りんごちゃん、オムツ替えてからお菓子食べようね!」
母「りんごちゃん、オムツ替えてからお菓子食べようね!」
あるいは私が独り言を言わないでも
動きをみて母はそれを先に気づいたかのような口調で言う。
私が荷物を持とうと手を伸ばす。
母「ゆきちゃんその荷物持って!」
私がりんごにエプロンをつけようとしている。
母「りんごにエプロンつけてあげて!」
え〜っと・・・・
今、やってるの、見えませんか〜?
なんでもうやっていることを、やろうと手を動かしていることを
まだ気づいていないみたいにあえて指示するんですかあ?
あなたより私の方が先に気づいているんですけど〜。
もう全てにおいて、老化した母よりも私の方が先に
気づく。
母が若くて私が子供だった頃はもちろんいつも母が先だった
のだろうけれど、年月がそれを逆にしたんだよ。
母には絶対に受け入れられないこと。
2歳のりんごはなんでも自分でやりたがるようになり
すぐに手を出そうとするばあばに
「ばあば、いや!」を連呼している。
落ちたものを拾おうとするときに
りんごと母の手が同時に伸びて
でも2歳のりんごの方が動きが早かった。
子どもの一番大事なお仕事は
「発達すること」
子どもは放っておいたら日常生活の色々なことの
練習を喜んで進んでやる。
過干渉の大人がそれをさせないから仕方ないから
遊ぶらしい。
食べ終わった食器を運ぶ。
こぼれたジュースをティッシュや布巾で拭く。
ゴミをコロコロで取る。
洗濯物をカゴに持っていく。
2歳くらいになるとこういったことが
おもちゃで遊ぶよりも楽しいらしい。
それにこれは人の成長に必要不可欠なことで
自然な行為なのだ。
ばあばの手がいちいち伸びてくるのを
りんごは「ばあば嫌!」とはねのけて
自分でやる。
私がりんごくらいの頃、ちゃんと
「ママ嫌!」と言えていたのだろうか?
多分、言えなかった。
私にとってこの人は、母親だったから。
圧倒的な支配力をもつ、母親だったから。
そして発達の過程を全部母に邪魔されてきたんだと
思う。
りんごにとってこの人は1つ距離がある
おばあちゃんと言う存在で、彼女はおばあちゃんの顔色よりも
母親である私の顔色を見ている。
私はこの人を不機嫌にさせたら生きていけないと思っていた
けれど、りんごはこの人を不機嫌にさせてもお母ちゃんが
上機嫌なら生きていけると分かっている。
だから影響は私よりも少ないんだと思う。
普通子どもは、親に先回りされたら
太刀打ちできない。
親は自分よりも体が大きく手が長くて
高いところや遠いところのものに先に届くし
紐だって素早く結べる。
言葉だって達者で、本当は子どもの方が先に
気づいていることでも言葉にできないために
親に先に言われてしまう。
未成年の子どもは
親に先回りされたらされるがままになるしかない。
思春期やあるいは大人になってから
「自分でやるから!」などと言うと
決まって母は不機嫌になった。
今でもだ。
40歳になった私が
「そんなの自分でやるから置いといて」などと
言おうものなら
まるで人格が否定されたかのような顔をして
「そう」と立ち去る。
こんな風に過干渉の親をもつ子どもは
自分でやろうとするとお母さんが不機嫌になる。
自分でやりたいって言っちゃダメなんだ。
自分でできるのはお母さんを怒らせることなんだ。
そう思って発達しようとする本能と
お母さんの顔色の間で苦しむ。
「親は子の成長が何より嬉しいんだよ」
誰が言った??
そうじゃない親は、ゴマンといるのだ。
「お前はいつだってお母さんの手助けがいるんだよ」
「お母さんよりできるなんて思っちゃいけないよ」
「お母さんがいないと何もまともにできないんだから」
「お母さんの言う通りにしておけば間違いないからね」
いや間違いしかねえよ!!
今の私は、こんな風に突っ込むこともできるけれど
未成年だった私にはそんなこと、疑えるはずもなかった。
生き物はみな
親元離れて自分の力で生きていかなければ
生き残れない。
生まれてすぐからもう自立への準備は始まっていて
親から離れるのが遅い人間でさえも
1歳半にもなればもう自立への意思ははっきりと
見え始める。
それなのにこの毒母は
私の健全な発達を、自分の存在価値を守りたいがために
ことごとく阻害してきたんだ・・・・
子どもの発達を邪魔する親。
残念ながらすごく多いらしい。
「子が成長しないことが何より嬉しいんだよ」
これが彼らの潜在意識だ。
なぜなら子どもは彼らにとって手放したくない
所有物で、自分の存在価値を証明するものだから。
巣立ってもらっちゃ困るんだよな〜って。
私がもし政治家になったら
「過干渉」を児童虐待のカテゴリーに入れて
刑務所行きの犯罪にしたいと思う。