子の心親知らず

実の母親に家庭を壊された毒親育ちのシングルマザーが親子のあり方を考察するブログ。

自分を必要としてもらうために姉妹の仲を邪魔していた母。

それから1ヶ月後にゴールデンウィークがあり

私は前半は帰らず後半に実家に帰ることにした。

 

親からは妹のことは何も話がなかったし

さすがにこのやりとりの後でノコノコ実家に

帰ってないだろうと思っていたら

なんと帰っていた。

 

だけど私が実家に行くその日に妹は

偶然か故意かわからないけど自分のアパートに

戻ることになっていた。

 

だから私たちを駅まで迎えに来る車で

昼食だけ一緒にしてすぐ別れた。

 

私は、今度妹に会ったらまるで見えないかのように

無視しようと決めていた。

実際に私の心から彼女は消えたから、見えないも同然。

 

彼女はどんな顔をするかと思ったら

普通の顔だった。

 

「お姉ちゃんお茶は?」とか話して来た。

親の前だったからだと思うけど。

 

私はいつもなら妹にあれこれ話しかけるけど

お茶は?の返事をした以外、話さなかった。

 

家族の中心は2歳の娘だったから

娘の無邪気さが場を救っていたけど

皮肉にも娘が初めて妹の名前をきちんと呼んだ。

 

そして、妹を駅まで送っていき

車から降りて帰るとき

私には何も言わず顔もみないくせに

私の娘に

「りんごちゃ〜ん、バイバ〜い!またね〜!」

と猫なで声を出した。

 

その瞬間、私は、悪魔に自分の娘を

触られたような感じで ぞっとした。

 

この子をたった1人で育てることになった

私にあんな冷徹な言葉を吐いておいて

姪を可愛がるようなそぶりを見せるなんて

 

これは、本当に、人間じゃない。

 

この子は根っから私のことをバカにしている。

 

この一瞬、私はまだほんの少し残っていた躊躇が

完全になくなり

もう一生会わないくらいの覚悟が決まったのだった。

 

だから、親にも妹から縁を切れと言われたことを話し

お盆休みには会いたくないから

私と孫が帰るか、妹が帰るかどっちか選んでくれと

言った。

 

娘2人のうちのどちらかを選べ。

 

そう言うのは母への仕返しにもなるかな?と

少しだけ思った。

 

「母さんにはみかんに帰ってくるな、なんて言えません。」

とか言われるかとも思ったけど

 

すぐに妹に連絡したみたいで

「私たち(父と母)はあなたとりんごに帰ってきてもらいたいと

思っています。みかんには帰ってこないでと言いました。

安心して帰ってきてください。」

 

でしょーねでしょーね!

 

そりゃあ可愛さのかけらもない40の独身女と

2歳の可愛い孫とどっちと会いたいかと言ったら

聞くまでもないけど

 

両親揃ってあっさり妹を切り捨てたことには

ちょっとこの親何なんだろう?と思った。

 

「妹になんて言ったの?」

「お姉ちゃん今あなたに会いたくないそうだから

お盆は帰ってこないでと言いました。」

 

「それで?はいわかりましたって?

お姉ちゃん今大変な時なんだからあんまりきついこと

言わないであげてくらい言ってくれないと

永遠に仲直りできないと思うけど。」

 

「・・・・・・」

 

それには返事はなかった。

 

この親には姉妹の仲をとり持つつもりはないみたいだ。

 

母は「今あなたは子育てと仕事だけで大変な時なのに

こんな悩みまで持たないでね。」

と優しいようなことも言ったけど

 

結局私と孫への執着で他の人はたとえそれがもう1人の娘

であっても正直どうでもいいのだとよく分かった。

 

私たち姉妹の仲が悪くなったのは

元はと言えば母がそう仕向けたからだった。

 

思春期になった頃

母は決まって妹とタッグを組んで私をいじめた。

 

いや、もっと小さい時からだったか。

 

私の一番最初の記憶は3〜4歳の頃。

 

妹を後ろに乗せてスーパーへ行く母の自転車を

私は裸足で泣きながら走って追いかけていた。

 

何をして母を怒らせて置いていかれたのか。

それにしても3、4歳の子供が車道を裸足で走っているのに

振り向かずに自転車で走るなんてよくできるな。

 

大学一年のクリスマスには夕方学校から帰る途中の私に

メールで「今からみかんちゃんとルミナリエ見に行ってきます。

悪いけど1人で夕飯食べてください。」と連絡が来た。

 

街が浮き足立つクリスマスイブの夜。

私は別に予定もなく、家へ帰る途中だった。

「一緒に行きませんか?」となぜ言われなかったのだろう。

 

そんな風に、私の記憶では母と妹はいつも腕を組み

私に嫌味を言ったり置いて行ったりした。

 

大学に入るくらいまでは

妹は母の期待通りに育ち、成績優秀でしっかりした子だった

から、母は自慢だったのだと思う。

 

安心感があったんだろう。

 

私はどこか自由奔放で変わっていたから

常識を何よりも重んじ、保守的で堅実に生きることを

よしとする母には理解不能な存在になっていた。

 

「変な子」「わからんわ」とよく吐き捨てられたし

自分とは違う価値観を持とうとしている娘に嫉妬し

先手を取って牽制しようとしていたのだろう。

 

そんな考えでは幸せになれないのよ。

お母さんの考え、生き方が正しいんだから

言う通りにしなさい。

 

言葉があろうがなかろうが、いつもそんなメッセージだった。

 

母は自分を必要としてもらうために

妹と私が直接話ができないようにしていた。

 

当時仕事人間だった父もまた蚊帳の外だった。

 

私たち姉妹が母を置いてタッグを組んだりしないように

母が私のことを妹にどんなふうに言っていたのかは

知らないけど

 

とにかく母は、妹のことは何をしても何を言っても

「あの子はしっかりしてるから」の一言で片付け

 

小言を言ったり叱ったりするのはいつも私にだけだった。

 

大人になったあとでもその構図は変わらなかった。

成人したあとは長年連れ添った妻にどっぷり洗脳されている

父もまた母と同じ態度を取った。

 

近年は実家に帰って来た妹に対し

まるで腫れ物に触るかのように遠慮していた両親。

 

あんた結婚は?とか

どんな生活してるの?とか

 

そんなこと絶対に聞けない空気。

 

会社の取引先のお客様に接するかのように

当たり障りのない話をする両親と妹を

 

気持ち悪いなあ、と思って見ていた。

 

それとは真逆に

いつも本音で直球でぶつかってくる私のことは

どうしたって放っておけないんだろう。

 

妹は新卒で就職した会社にずっと勤め続け

役職までもらって自分の食い扶持はしっかり

自分で稼いで心肺停止の心電図のような

平穏な毎日を送っているように見える。

 

交際も結婚もないから

生活がぶれることがない。

 

浮き沈みが全くない。

 

放って置いても大丈夫。

結婚しないのはちょっと心配だけど

それ言うと怒られるから。

 

30くらいから妹は両親にとって

そんな存在になった。

 

一方で姉の私は

彼氏を連れて来ては結婚すると言ったりしないと言ったり。

 

仕事もコロコロ変わるし

住む場所も世界規模でしょっちゅう変わる。

 

結婚したと思ったら旦那が精神病無職で

2人して海外放浪生活。

孫を産んでくれたと思ったら修羅場を繰り広げて

離婚劇。

 

まあ、親としては放っておけないんでしょうね。

この子は次何やらかすか。

 

今回、どっちが帰省するか選んで、と言ったことで

親がどっちを可愛いと思っているかは

はっきりした。

 

このままだったらお正月も同じことをするつもり。

夏は海外一人旅とかで帰ってこないことも度々あった

らしい妹だけど、正月だけは毎年欠かさず帰って来ていた。

 

でも私は、もう彼女を「許さない」と決めたのだ。