子の心親知らず

実の母親に家庭を壊された毒親育ちのシングルマザーが親子のあり方を考察するブログ。

親になる覚悟とは何か。

またいい本を見つけた。

 

 

 

まだ読み終わってないけど

読んでいて私の中で「繋がった」部分が

多かったので 先にシェアします。

 

よく、若い娘などが妊娠したら厳格な父などが

「親になる覚悟はできてるんか?」などと

問い詰めたりする場面がドラマなどでもあるけど

 

”親になる覚悟”って何でしょうか?

 

実はよくわかっていない人が多いのではないだろうか?

 

子どもを食べさせるために一生懸命お金稼いでくる覚悟?

自分は寒かろうがお腹が空こうが、まず子どもに

あったかい布団とあったかい食事を用意する覚悟?

自分の時間は諦める覚悟?

男と女ではなく父と母として存在する覚悟?

 

今まで、私たちは重大な勘違いをしていた。

 

私の親世代(団塊世代)は、親になる覚悟とは

父はひたすら身を粉にしてお金を稼ぎ

母は自分の食事や睡眠を後回しにして

子どもの世話を優先する。

 

これこそが、親の覚悟だと固く信じ、

1ミリも疑うことなく子育てを終えた。

 

お金。

食事。

睡眠。

 

お金は衣食住を確保するためのものだから、

つまり、食べる。寝る。

 

すなわち、マズローのいうところの

最下層の欲求。

 

生理的欲求を満たしてあげるための

世話である。

 

戦後すぐ生まれの団塊世代の親は

食べるもの着るものがロクに揃わない

幼少期を過ごした。

 

父はほとんど家にいないくらい

お金のために必死に働いていたし

 

母は子沢山なのに物資は足りない状況で

子どもの身の回りの世話に座る暇もないほどだった。

 

戦争経験者の親たち(私の祖父母世代)は

とにかく子どもの命をつなぐことを最優先に

食べさせる、寝かせる、服を着せる。

 

これさえ何とかやっていれば子は育つと

育児をやってきた。

 

頭の中はまだまだ戦時中で

まさに、文字通り

「生きるのに必死」

 

そんな時代だった。

 

自分はいつ食事をしたのか分からないような

慌ただしさの中で

 

手をひび割れだらけにしながら

たらいで服を洗い、破れたところを夜なべして縫い

 

畑で芋を掘り出して子どもたちのおやつに出す。

 

泥だらけ汗まみれ

分厚い母の手をみて大きくなった

私たちの親世代。

 

子育てを特別に”勉強”することなく

生物の本能としてやろうとすると

自然と自分の親がしたのと同じようにする。

 

だから私の親も

自分が親にしてもらったように

自分のことを後回しにして

子どもに

「食べさせる」「着させる」「寝かせる」

 

この生理的欲求をきちんと満たしてあげることが

子育てだと、それこそが唯一無二の親の務めだと

疑いようもなく固く信じ

 

時代が光のスピードで変わろうとも

終戦直後の時代の価値観をそのまま受け継ぎ

育児をしてきた。

 

頭の中が戦時中のままの彼らが

犯した致命的ミスとは・・・

 

そこに抜け落ちていた

命の次に大切なもの・・・

 

親が絶対に守ってあげないといけなかったもの・・・

 

それは

 

感情である。

 

先の本の大河原先生はいう。

 

親になる覚悟とは、

自分の感情よりも子どもの感情を優先すると決めること。

 

 

この1文を読んだ瞬間

私が一体親に何を求めていて

何が得られなくて長年苦しんでいたのか

スパーンっと分かった。

 

小さな頃から

親に、感情を大事にしてもらえていなかった!

 

私の親は、子どもの感情より

自分の感情を優先してぶつけてくる親だった!

 

父は

「子どもの気持ちなんかわかるわけないやろ」

「自分でこけたんやから泣くな!」

と言ったし

 

母は

「そんなこと言うなんてお母さんがそんなに憎いんか!」

「お母さんが一生懸命作ったご飯が食べられへんのか!」

「あんたは、良かれと思ってやってるお母さんの気持ち

受け取ってくれないんやね。」

「あんたはそんな風に受け取るんやな。じゃあもういい!」

「親が子どもの心配するのは当たり前やろ!」

 

そんなことばかり言った。

 

お父さんは、お母さんは

腹が立つ、悲しい、寂しい、混乱している、

心配している、不安である、がっかりした。

 

そんな、親である自分の感情ばかり

子どもである私に”分かってくれ””受け取ってくれ”と

ぶつけてきた。

 

小さな頃から、今の今まで。

 

元夫と別居中だった時も

私が母に自分の子どもの頃からの辛い気持ちを

泣きながらぶつけたのに

 

親になったことで一瞬子どもに戻り

お母さんに”分かってほしい”と必死に訴えた

あの貴重な瞬間

 

母は、

「お母さんは!お母さんが!お母さんだって!

お母さんの方が!」と

自分の気持ちばかり跳ね返してきて

 

話し合いにもならない、と私の方から

見切りをつけたのだった。

 

あのインナーチャイルドがリアルな母親に

向かって表に出てきて辛かった気持ちを

勇気を出して吐き出した

 

親子の真の和解の最大のチャンスだった

あの時間

 

娘が自分とは違って孫にとって最上の

本物の親になるために必要なステップだった

あの時間を

 

母は、自分がさらに子どもに戻って

子どもとして振舞うことで

私が子ども返りする事を許さなかった。

 

私は実際

「お母さん私のお母さんやろ!私はお母さんの

子どもやで。子どもが苦しいって訴えてるのに

なんでお母さん自分の方が苦しいって言ってくるん!」

と言った。

 

その時の私の胸は

もう本当に苦しくて苦しくて

暴れる夫から赤ん坊を抱いて逃げるとき以上に

苦しくて

まさに張り裂けそうだった。

 

お母さんが

 

「そっか。ごめん。そんなに苦しめてたなんて

気づかなくてごめんな。お母さん親やなのにな。

あなたより大人にならないといけなかったのになあ。」

と1%でも反省してくれることを

健気に期待して。

 

ところが現実の母は

 

「親やからってなんで悪いんや!

あんたはそうやってなんでもお母さんのせいにするけど

自分はちゃんと出来とんか!」

と言った。。。。

 

あの時

少しでも癒されることを期待して出てきた

私の中の幼い子供は

 

この人、私の母親じゃないんだ。

 

ってやっと諦められたような気がする。

 

だって、親だったら子どもが苦しいって

訴えたら、癒そうとするでしょ。

 

そうか。辛かったんだね。苦しかったんだね。

ってよしよしって抱きしめるでしょ。

 

「お母さんの方が痛いわ!」

って、親ならそんなこと言わないよね?

 

それって対等な立場の人間の喧嘩の仕方だよ?

 

お前が悪い!

お前も悪い!

 

これは、上下のない支配のない

対等な立場性においてのみ存在できる

喧嘩の仕方です。

 

親子においてはありえない。

あってはいけない。

 

親は生まれてから死ぬまでずっと

子より”大人”でなければいけないし

子どもが40歳になろうが50歳になろうが

親は常に子どもより成熟した人間であるべきなのだ。

 

成熟した人間ならば

未熟な者が何か訴えてきた時には

カッとならずに

 

そうか。お前はそのように感じるのだな。

 

そう受け止めるものである。

 

私は感情を感じ切ることの重要性を

身にしみてよく分かっていたし

妊娠中にもう

 

「子どもの感情を大事にする」

覚悟はできてきた。

 

感情という言葉の概念が肉体感覚と

全く結びついていない私の両親と

比べたら、それだけでもう確実に

精神的に豊かな子育てができることは

決まっている。

 

だから0歳から3歳まで

特に子どもに「安心・安全」の感覚を

与えるのに重要なこの3年間、

 

子どもがちょっとでも

「痛い」と言ったら何をしていても

手を止めて

 

「痛かったねえ。よしよし」と

撫でてあげるし

 

かゆいと言ったらかいてあげる。

 

泣いたら「これが嫌だったんだね」とか

「怖かったね」と子の気持ちを言葉にしてあげて

落ち着くまで抱きしめる。

 

おもちゃ屋で駄々をこねたときは

「これ欲しいよね。大きくておもしろそうだもんね。」

とまず子どもの体の中に流れる感情を言葉にして

受け止めてから説得するようにしている。

 

単に「今日は買わないって言ったでしょ!わがまま言わないの!」

とか言うと子供は納得しないが

 

こんな風に受け止めてから説得すると

泣くこともなくすんなり諦めてくれる。

 

結構上手にできていると自分でも思うし

最近は

娘の様子を見た周囲の親世代の人にも

「上手に子育てしてるんやね」と

褒めてもらえるようになった。

 

それでもやっぱり人間だし

深手を負っているシングルマザーだから

気持ちに余裕がなくなって

 

子どもの今日何度目かの

自業自得の泣きに対して

冷たい目を一瞬向けてしまったり

 

「もう!困らせないでよ!」

と怒鳴ってしまうことが少ないけど、ある。

 

だけどそんな時の子どもの表情を見て

すぐに気づく。

 

そんな時、幼い子は明らかに

傷ついた顔になる。

 

病める時も健やかなる時も

自分を守り、優しく抱きしめて然るべき

存在である母親の冷たい目や怒鳴り声が

いかに小さな柔らかい脳を致命的に傷つけてしまうか。

 

これが日常的に繰り返されることによって

感情をコントロールできない人間ができていく。

 

大河原先生はいう。

 

何歳からでも、気付いた時から

変われます。

 

私たちの親世代は残念ながら

気づかなかったけれど

 

現役の私たちは、1人でも多く

親の接し方が

子の精神発達に与える重大な影響力に

気付いて、未成年の不幸な事件などが

減ることを願ってやみません。