子の心親知らず

出産後2年で離婚した毒親育ちのシングルマザーが親子のあり方を考察するブログ。

女は出産したらふりだしに戻る?

女は出産したらふりだしに戻る。

 

こんな言葉を聞いたことがある。

 

まずキャリアはリセットされる。

 

私は、東南アジアのリゾート地で

妊娠した。

 

そのままそこで出産して、子育てをしていくのか。

それとも他の国に移るのか、夫と相談していた。

 

日本で子育てする、という選択肢は全くなかった。

 

結局2人が出した結論は

里帰り出産して生後3ヶ月でヨーロッパに移住するという

プランだった。

 

臨月の時に夫がその国のビザ申請などをし、

無事に五年滞在できるビザを取得した。

 

東南アジアの方は10年有効のビザで

それも残したままだったので、ヨーロッパに

住んでみて嫌だったらまたアジアに戻るという

ことも可能だった。

 

私は第一希望の国ではないにせよ、

森林豊かな凛とした空気のヨーロッパのある国で

夫とベビーと3人で木のぬくもりのある

大きな家で子育てをするイメージしか

していなかった。

 

日本には、出産前後の6ヶ月だけ滞在する予定だった。

 

計画通りに行動はした。

生後3ヶ月の赤ちゃんを連れて飛行機に12時間

乗り、40万円かけて船便で荷物を送った。

 

ここで育児をしていくんだ。

 

移住してすぐに言葉の勉強も始めた。

 

だけど、夫の心だけが、計画通りに行かなかった。

 

夫の精神はどんどん壊れていき、

いや、もともと壊れていたのを薬と自由な環境で

抑えることができていたのが、親になるという不自由さと

断薬でストッパーが完全に外れたのだった。

 

5年住む予定だったのが

たった5ヶ月で私は逃げ出した。

 

それからも、なんどもまたやり直そう、

かけてみよう、信じてみようとして

なんども日本脱出を試みたけれど

異国の地で赤ん坊を抱える私に向かって

夫は暴れ、正気を失った。

 

そんな環境で夫だけを頼りに外国で

暮らし続けることは到底できるはずもなく

嫌なのに、心の底から嫌なのに

実家に戻る以外に選択肢がなかった。

 

実家。

15歳から住んでいる家。

娘として暮らした家。

 

親となって戻っても

やっぱり娘として扱われるこの家。

 

色々な国で外国語でタクシードライバー

話していた私が

また、親の運転する車で地元のショッピングモールに

行く日々。

 

ここにいてはいけない。

 

お腹の底から湧き上がる思いに突き動かされて

離婚成立と同時に2歳の子を連れて実家を出るも

 

選んだ場所は海外に出る前長く住んでいた

エリア。

 

ベランダから見える灰色の道路と電信柱。

この景色が嫌で、私はこの国を離れたような気がする。

 

もっとカラフルな世界に行きたくて。

 

シングルマザーとして1人で子供を養うために

仕事をしないといけない。

 

在宅で仕事を始めたけれど

扶養内くらいしか稼げない。

 

これじゃ家賃も払えない。

 

どうしよう。

私の人生ゲームに、シングルマザーになる、という

マスはなかった。

 

だからそんな準備は何一つしてこなかった。

 

夫と2人で海外でのんびり暮らす。

趣味のような仕事をしてゆとりをもつ。

 

そんなイメージしかしていなかったのに

夫が消え、予定になかった子供が出現した。

 

昔から、私は自分1人で稼いでいくという

イメージが一切できないできた。

 

結婚して旦那さんに養ってもらって

〇〇夫人として優雅に暮らすんだわ、と

なんの根拠もなく思っていた。

 

だから独身の時から収入が低いけれど

好きな仕事ばかりをしてきた。

 

扶養内の稼ぎで十分だと長年思ってきた。

 

そんなだから急に予定変更になっても

今更バリキャリにはなかなかなれない。

 

足りない分は親に出してもらう。

独身の時もそんな生活をしていた。

 

母は私にお金を渡すのが嬉しそうだったから。

 

子は親の潜在意識の願いを自分を犠牲にしてでも

無意識に叶えるような生き方をしてしまうらしい。

 

だから

いつまでも世話のかかる「子ども」でいてね。

いつまでも「お母さんを必要として」ね。

 

そんな母の潜在意識の願いを無意識に叶えて

自活できない人間であり続けているのだ。

 

そんなことに気づいたのは本当につい最近。

ずっと、自分は自立できない親不孝ものだと

自分を責めて生きていた。

 

実際は、とんでもない親孝行な子だったのだけど。

 

お金はいちばんわかりやすい支配のツールである。

 

離婚して、幼子を抱えて、

またそこに戻った。

 

養育費も慰謝料も1円ももらえなかった

私は、親に援助してもらう以外に

生きる方法がなかった。

 

母は、父の手前困ったようなそぶりを

して見せるものの、どこか勝ち誇ったような

嬉しいような気持ちがにじみ出ている。

 

私に「援助してあげる」お金を下ろしにいくときの

弾むような嬉々とした足取り。

 

モラハラの加害者は

「心以外はなんでも惜しみなく渡す」

 

お金という格好のツールでまた

私という娘を支配下に取り戻せたことが

この上ない喜びなんだろう。

 

両親は別に金持ちではないので

なけなしの老後のお金も離婚した娘のために

予想以上のペースで減っているに違いないけれど

 

そんなことよりも母にとっては

娘と孫が自分から遠く離れて

母の助けを必要としなくなる方が恐怖なのだから

大したことではないのだろう。

 

だけどこの状況は私には苦しみ以外に何もない。

 

海外にいる時

私は私の人生が大好き!と思っていたのに

 

今の私は自分の人生を憎い、と思っている。

 

なんだこの人生、つまんねえ。

 

だから現状を打破するために

もっと働こうと思った。

 

起業だの在宅だの子供が優先だのと

理想を言っているから苦しいのでは?

と思い始めた。

 

とにかく、まずは経済的自立をして

親の支配ツールの「お金」を必要としない

状態にならなければ離れることができない。

 

だから在宅にこだわらず、働きに出ることを

検討し始めた。

 

だけど幼児のいるシングルマザーができる仕事は

思った以上に少なくて、現実は厳しかった。

 

それでも昔やっていたコールセンターの仕事なら

時間もちょうど合うのがあって時給もいいから

やることにした。

 

派遣の登録に出向いた場所は

私が新卒で最初に勤めた会社のある駅だった。

 

満員電車に揺られて慣れないヒールで

通った20年前の日々が蘇る。

 

ストレスでいっぱいだったあの若い日々。

満員電車で通勤する日々だけには、戻らないと

思っていた。

 

家賃と生活費を減らすために田舎移住も

検討し始めた。

 

田舎移住相談会に出向いた場所は

私が海外就職する前の1年間通った

外国語の教室がある駅だった。

 

教室は大きくなっていたが

目の前の交差点の風景をよく覚えていた。

 

あの頃、夢と希望でいっぱいだった。

 

まさか、12年後、こんな苦しみの日々にいるなんて

想像もできなかった。

 

「ふりだしに戻る」

 

いろんな国を渡り歩き、結婚をして

世界を見てきたはずなのに

 

なぜかまわりまわってまた

この場所にいる。

 

12年前に見ていた景色をまた見ている。

あの頃より、はるかに苦しい状況の中で。

 

親の張った蜘蛛の巣から一度は

遠く遠く飛び立つことに成功したのに

 

出産をきっかけにまた戻ってきてしまった。

 

友達にそんな話をしてみたら

「そうだよ、女は出産したらリセットされるって

いうからね。私だって来年くらいからまた働こうかと

思ってるけど独身時代にやってた仕事しか思いつかないもん。」

 

ふ〜ん。

 

女は出産したらふりだしに戻るのか。。。

 

それでもこの10年で精神は確実に飛躍的に成長している

はずだし、その間の経験と蓄積してきた知識は

誰にも奪えない。

 

一時的にふりだしに戻ったように感じるけど

それを踏み台に次に飛ぶ場所は、

みたこともない素晴らしい景色だと信じたい。