子の心親知らず

実の母親に家庭を壊された毒親育ちのシングルマザーが親子のあり方を考察するブログ。

母の日に毒母カウンセリングを受ける

今週日曜日は母の日ですね。

 

わたしは自分が離婚してから

母の日も父の日も両親に何かしたいと

一切思わなくなりました。

 

しょーがない。

 

この人たちはわたしの人生の危機に

味方しなかったんだから。

 

わたしの中では両親と妹は

「敵」という認識に変わりました。

 

でも毒親、毒家族に関しては

きちんと「敵」だと認識しなければ

いけないと本にも書いてありました。

 

脳が「敵」だと認識しないと

やられてしまうからです。

 

これまで、まさに離婚する前年まで

夫と揉めていた最中でさえ

わたしは母の日に贈り物をしていました。

 

お金がない時も

外国にいる時も

花を送ったり、お菓子を送ったり

手紙やメッセージも添えて。

 

子供が0歳の時には

双方の母に子どもの写真入りの

花付きフレームを送りました。

 

義母には、それが最後の

母の日の贈り物になりました。

 

そしてわたしは実の母に対し、

感謝ではなく憎しみを抱くようになりました。

 

元夫が亡くなったと知った今年は

それまで以上に激しい憎しみとなり

母の日が近づくにつれ、

ふと妄想をします。

 

わたしと娘が寝ている実家の客間の

壁一面に飾ってある娘の写真。

 

その中に、わたしの元夫、娘のパパは

1枚もありません。

 

母と父が、命名の紙の前で

生まれたばかりの娘を抱いている写真

命名の紙にはもちろん夫の名前がありますが

夫の姿はそこに1つもありません。

 

妹がわたしの娘を抱いている写真も

2枚飾ってあります。

 

寝る前に必ず目に入るそれらの写真の

せいで、わたしは時々夢さえ見ます。

 

母がわたしの娘を抱いている写真

妹がわたしの娘を抱いている写真

 

その赤ちゃんと母、妹の部分を

切り離し、母と妹の顔を

切り刻んだ写真を

黒い紙に貼り付けて

母の日の贈り物にしてやろうか。

 

不気味な妄想。

 

別にそこまで精神病んでいないので

実行しないけれど

いつかそんな話を小説に書いて

その印税で母の葬式をしてやりたい、

そんなことを妄想しています。

 

わたしはもう自分の母に対して

母の日に何かする概念は消え去りましたが

わたし自身が母でもあります。

 

そして娘の休園中の幼稚園から

母の日の活動として宿題が出ている

ので、それを娘にさせなければなりません。

 

そのために4歳の娘に

「もうすぐママの日なんだよ」って

説明しなければなりません。

 

母の前で。

 

母はきっと

「わたしもお母さんよ」って

思っているでしょう。

 

でももう、わたしの中では

あの人は母ではないのです。

 

魔女。

悪魔。

鬼。

妖怪。

 

嘘つきの、神経症

怖いおばさん。

 

母の絵など絶対に描けないし

母の写真も飾りたくない。

 

だけど可愛い娘には

わたしの絵を書いてもらわなければ

いけません。

 

双方の母に

花付きの写真フレームを

送っていたあの親孝行な娘を

こんな黒い思いにさせた

わたしが「お母さん」と呼んでいた

あのおばさん。

 

ちなみに5月は母の誕生日でもあります。

誕生日はケーキを食べたいのと

娘がハッピーバースデーの歌を歌うのが

好きなので、それはしました。

 

まるで娘の誕生日かのように

娘だけを見て歌いました。

 

今のわたしの母に対する思いは

ミステリー小説のようです。

 

今年の母の日、

いよいよ毒親に決別するために

毒親カウンセリングを受けることにしました。

 

具体的解決策を一緒に考えて

サポートしてくれるというもので

まず3時間オンラインで相談します。

 

予約の電話をしたら

偶然母の日に空きがあって、そうなりました。

 

母の日に、毒母の相談。

 

今年は、本気の決別の年のようです。