子の心親知らず

実の母親に家庭を壊された毒親育ちのシングルマザーが親子のあり方を考察するブログ。

親に干渉されたくなければ自分も親に干渉しないこと

人間は知らず知らずのうちに

親のやり方を身に付けてしまっている。

 

過干渉の親に育てられた人は

自分も過干渉の親になりやすい?

 

わたしはそうではないと思う。

 

親が過干渉であることで

ずっと苦しんできた。

 

そして自分が親になった時には

それをきちんと自覚し、

責任のありかは親にあると

認めることができていれば

 

同じタイプの親にはならない。

 

少なとくともわたしは

そうだ。

 

だけど親に対してはどうだろう?

 

最近、親が病院の話などをする時

小声でヒソヒソ話すようになった。

 

わたしがリビングにいれば

わざわざ隣の部屋や洗面所で

話している時もある。

 

感じ悪いな。

娘に聞かれたらまずい話がそんなに

あるの?

 

と最初はただ

「さすが毒親」と不愉快に

思っていただけだったけれど

 

ふと気づいた。

 

最近テレビで毎日

医療関係の話をやっているのもあって

家族で医療の話をすることが増えた。

 

わたしは自分がこれまで学んできた

医療の裏側、隠された真実

薬やワクチンの背後にある巨大権益の話

などを、ついつい親にも話すように

なっていた。

 

しかし団塊世代の両親は

どっぷりガッツリ

「お医者様は神様です」

「薬さえ飲めば治る」

といった

 

現代医療と薬の敬虔な信奉者。

 

70年も信じて頼ってきて

今また歳をとってさらに

頼りまくっている医療を

今更否定することなど到底できない。

 

両親は毎月必ず病院へ行く。

 

二人とも高血圧と診断されており

(これは罠だけどね)

降圧剤を飲んでいる。

 

父は緑内障と慢性湿疹。

腸も昔から弱いため大腸の検査なども

しているようだ。

 

毎月血液検査をしているらしい。

 

驚いて「毎月?多くない?」と言ったら

「知らんやん、もう何・・・」と

母に嫌な顔をされた。

 

母は甲状腺と気管支のなんかで

要経過観察で定期的に病院で

検査をする必要があるとか何とか。

 

今のご時世、そんなにまめに

急でもないことで病院へ行って欲しくないが、

「予約してるから」

「定期診察は行かないといけない」

そう行ってノコノコ行ってしまう。

 

自分もコロナが怖いため
多少減らしはしたものの

特に父は湿疹が全然治らない、と

病院巡り状態。

 

中医学の知識もあるわたしは

「これは内臓からきている。

おそらく遅延アレルギーだと思うから

遅延アレルギーの検査をした方がいい」と

アドバイスした。

 

わたし自身7年くらい前にやって

ヨーグルトとキウイなどを抜いたところ

すぐに胃炎になる体質が変わったし

慢性的な原因不明の不調というのが

一切なくなった。

 

その経験があったから

父が慢性的にお腹を下し

皮膚の湿疹が全然治らない。

 

一般の病院を巡っても原因不明と

言われ、塗り薬を変えても変えても

やっぱり治らない。

 

その様子を見て遅延アレルギー検査と

習慣的な食べ物を抜いてみることを

勧めたけれど、そういったことが

どうも「娘には」言われたくなかったようだ。

 

例え娘が本当に医者だったとしても

「娘だから」

聞き入れることはできないだろう。

 

毒親とは子どもの成長を喜べない、

子どもがいつの間にか自分よりよく物事を知り、
わかっていることが増えていることを

決して認めることのできない親のことを言う。

 

わたしが話している時は

「う〜ん、そうか」

「そんなことあるの」

そんなふうに聞いているふりをしているが、

実は全く「聞き入れていない」のだった。

 

この件だけでなく

道案内から旅行のアドバイス、最近においては

スマホの機能まで

「娘が自分より詳しい」ことが嫌なようで

聞き入れない。

 

だからこそ、そういった話を夫婦でしたいとき

わざわざ小声になったり別の部屋に行ったり

するようになっているだった。

 

わたしはふと気づいた。

 

これって、もしかしてわたしも

両親に対して過干渉になってる?

 

「良かれと思って」

アドバイスしたり教えてあげたり

しているつもりだけど

それが彼らのプライドや信念を

打ち砕く行為になっていて

嫌がられてる?

 

自分の子どもに対しては

今わたしは絶対的な「信頼」を

持っているので

干渉しない。

 

子どもの天性の能力を

信じて、伸ばす。

見守る。

 

元々忍耐強い教師向きの性格なので

子どもに対しては楽にそれが

できていると思う。

 

しかしなんと、親には

できていなかった。

 

わたしは両親を毒親だと

思う前は、

「親に喜んでもらいたい」

「親に認めてもらいたい」

「感謝されたい」

 

そんな思いでアドバイスをしたり

情報のシェアをしていた。

 

しかし何一つ、喜ばれたり感謝された記憶は

ない。

 

オススメの旅ルート、いいホテル

趣味や健康法などなど

広い世界を知っているわたしは両親にも

少しでもより良い生活を送ってもらおうと

一生懸命シェアしてきた。

 

でも余計なお世話だったようです。

 

今現在は親を馬鹿にする気持ち

親よりわたしの方が知っているんだから

賢いんだからといったような

見下す気持ちからアドバイスして”あげている”

気がする。

 

それは両親がわたしに対してしてきたことと

全く同じこと。

 

自分がされて嫌なら人にもするな。

 

両親は同じことを自分が娘に対して

ずっとしてきたとは夢にも反省は

しないけれど、自分は嫌なようだ。

 

今日もまた父が朝出かける前

なんか二人がコソコソしてるな〜と

思ったら

案の定父が皮膚の病院へ行ったようだった。

 

戻ってきて診察結果の話や

次どうするかといった内容を

二人が話していて聞こえたけれど

あえて知らないふりをしてみた。

 

「今の薬であかんかったら次日赤紹介して

もらって、日赤で検査してもらったら

ある程度わかるやろうから、、、、」

とか何とか、母が知ったかぶりで父に

話していた。

 

こんな時に赤十字病院みたいな大きい

病院行ってコロナもらってこないでよね、

と思ったが

 

何も言わず縁側に出て

「あ〜気持ちいいわ〜いいお天気だわ〜」

とやっていたら

不思議とストレスが減った。

 

そして、悟り。

 

「両親に干渉するのはもうやめよう」

 

別に長生きしてほしいとも思っていないし

この頑固で子どもを常に下に見る習性の人たちは

わたしの意見やアドバイスを聞くことは

一生ないんだ。

 

わたしとこの二人の価値観はどこまで

行っても平行線で絶対に交わるポイントがない。

 

それならわたしの知っている貴重な有料の

情報をわざわざシェアしてあげる必要もないし

そんなことに時間とエネルギーを使う意味も

ない。

 

親は今まで信じてきた彼らの価値観と信念を

抱いて、慢性疾患と共存し

毎日必要のない薬を飲み、毎月病院へ行き

生死を医者に委ねたいと思っているのだから

それは彼らの自由な権利です。

 

遅延アレルギーだとか

漢方だとか

断食療法だとか

 

今更目新しいことはしたくないし

テレビと医者のいう事以外聞きたくない。

 

それが大多数の年寄りというものかもしれません。

 

子どもが親によって新しい生き方をするのを

干渉されたくないのと同様に

親は子どもから見て古い生き方かもしれないが

それを干渉されたくないと思っている。

 

親に干渉されることにばかり意識が集中

していたけれど、自分も親に干渉していたことに

気づいた5月の昼下がりだった。