子の心親知らず

実の母親に家庭を壊された毒親育ちのシングルマザーが親子のあり方を考察するブログ。

私には悲しすぎる場所

里帰り出産の時に半年間、

夫と住んでいたマンスリーアパートのある場所。

 

実家に帰ると、その近くのショッピングモールに

よく行く。

 

今日はそこの近くの西松屋に母と娘と3人で

行った。

 

住んでいたアパートの前の道を通った。

 

その通りは、妊娠中に夫と2人で、

娘が生まれてからはベビーカーを

押しながら、何度も通った道だ。

 

西松屋に一緒にベビー用品を買いに行ったし

近くのココイチでよくカレーを食べた。

夫はあの頃ストレスで過食になっていたので

いつも大盛りを食べていた。

 

赤ちゃんが生まれて私が床上げするまでは

テイクアウトでよく買ってきてくれた。

 

近くの和菓子屋。

ここの饅頭が美味しくて、2人でたくさん

食べた。

 

半年間の間に、何度も2人で、3人で、

行った店。

 

ショッピングモール内の

カルチャーセンターの韓国語教室に

夫は一時期通っていた。

 

私がかまってあげる時間が減って

暇だったらしい。

 

そのショッピングモールはにニューアルされて

今は名前も内部もだいぶ変わった。

 

変わらずにいる老舗の和菓子屋には

まだ、入れずにいる。

 

私は2月の夕暮れに部屋を飛び出し

このアパートの裏の神社で

1時間ほど号泣していた。

 

虚な顔で横たわっている

過食で急激に20キロ太った夫と

スヤスヤ愛らしい顔で眠る

赤ちゃんを交互に見ていたら

苦しさが爆発してしまったからだ。

 

もう耐えられない!!

私死ぬからこの子お願いします〜と

声を震わせてコートも着ずに

飛び出した。

 

産後2ヶ月。

悲しかった。

苦しかった。

 

臨月の時幸せいっぱいで

夫と2人手を繋いで歩いたこの道。

 

産後、悲しくて泣いた道。

 

赤ちゃんが生まれる前と後で

こんなふうに景色が変わってしまった。

 

その変化を望んで仕向けた

母と、今その場所を通る。

 

運転している母の背中に

憎しみの念を無意識に送っている。

 

ダメだなあ。

 

これでは、私の心が危ない。

 

やっぱり、地元にはもうまとまった

期間、帰ってはいけないのだな、と

思った。

 

5年か、10年か、20年か。

 

アセンションによって会おうにも

会えない世界になる可能性もあるけど

 

私の素直な気持ちとしては

父と母のどちらかが亡くなった時が

次にこの地を踏む時か、と思う。

 

母が死んだ時

私は初めて夫の死を乗り越えられる気がする。

 

お父さんとお母さんの両方が

揃っている間は、会いません。

 

そんなふうに手紙に書こうかと

車の中で一瞬思ったけれど

 

そうやって憎まれ口を叩くのは

まだ甘えている証拠なんだと

思い直し

 

やはり

夫を失った傷が癒えるまで会いません。

自立した人生が送れていると自信が

持てるまで会いません。

 

そんなふうに書いて

実際には親が1人になるまで

会わない。

 

それがいい。