子の心親知らず

出産後2年で離婚した毒親育ちのシングルマザーが親子のあり方を考察するブログ。

過干渉毒親の実態:相手が求めているかは関係なく、ただよく気がつく人間だと思われたい

過干渉毒親は何につけても

「自分はよくしてあげている」

「自分はよく気がつく」

と周囲から見えることだけをやる。

 

たとえば、車のドアを”開けてあげる”

 

これは本当に私はよくやられて

危険な目にもあったし、とにかく不愉快。

 

子どもと一緒に後部座席に座っていて

目的地に着いたとき

 

子どもが靴を脱いでいたら履かせて

自分と子どもの荷物をまとめて持って、

と大人一人で降りる時より

降りる準備に時間がかかったり手間取ったりする。

 

だから降りる準備をしてできたらドアを

開けるつもりでいるのに

 

降りてくるのが遅いからと

外から勝手に急にドアを開ける。

 

本人は「良かれと思って」

手伝いのつもりで開けるのだろうが

 

まだ降りる準備ができていない時に

外から急にドアを開けられたら

危ないしイライラしかしない。

 

元夫にも、タクシーでこれをやられたことがあり

その時1歳だった娘が私が荷物の準備を

している間ドアの窓枠のところにつかまり立ちして

窓の外を見ようとしていた瞬間に夫が

外から急にドアを開けたので

 

子どもが足は私のももの上、

手は車のドアのところのまま

引っ張られて危うく地面に落ちるところだった。

 

私が慌てて娘を掴んでセーフだったけど

こちらの様子を観察することもなく

ただ「ドアを開けてあげる」パフォーマンスだけを

したことによって却って迷惑になったり危険に

なったりするということを考えるべきだと

思った。

 

夫には

「降りる準備ができたら自分で開けるから外から

急に開けないで!」と言ってそのあとは大丈夫だったけれど

 

もっと厄介なのは両親である。

 

父も母も、これをやる。

 

母は私が降りる時運転席からドアロック解除するのを

いつも忘れているが、自分で解除できるから全然いいのに

決まって私がロックに手をかけた瞬間に

「あ、ごめんごめん」と運転席から解除するので

タイミングがかぶって逆にまたロックされるということが

頻繁にある。

 

自分でやるから放っとけよ!!

余計なことして二度手間にしやがって!!

 

過干渉毒親に対して思うことは

一事が万事、この言葉。

 

 

父も私と娘が車に乗ろうとドアのすぐ横に行った

タイミングでわざわざそのドアを ”開けてあげる”

 

後ろにスライドするドアで、狭い駐車場dで

ドアの横にいる時にスライドすると壁によって

体をピタッとしておかないとドアに当たってしまう。

 

だから自分で開けた方がスムーズなのに

わざわざ父が開けるから却って娘がドアに

当たりそうになって危ない。

 

その一手が、本当に余計で

却って迷惑で危険なことに一向に気付こうとしない。

 

荷物で両手が塞がっているわけでもない。

まだ歩けない赤ちゃんを抱っこしているわけでもない。

私は自分で安全にドアを開けられる。

 

車の横に行く前にもっと早いタイミングで

ドアを開けておくならまだしも、

たいてい私の手がもうドアに届くタイミングだ。

 

父も母も、歳をとって全ての行動、反応が

遅くなった。

だから尚更逆に邪魔になっている。

 

その人が、今本当にその助けが必要かどうか

ちゃんと見てから手を出すのが本当の親切、思いやり。

 

過干渉と呼ばれる人は

相手を観察することをしない。

 

いつも、自分がやってあげているように

外から”見える”ことだけをわざわざやる。

 

父は今介護サービスの送迎の仕事をしている。

 

介護施設に出入りするお年寄りなら

ドアを開けてあげることは必要な手助けだろう。

 

だけどそれを40代の健康な娘にもしてあげる

必要がどこにある?

 

杖がないと歩けない足が不自由な高齢者を

支えてあげるのは必要な助けかもしれないが

健康で若く、スタスタ自分で歩ける人を

支えようとしたら

「何? 触らないでよ!」となるのが当然。

 

その助けを必要としていない人に

勝手に手や口を出す。

 

相手の状況や思いを考慮することはない。

 

車のドアは一つの例で、

過干渉な人というのは

全てにおいてこの姿勢である。

 

余計なことを勝手にしておいて

二度手間を取らせたり

やる気を削いだり

却って危険な目に遭わせる。

 

しかしそれに対して

「そんなことしなくていい」

などと言おうものなら

 

「なんや、良かれと思って

してあげてるのにそんな言い方

しなくても」

 

とキレる。

 

これは、完全に

「きれいな虐待」(善意の仮面をかぶった虐待)

である・・・・。