子の心親知らず

実の母親に家庭を壊された毒親育ちのシングルマザーが親子のあり方を考察するブログ。

夫のいない誕生日に思うこと

今月、44歳になった。

 

44歳という年齢の誕生日に、夫がいないなんて

結婚前の20代の私は1ミリも想像していなかった。

 

5歳になった娘と二人で過ごす誕生日。

 

この町にはあまりいいケーキ屋がないので

娘と一緒にケーキを作ろうと考えた。

 

でも道具すら揃っていなかったので

ネットで注文して届いたのが誕生日当日午後。

 

結局翌日に作ることにした。

 

チョコレートチーズケーキを作るつもりだったけど

直前になってクリームチーズがないことに気づく。

 

この街のスーパーにはクリームチーズなど

売っていない。

 

仕方ないので家にあった溶けるスライスチーズで

いいかと思ったら、全然混ざってくれず

失敗。

 

作戦変更してチョコレートムースケーキにするも

生クリームの分量を間違えて全く固まらず。

 

ケーキなんて作ったのはおそらく人生で2回目くらい。

 

子供を誰かが見てくれている間に

作れるならまだ集中できただろうが

そこはシングルマザー

 

レシピを読んでいる時も

台所でチョコをとかしている時も

何をしていても

子どもがやってきて何か言ったり

触ったりする。

 

何かが固まる前に

何かが沸騰する前に

手早くやらないといけないことが

通り道に娘が現れて邪魔される。

 

全く集中できない。

 

慣れないことを

集中することすらできずに

やったのが、失敗の原因。

 

子どもにとって誕生日は

とても嬉しい日なので

ママの誕生日も娘は楽しみにしてくれていた。

 

ケーキを作ることも。

 

溶けたアイスみたいな状態の

ムースケーキに娘がイチゴを

挿す。

 

さらに蝋燭を挿したら

ずぶずぶと沈んでいくので

慌てて半分ほどに火をつけ

娘が可愛い声でバースデーソングを

歌ってくれた後

急いで蝋燭を吹き消す。

 

手作りのケーキを楽しみに

していた娘が嬉しそうに

スプーンで大きくすくって

口に入れる。

 

上にたっぷり振りかけたココアで

彼女はむせて、泣いた。

 

ドロドロのムースケーキに

口やテーブルを吹いた大量のティッシュ

 

ケーキは生クリームが多すぎて

すぐに気分が悪くなる。

 

この失敗作のケーキを作るまでに

製菓道具を近くの宅配物お預かりセンターまで

取りに行ったりした時間も含めると

4時間は費やした。

 

嬉しかったのは娘がバースデーソングを

歌ってくれた瞬間だけ。

 

2分くらいか。

 

こんなことならケーキなんか

作らなきゃよかった。

 

誕生日に慣れないことなんか

するもんじゃない。

 

集中もさせてもらえないし。

 

子どもの「ママ遊ぼー」を

却下して、ケーキ作りをし

掃除し、洗濯し、

イライラし

食べた後ぐったりして

 

「ちょっと休ませて」

と全く笑顔を見せることすら

できなくなってしまった。

 

私、何やってんだろ・・・

 

43歳の誕生日は、

実家にいたので両親と娘に

お祝いしてもらった。

 

娘が可愛い声でハッピーバースデーを

歌ってくれるのと

自分でママの蝋燭を全部消しちゃったのが

可愛くて笑っていたけど

 

本当は、こんなはずじゃなかったって

思っていた。

 

母の嘘くさい甲高い笑い声が

私の気持ちを下げていた。

 

42歳の誕生日は

娘と二人、小さなアパートで

近所で買ってきたケーキで

お祝いした。

 

3歳だった娘が

この時も私の蝋燭を全部吹き消して

まだ上手に歌えないバースデーソングを

Dearりんごちゃん、ママ〜って

自分の名前も入れてたのが

可愛すぎた。

 

離婚はしたけど夫は生きていて

私は、夫との修羅場がないだけで

安堵している日々だった。

 

41歳の誕生日は

確か実家だった。

 

2歳の娘が主役になっていて

それはそれでいいけど

私はここにいて夫がいないことが、

どこか悲しかった。

 

40歳は、夫と1歳になったばかりの娘と

台湾にいた。

夫が買ってくれた大きなケーキと花束。

本当の意味での成人式だねって夫と話してた。

 

まだ歌は歌えないけれど

手をパチパチさせて満面の笑顔の娘と

私も満面の笑顔で写真に写っている。

 

39歳は里帰り出産中で

実家だった。

この時もやはり赤ちゃん中心で

私は誰か私を労ってくれてもいいのにな。

と思った気がする。

夫がそこにいたかどうかは記憶にない。

 

38歳は

夫とバリ島にいた。

リゾートホテルのテラスで夫が

スタッフに注文してくれていた

ケーキをゆったり食べた。

 

この時の写真、

私も夫も本当にいい顔してる。

 

この頃夫は子どもが欲しいって

ずっと言っていて

私もそろそろいいかなあ、って

真剣に思い始めた頃だった。

 

まさかね、

それでこの誕生日が夫婦が心から

笑って優雅に過ごせる最後の

誕生日になるなんて。

 

夫婦二人だった頃は

どちらの誕生日も必ず旅行していて

決まって高級ホテルやリゾートホテルで

スタッフが持ってきてくれるバースデーケーキと

シャンパン、夫が準備してくれていた

花束にジュエリーをもらって

ゆったり過ごしていた。

 

今思えば、夢みたいだ。

 

贅沢をさせてもらっていたんだな。

 

彼はそんなロマンチックなことも

してくれたし、私を大事に思ってくれていた

んじゃないかな。

 

そういうのが、母は許せなかったんだろう。

 

私が旅の話をしたりすると

「生意気」とか「贅沢」とか

「まあ、金は続かんもんやからな」とか

ボソっと言ってた時があったな。

 

当時は気に留めてなかったけど

気に留めなきゃいけなかった。

 

母は父に誕生日を祝ってもらったことが

ほとんどないって言っていた。

 

結構歳を取ってから

ふと花を買ってきたことがあって

驚いたくらいだと。

 

要するに、ザ・昭和の男ってやつか。

 

そうなら、娘が夫にロマンチックなことを

してもらっていることを

よかったね、と思うどころか

女として嫉妬するのだということを

私は全然理解していなかった。

 

理解していたなら

ペラペラ喋ったりしなかったのに。

 

夫と別れてから

誕生日に幸せを感じたことなんて

一度もない。

 

28歳の頃

実家で両親に誕生日を祝ってもらう自分が

ほとほと嫌になって

 

もう親に誕生日祝ってもらう歳じゃないよな。

早く結婚したい。

 

そう思った記憶がある。

 

28歳の私は恋人と別れて仕事もやめて

実家に引きこもっていた底の時期だった。

 

誕生日に実家にいる自分が

本当に許せなかった。

 

それからいろいろ努力して

夫と高級ホテルで過ごす

多くの女の子が憧れる理想的なバースデーを

手に入れたというのに

 

またみすみす実家に戻って

本当に愚か者だな。

 

太宰治の「人間失格」を

読むのがしっくりくる気分だ。

 

今手にしているものが

その状態が、その人がここにいることが

1つも当たり前じゃないってこと。

 

感謝と謙虚さが足りなかったから

失ったんだろう。

 

44歳か。

 

そろそろ更年期の兆候も見えてきたし

疲れやすくもなり

不整脈もひどくなってきた。

 

もう、自分の誕生日を無理して

バタバタ過ごすのはやめよう。

 

何もかも一人で抱えている

傷を負った女ひとり。

 

せめて自分の誕生日は

どこか旅に出て旅先で接待されて

過ごそう。

 

今年はコロナのせいで、

それはできなかった。

 

例え夫がいなくても

私はホテルでバースデーを

過ごしたい。

 

来年の誕生日は

誰とどこで過ごしているだろう。

 

また、男の人から花を

もらえるだろうか。

 

希望は捨てていない。