夫と一緒に育児ができなかったことや、
子どもが生まれてすぐに離婚になったことや
その後間も無く夫が死んでしまったことより
ずっとショックで悲しくて
ずっとずっと心に引っかかっていることは
やっぱり実の母親に自立と幸福を願われていなかった
ことだ。
妊娠を知らせてからの母の言動は
それまでの応援しているテイが
全部偽りだったことをわたしに知らしめ
健気に母を信頼していたわたしの心を
木っ端微塵に打ち砕いた。
夫婦が一緒に力を合わせて子どもを育て、
年に何度か祖父母に顔を見せるという
幸せの形。
子どもに4人のおじいちゃんおばあちゃんが
いると言う家族の形。
この世の中の多くの家族がやっている
そんな”普通”を母が許さなかったことが
何よりも母親になったばかりのわたしの心を
傷つけた。
母は、もう1人のおばあちゃんがいることを、
しかも自分より金持ちで娘と仲のいい
おばあちゃんがいることを、
許さなかった。
自分こそが娘に頼られるおばあちゃんになり
自分の子の子育て期には仕事三昧で育児に
協力的でなかった自分の夫が、
孫育てをする姿を見たいと願い
孫の父親を邪魔だと考えた。
妊娠を知った瞬間から
婿を追い出そうとする発言と態度に
変わり
娘が孫を連れて出戻ってくることを
強く強く願った。
鏡に
「この世で一番美しいのは誰?」と
聞いて
「白雪姫です。」と言われて
激怒したお妃と同じように
「この世で一番幸せなのは誰?」と
聞いて
「あなたの娘です。」と言われて
激怒し、王子に毒林檎を食べさせて
娘と孫を実家に閉じ込めようとした。
娘がシングルマザーになること
孫が父親のいない子になること
それによって起こりうる多くの苦労や
悲しみを想像もせず
あるいは想像した上で
「あなたにはお母さんがいれば十分なんだから」
と、わたしがこれまで必死で積み上げてきたものを
産後の最も混乱する時期に乗じて
ぶち壊してしまった。
子供が生まれたばかりのあの時のわたしに
冷静に母を分析したり
夫の精神のケアをしたりすることが
できるはずもなかった。
人を助けるより
どんな時期よりも助けが必要な時期
だったのだから。
夫と2人でのんびり生活しているときに
母が正体を見せていてくれたなら
わたしと夫はきっと冷静に賢明な
判断をして、母と距離を置いたことだろう。
あえて産後の混乱期に正体をあらわにした
ところが、母の何よりずる賢いところ。
母はキャリアウーマンになりそびれた
その知能を、全て娘をコントロールすることに
使ってきたようだ。
わたしは何でも母に相談報告していた。
交際している彼氏のことも
もちろん夫のことも。
結婚願望の強い時も、ない時も。
だから母は友人なんかよりは遥に
わたしのそれまでの悲喜交交を
よく知っているはずだ。
初めて大失恋をした時も
同棲を解消して実家に戻った時も
婚約破棄した時も
30すぎて一緒に縁結びのお参りを
したこともある。
わたしはわたしなりに
恋愛で傷つき、傷つけ
人生に悩み、
もうこれで最後にしたいと願い
夫と付き合い始めた。
そして34でようやく結婚に至り
これでもう運命の人探ししなくていいと
心の底から安堵した。
一生のパートナーを得たんだ。
一緒に歳を重ねていける人が
見つかったんだ。
それは、わたしがこの人生で
何よりも願っていたことで
娘が何よりの願いを叶えたことを
母ならば心から喜んでくれていると
信じて疑っていなかった。
結婚生活は、金銭面生活面では
恵まれすぎていて、本当に楽だったけれど
統合失調症という不可解な症状のある夫との
暮らしは、精神的には決して楽なものでは
なかった。
逃げ出したいと思った新婚期。
毎日のように心のモヤモヤ、夫の
奇妙な言動をブログに書いたり
母に電話して相談したりしていた
1年目。
夫の目がガラスのようになって
ものを投げる姿に
心臓バクバクが止まらなくて
わたしはこのままこの人に
殺されるのかとヨーロッパの片隅で
思っていたあの頃。
それでもわたしは寄り添い
精神疾患について勉強し
夫と毎日語り合い
彼の心を溶かしていった。
幻聴が聞こえないように、
一晩中テレビを付けっぱなしに
していないと眠ることができなかった
夫が、テレビの音量がだんだん小さくなり
寝る前には消せるようになった。
パソコンは盗撮されていると開くことも
できなかった彼が、
FBができるまでになった。
外出時はゴルゴ13のように周囲を
警戒して心の休まらなかったのが
次第にリラックスするようになった。
そんなふうに、私たちは2人で力を合わせて
知識を積み上げ、話し合って心を溶かし
多くの専門家の力も借りて、彼の症状を
軽くしていった。
付き合い始めの頃から
結婚3年目には薬の量は3分の1にまで
減った。
彼は、子どもを望んでいた。
結婚4年目。
とても落ち着いた暮らしを送れるように
なっていたわたしは、
これなら、子供ができても大丈夫かな、と
考えるようになった。
妊娠期は、本当に穏やかで
幸せでいっぱいだった。
それまでの苦悩や恐怖や葛藤を
たくさん乗り越えて、
得たものだった。
生活の苦労がなかった私たちの
結婚生活は、側から見れば
楽して贅沢しているだけに見えて
面白くなかったのかも知れない。
精神病とそのそばにいる人の
苦悩は、外からは非常に見えにくい。
だけど、人間は社会的な生き物で
言葉を使って心を交わす存在だから
思考回路に問題があって
話が通じない人と一緒にいるのは
想像を絶する苦しみがある。
常に見えない何かの恐怖に囚われて
行動する人をそばで見ているのは
胸が痛い。
そんなことを、悩み苦しみ
愛を持って乗り越え
やっと2人の絆が安定してきた、
と思った矢先に
宴の最中に
敵の奇襲を受けたのだった。
逃げきれなかった。
出産育児という宴の
最中だったから。
まさか実の母に
そんなことをされるなんて。
そんなことを、願われていたなんて。
それが悲しくて苦しくて
それなのに
何もなかったかのように
孫とのテレビ電話で高笑いしている
母に
この人の人生がいよいよ残り少なくなって
味方もほぼいなくなり
人の助けが必要になったそのとき、
奇襲のお返しをしようと考えている。
倍返しだ!!!
(懐かしい?)