大前提として
子どもに自力で生きていける力をつけ
自立させることが親の務めである。
野生動物が当たり前にやっている
その育児の大原則を
なぜか忘れている人間が大勢いる。
子どもに習い事をさせるのも
勉強をがんばらせるのも
好き嫌いなく食べさせるのも
その子に自分で生きていく力を
つけさせるためのはずなのに
それが親孝行のためと
目的がすり替わってしまっている。
厳しい社会で生きていくために
必要なことを、折に触れて
教える、背中で見せるのが
親の務め。
友達と喧嘩した時どうすればいいのか。
成績が悪かったらどうしたらいいのか。
好きな人に振られた時はどうやって気分を
あげればいいのか。
自分に自信がなくなった時、何を励みにすれば
いいのか。
やっていいことと悪いこと。
真実を見抜く力。
負けない力。
逃げる勇気。
諦めないこと。
人と自分に優しくすること。
分け合うこと。
愛すること。
愛を受け入れること。
自分で考えること。
私の親は勉強がよくできる環境を
与えてくれたし
習い事もいろいろさせてくれた。
遊びにも連れて行ってくれたし
栄養ある食事を食べさせてくれた。
親としていろいろなものを
与えてくれたと思う。
だけど、私に自分で生きる力を
つけさせることに関しては
考えていなかったのではないのだろうか。
なぜなら母は、そもそも私と
離れる日が来ることを考えていなかったのだから。
子どもはいつか巣立つという現実を
受け入れられないまま、歳を取ってしまったのだから。
靴紐の結び方を教える代わりに
母が手を伸ばして結んだ。
一緒にお菓子作りをするのではなくて
母が完璧なお菓子を作って私に与えた。
一緒に買い物に行けば
レジ袋に入れようとする横から
手を伸ばしてさっさと詰めてしまう。
娘夫婦が孫を沐浴させるのを
見守って指導するのではなくて
自分がすると赤ちゃんを奪い取って
婿を浴室から締め出した。
母には
”見守る””根気よく教える”
ということができなかった。
完璧主義でせっかちで
仕切りたがりだから
自分でやった方が早い、上手にできると
手を出してしまう。
子どもや若者を育成することに
まるで向いていない人なのだ。
勉強に関しては
母は手を出せないので
私は学校の勉強はよくできて、
成績はよかった。
だけど日常生活の基本、
生活という点に関しては
いろいろできない人間に育った。
手が不器用で紐もうまく結べない。
お金の計算ができない。
コーヒーの粉を入れる分量がわからない。
そういったことの全てを
成人してからも母が先に先に
やっていたので、
私は当たり前にできなかった。
周りからは
「箱入り娘」とか
「姫」などと言われることもあった。
本物のプリンセスなら生涯それでも
問題ないだろうけど
私はそうじゃない。
特にお金の計算ができないのは
後々困ることになった。
収入と収支のバランスを取ること。
所持金と購入するもののバランスを考えること。
20代前半の頃は
レジで所持金が足りなくて
1、2個買うのを止めることもあった。
光熱費の支払いを忘れて止められかけたり
カードの支払い日に残高確認していなくて
ブラックリストにのったり
金持ちでもないのにただの世間知らずの
お嬢さんになってしまった。
そしてそんな話を知るたび母は
「え〜!何やってんの〜!
お母さんが払っておいてあげるわ〜」と
嬉しそうに、尻拭いをするのだった。
お母さんが払っておいてあげたりするから
いつまでも自立できないということを
20代の私は母に言うことができなかった。
ただただ、自分が情けなくて
自分を責めていた。
母は、私が残高不足にならないように
大学生の頃から、社会人になっても
こっそり口座に入金したりしていた。
私はそれを親心だと感謝して
涙する日もあった。
母は、いつまでも魚の捕り方も
さばき方も教えず
ただただ、口元に魚を運んでくる
ダメな親鳥だった。
親は普通先に死ぬのだということも
子は巣立つものだということも
受けれいれずに。
今もまだ、受け入れていない。
魚の捕り方を知らないまま
この世界には自分を狙っている敵も
いるのだということも知らないまま
親に先立たれた鳥は
広い広いこの世界でただ途方にくれ
死んでいくしかないかもしれない。
私が結婚した人も
同じような育てられ方をした人だった。
自分で稼ぐことを知らないで30歳になった人だった。
使いすぎた分は親が払ってくれた。
私は離婚後生活を立て直すために
リボ払いで家具家電を購入し
カードローンで起業塾に入った。
離婚直前に、無職のシングルマザーでは
新しくカードや口座が
作れないだろうからと
慌てて新しく作った銀行口座、クレジットカード。
口座は5つ
カードは6枚もあって
それぞれにリボ払いやキャッシングがあって
収集つかない時期があった。
とにかく何かして稼がなきゃと
副業講座。
離婚当初、200万円あったそれらの借金。
今、60万まで減った。
もうすぐ、スッキリさせられるだろう。
離婚前後の混乱期
元々苦手なお金のことがしちゃかめっちゃか
になって、それから長いこと支払いに
追われることになった。
海外でしか収入がないので
日本円のその返済は親が援助してくれている。
40過ぎて親に仕送りをしてもらわないと
いけない屈辱。
そんなふうに、お金を使って
子どもの自立心、自尊心を巧みに削いで行くのが
毒親である。
お金をもらっていたら逆らえない。
離れられない。
感謝しないわけにいかない。
そうやって、支配してきたのだ。
それが親心や親切などではなく
支配であることに、40まで気づかなかった。
私が情けない人間だったわけではなくて
親がそうなるように小さな頃から
育ててきたのに
自分がダメなんだと責め続けていた。
毒親にとっては
自立しないことこそが親孝行。
母はお金のことは一切私に教えなかった。
お父さんの給料がいくらとか
毎月生活費がいくらとか
今月厳しいとか、それは高すぎるからダメとか
そんなことも、一切言わなかった。
お金は打ち出の小槌のように
湧いて出てくるものだと思っていた。
いい年になるまで。
私は親から生きる方法を教えてもらえなかった。
だから大人になってから大変だった。
自己嫌悪になったり他人に責められたり
支払いに追われたり、苦しんだ。
お金を理解しない人間は
生死に関わる危険な目に遭うこともある。
だから私は娘には自分で生きる力をつけさせる。
38さいで生まれた子どもだし、
年金をもらう年になってから
子どもにお金を送り続けるなんてまっぴらごめんだ。
そんな傲慢なかっこ悪い親にはならない。
傲慢で、身勝手で、想像力にかけた親は
歳を取ってから子どもにお金を吸われ続ける。
私は、社会人になった娘に
給料で御馳走してもらえるような
そんな健全な親になる。
自分の力で生きられること
自分でやれる自信を持てることこそが
人間の幸せだし
生き物として最低限必要なことだ。
親に対する恩返しは
「一人前に育ててくれてありがとう」
の気持ちでするもの。
一人前に育つことを願っていなかった
親に、返す恩などないと思っても
無理はないと思う。