子の心親知らず

実の母親に家庭を壊された毒親育ちのシングルマザーが親子のあり方を考察するブログ。

「お義母さんが亡くなりました。」娘の悲しみに寄り添えない毒母とのバトル。

新年早々、悲しいメッセージを受け取ってしまった。

 

義母が亡くなった・・・。

 

夫が事故?で亡くなってまだ2年ちょっと。

まだ71歳のお義母さん。

私の母と同い歳のお義母さん。

結婚していた時、とても仲良しで

本当によくしてくれていた大好きなお義母さん。

 

なんで、うちのお母さんは死なないの?

やっぱりいい人の方が先に逝く。

憎まれっ子世に憚るのか。

 

母からの、他人事のような

「リリちゃん、びっくりしないでね

お義母さんが亡くなりました」

というメッセージに

「てめえがしねよ!」と歩きながら

毒づいてしまった・・・・。

 

11月の娘の誕生日に

お祝いのお金を送ってくれて

そのお礼のメールを交わしたのが

最後になってしまった。

 

お年玉は1月になってから送るね。

今度〇〇で会いましょうね。

 

って。

 

コロナが終わったら、義母の故郷で

会おうねと話していた。

 

娘には1歳の時から会っていない。

その時には、

「子どもはしゃべり出した頃がもっと

可愛いよ〜」と孫の成長を楽しみにしていた。

 

精神病の息子を捨てた私を

憎むことなく恨むことなく

あなたが幸せならいいと

時々お金を送ってくれていた。

 

子どもに先立たれて

娘のように可愛がっていた私と

初孫にも会えなくなって

コロナ禍で故郷に変えることもできず

生きる気力をなくしてしまったんじゃないかと

想像する。

 

腎不全で急だったと。

 

食事は不摂生で、運動習慣もなく

やや太り気味だった義母。

 

息子が離婚してからは

いろいろやる気もなくしていたんじゃないかな。

 

娘を連れて会いに行き、

謝りたかった。

謝ろうと思っていた。

 

息子さんと添い遂げられなかったことを。

夫より母を信じたために、離婚に至ってしまったことを。

孫がいないのと同様の暮らしをさせてしまっていることを。

私と結婚離婚したせいで、早くに子どもを失くして

しまったかもしれないことを。

 

神様の前で誓った永遠の愛を

貫けなかったことを。

 

会って、謝ろうと思っていた。

コロナのせいもあって会う約束もできず

海外にいるために電話もできず

たまのメールだけのやりとりになっていた。

 

メールに娘の写真を添付したら

いつも、「可愛い」と名前の漢字を

間違えたまま、返信をくれていた。

 

会わせたかった。

 

娘にも、

「もう一人ばあばがいるんだよ。

コロナウイルスがなくなったら会いに行こうね。」

と話していた。

 

1歳から会っていないから

娘に記憶はない。

 

また、娘から家族が一人減ってしまった。

 

残念で、悲しくて、悔しくて

これまで数年間溜めていた気持ちを

母にLINEでとうとう言ってしまった。

 

夫と義母がこんなに早く亡くなったのは

私が離婚したせいです。

離婚になったのは、離婚出戻りを望んでいた

あなたのそばで私が出産育児をしたせいです、と。

 

私は夫の両親に謝りたいです。と。

 

他にもいろいろ書いたけど

母からの返信は

 

「私はあなたたちの離婚を望んだことは

ありません。あなたたちの喧嘩を見ていつも

心苦しく思っていました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・(中略)

あなたの考えはわかりました。」

 

だって!!!

 

実家に帰る前は

私たちは喧嘩なんてしていなかったし

出産後の喧嘩はほとんどお母さんのこと

でした。

 

って送った。

 

本当に、毒親

 

娘がどれだけ悲しい気持ちを

訴えても

絶対に非を認めない。

 

自分はいつも善意の人間のつもり。

 

子供が生まれてすぐ離婚になった娘夫婦の気持ちも

そのあとすぐに夫を亡くした娘の気持ちも

父親のいない孫の気持ちも

息子に先立たれた義母の気持ちも

自分が原因で絶縁した娘姉妹の気持ちも

夫に次いで短期間で義母を亡くした娘の

気持ちも

 

この人は、

他人の気持ちはほんのカケラも

想像できない、

脳に致命的欠陥のある人なんだ。

 

この後に及んでまだ

娘相手に自分を擁護するメッセージを

送ってくる。

 

子どもの気持ちに寄り添うなんて

考えたことのない親なんだ。

 

2020年に実家でカウンセラーに

相談しながら書いた長文の絶縁の手紙。

 

コロナでどうせ帰れないから出さなくても

いいかと保留にしていた。

 

だけど義母の死のショックで

私は何かに背中を押され

夫の家族はこれほど悲しいことが続いて

報いを受けているのに

私の母だけが何もなかったかのように

笑って生活しているなんて許されない!

 

全ての始まりは、

元凶はこの人にあるのに!

 

この人にも絶望を味わせたい!

 

せめて、私は本当はこんなふうに

思ってきたともういい加減に

わからせないといけない!

 

そう思って、あまり深く考えずに

メッセージを書き連ねて送信した。

 

私はお父さんお母さんが元気な間はもう実家に

帰るつもりはないということ。

その場所には夫との最後の思い出があって

辛くなるからと。

 

娘のためにつながっているけど

私にはもう何の感情もないと。

 

きっと、コロナ規制が緩くなったら

また帰ってくるでしょう、

7歳の七五三参りは自分たちと一緒にするつもり

でしょう、と都合よく考えている母に

義母が味わった絶望の千分の1でも

味わせたいと思った。

 

ずっと一人で抱えてきた思いを

ようやく母に伝えることができた。

 

子どもの父親の葬儀にも

よくしてくれていた義母の葬儀にも

参列できなかった。

 

実の親の葬儀にも、参列できなくても

もう構わない。

 

相続の手続きで書類が届くそうです。と

あった。

 

死んで遺すお金。

遺産相続。

 

10歳も年上の義父の方が先に

いくと思っていた。

 

義母もその遺産で老後も豊かに

暮らすつもりで、後妻として

屈辱を受けても耐えてきたと

話していた。

 

まさか、お義母さんが先なんてね。

 

相続権があるという事実だけが

私たちが家族だったことの証。

 

娘と義母は血が繋がっている。

 

私は、夫の時と同様

また書類で娘の家族の死を確認することに

なる。

 

実母を信じて里帰り出産したことが

これほど多くの悲しみと無念を

招くことになるなんて。

 

おばあちゃんから孫へのお金は

遺産じゃなくて、生前相続がいい。

 

生きて、手を繋いで一緒に

おもちゃを買いに行くのがいい。

 

入学祝いに手渡しで封筒で

現金をもらうのがいい。

 

小学校入学の時は

ランドセル買うお金送るからね、

と言ってくれていたのに

 

お金はもらっても

もう娘のランドセル姿を見せることは

できない。

 

ごめんね、お義母さん。

私のこと可愛がってくれてありがとう。

 

今度会えたら、それからは

実の母よりお義母さんのそばに

いようと考えていたんだよ。

お義母さんに少しでも恩返ししようと

思っていたんだよ。

 

間に合わなかった。

 

ごめんなさい。

天国で、息子に会えたかな。