子の心親知らず

実の母親に家庭を壊された毒親育ちのシングルマザーが親子のあり方を考察するブログ。

親から健全な愛を得られなかった私たちがすべきことは次世代にそれを繋がないこと

ドラマや映画や小説でも

親から不十分な愛しか得られずに

大人になってもいろんなことがうまくできず

孤独に生きていたり犯罪に走ったりする人が

多く描かれている。

 

子どもが親を思う気持ちは

地球一純粋で健気で、そして強い。

 

親への承認欲求は

私たちの人間関係構築の土台となり

それが親から来ていると気づくまでは

生涯にわたってずっと影響する。

 

親から受けたもの、引き継いだもの

親への思いについては

潜在意識の深い深いところに

刻み込まれているので

自分1人では気づけない。

 

三者の力が必要。

心理の専門家の介入が必要。

 

だから毒親になって子どもと

絶縁のような状態になる人は

決まって専門家に相談をしたことがない。

 

心理カウンセラーや心療内科

占いなど、そういった心理の痛いところを

ついてくる専門家を、極端に毛嫌いし

避ける。

 

いつまでも自分1人で答えを出すから

いつも間違っている。

 

毒親は家族にさえも相談しない。

相談というのは、私に何か悪いところがあるのか、

私が自分自身を変えられる部分があるのではないか

そう謙虚に考えられる人がするもので

 

思い通りにいかないことがあった時

自分は完璧なのだけれど

相手が悪い、あいつがおかしい、

周りが悪いという思考になるから

愚痴や悪口は言っても、相談はしない。

 

例え子どもが絶縁状を置いて

出て行っても、まだ相談しない。

 

三者に、ずっと隠してきた部分を

痛いところを指摘される屈辱に

耐えられないと考えるからだ。

 

彼らが守りたいのは

子どもとの関係でも

子どもの幸せでもなく

自分の心。

自分が今まで深層心理に蓋をすることで

築き上げてきた幻想の城。

 

Youtube毒親カウンセラーの動画の

コメント欄も、子ども側の人ばかりで

親側の人がいないことが、それを

示している。

 

私の子育ての、何がいけなかったんでしょうか。

どうしたら、子どもに許してもらえるのでしょうか。

 

そんなふうに謙虚に思える人は

そもそも毒親にならない。

 

私の親や親戚は、赤ちゃんや幼児の好ましくない言動を

見て「誰に似たんや!」と言う。

 

「誰に似たんや!」

 

この言い方には、自分には責任がないという

想いが込められていて

尚且つ好ましくない親族の誰かに似ている部分を

その子に見つけて憎たらしい、という感情を

感じる。

 

6歳以下の子どもには遺伝的な性格など

まだ現れず

ほとんどが乳幼児期の全員共通の発達の

特徴を示しているに過ぎないのに

 

専門家に学ぶ姿勢を持たない

毒親達は

いい部分は自分に似ていると言い

悪い部分は家族の他の誰かに似ていると言う。

 

私は、娘に対して親や伯母がすぐに

こう言うのがすごく嫌だった。

 

だけどこの間、自分も同じことを

言ってしまった。

 

娘が何か私を腹立たせることを言って

思わず「誰に似たんや!」と言ってしまった。

 

そしたら娘が「ばあば」と言ったので

余計に腹が立って

「ばあばに似てるんやったらママもう

りんごと一緒にいたくない」と

言ってしまった。

 

寝る前だったので

娘は黙って涙を流しながら横を向いて

寝てしまった。

 

しばらく怒りが収まらなくて

悶々と布団の上で目を開けていたのだけれど

「ああ、自分が言われて嫌だったこと

こんな小さい子に言ってしまった・・・

私とばあばの関係が悪いのは、この子に罪がないのに

そのことで娘をただ傷つけている。」

と反省して

 

そっと娘の手を握った。

 

ごめんね・・・

 

子どもは家族円満を何より願っていて

自分がママを好きなのと同じように

ママもばあばのことが好きなはずだと

そうあって欲しいと思っている。

 

家族の誰かを憎んだり

会いたくないと思っていたりする

大人の事情は、理解できずに

ただ悲しむだけ。

 

でも、

親が小さい子どもに

「ごめんね・・・」と言うのって

なんて悲しいんだろう。

 

親にごめんね、と言われる

幼い子どもは、その言葉に

深く傷ついている気がする。

 

そんなことを

『ミステリというなかれ』

の第4話の最後に思った。

 

愛せなくてごめんね

余裕がなくてごめんね

あなたの欲しいものを

与えてあげられなくてごめんね

そばにいてあげられなくて

ごめんね

 

 

その言葉には

なんとかしようと言う強い意志や

明るい希望はもうなくて

 

親がそのことに対してもう

どうしようもないのだと

あなたも受け入れてくれ、と

諦めが感じ取れる。

 

子どもは本来夢と希望でいっぱいの

存在だから

そんな親の諦め、絶望のような

気持ちが伝わってきて

どうしようもなく、悲しくなる。

 

6歳になった娘は

ひとり親の私に、いろいろと

無い物ねだりをする。

 

犬が欲しい。

パパが欲しい。

じいじばあばのお家に行きたい。

日本が好き。

Aちゃんのお家に行きたい。

Bちゃんと遊びたい。

 

どれも今の私にはすぐに

叶えてあげられないことばかりで

それを言われるたびに

娘に「足りない足りない」と

言われているようで

胸が痛んで、だから怒りが出てくる。

 

私は私なりにできることを十二分に

やって、与えているつもり。

 

母子家庭とは思えないほど

贅沢な旅をしているし

おもちゃは友達の中で一番多いくらいだし

遊びに行きたいと言った場所は

ほぼ連れて行っている。

 

食べたいもの

行きたい場所

欲しいもの

 

今の私にできることなら

全部、与えている。

 

だけど娘は

足りない足りないと言う。

 

そして、私も本当はわかっている。

 

娘が本当に欲しいものは

パパで、じいじばあばで

大人数の家族で

癒してくれるペットで

言葉と気持ちが通じ合える友達。

 

娘の幼稚園のお友達には

七人の家族がいる。

三人兄弟、両親、祖父母。

家族だけでもう十分賑やかだ。

 

その家族に娘が1人だけ混じって

食事に連れて行ったもらったことがあった。

私が仕事で遅くなる時に、預かってもらったのだ。

 

帰ってきて娘は

「Hちゃんのお家は七人も人がいるんだよ。」

とどこか悲しそうに話した。

 

Youtubeで、パパと子ども2人が遊んでいて

ママが動画を撮影していて、さらに犬もいる

家族を見ていて

だから娘は自分もそうなりたいと言う。

 

わかってる。

その方が幸せだろうって。

私だってそれを望んでいたし

そうなれると信じていた。

 

でも、なれなかった。

 

諦めたわけじゃないけれど

とにかく今日明日にはそれは

叶えてあげられない。

 

まだ定住場所を決めていないから

今犬は飼えないし

新しいパパなんて、明日はいきたよ、って

できない。

 

じいじばあばの家にはもう

数年は行かないってママは決めてしまった。

 

日本のお友達に会える日も

まだまだ先かな。

 

どうにもできないことを

毎日毎日ねだられて

無邪気に不足を指摘されることが

苦しい。

 

最近は夜寝る前に娘がそう言うことを

言いがちなので、怒って泣いて寝ることが

よくある。

 

おもちゃより、犬がいいよね。

遠くに旅行に行くより

家族と集まって近場で遊ぶのがいいよね。

知らない場所を観光するより

アパートの下で仲良しのお友達と遊ぶ方が

いいよね。

 

子どもはそれを望んでいる。

わかっているけど、できない自分に

ママも苦しいんだよ。

 

でも、だからと言ってなんの罪もない娘に

家族への憎しみを伝えるようなことを

してはいけない。

 

足りない足りないと言う子どもが

悪いのだと、責任転嫁をしてはいけない。

 

だからと言って

ごめんね、ばかり言うのもいけない。

 

あなたはすでに満たされているし

これからもっと満たされる。

お友達と家族の形は違うかもしれないけど

そのぶんこんな凄いところがある、

いいところがある。

あなたはみんなに愛されている。

 

私もまだ学びの途中、

成長途中なのでなかなか難しいけれど

親から受け継いだ悲しみを子どもに渡さないように

「すでに満たされている」ことに

フォーカスして暮らしていこうと思う。

 

ママが笑っているのが、子どもにとって

1番の幸せだから。