これは娘の運命なのか、
私の運命なのか
子の父方の家系の運命なのか・・・
私は、元夫、子どもの実の父親の
早すぎる死を
子どもが受取人の相続の請求書と
それに必要な戸籍謄本の文字で
確認した。
戸籍に記載されている
「死亡」の2文字。
保険会社のレターヘッドに書かれている
「ご逝去に際し、お悔やみ申し上げます」
という文言。
義父から私の母へ電話連絡があったことを
母から時間差で聞いただけで
病院に駆けつけることはおろか、
葬儀にも参列できず
生前深く交流して情のある人を
失う。
2017年別居
2018年離婚成立
2019年私と娘が日本を離れた日に
夫逝去
2022年義母逝去
娘と血の繋がった
この2人の死に
私が責任を感じないはずがない。
私を愛してくれていた
この2人から
私は生きる希望を奪った。
自殺じゃない。
転落死と病死だと聞いている。
だけど、それも
生きる気力と希望をなくしてしまった
からこそこんなに早くに起きた気がする。
義母からの相続があると母から聞いて
なんのお金だろう?と思っていた。
届いた書類は
死亡保険金請求書だった。
義母は、保険の受取人を娘にしてくれていた。
多分、最初は息子、つまり私の元夫に
していたと思う。
でも息子の方が先に死んでしまって
その後、受取人を孫に変更しておいて
くれたんだろう。
そこに、義母の私と娘への愛を
感じて、とても悲しくなってしまった。
1才から会わせていなかった。
0才の時に2回
1才の時に1回会っただけの孫。
義母にとっての初孫で
たった1人の孫だった。
もう6才になった娘。
1才から会わせていないのに
保険金をこの子に遺そうと
考えてくれていたことが
私が離婚したせいで
息子が早くに亡くなったのに
恨まずにお金を遺そうと
考えてくれていたことが
辛い。
私はなんて親不孝なんだろう。
義母がどれほど孫に
会いたかったか
分からないでもなかったのに
だけど日本を離れて
すぐにコロナで世界の移動が難しくなって
会いたくても会えなかった。
日本にいた2020年、
夫の初盆の前に、2回くらい
電話で話した。
息子に先立たれたことに関して
「運命だよ。仕方ない」
と受け入れているかのように
聞こえて、
やっぱりこの人は強いな、と
思ったりしたけれど
子を亡くして平気で暮らせる
人なんていない。
統合失調症の息子に悩み
疲れ、ふとやってきた私を
救世主のように思ってくれていた
義母。
これで息子の人生にも希望ができたと
老後の心配が減ったと
だからこそ、私のことを大切に
してくれていた。
それなのに、
孫が生まれた途端に
ひどいことをしてしまった。
私だって不本意で
全ては私の母の企みによって
引き起こされた悲劇ではあるけれど
それに気づかず
親離れできていなかった私に
責任がないわけじゃない。
どっちが本当に私を
大切に思ってくれているのか
実の親への盲目的な信頼から
真実が見えていなかった。
相続があると聞いたときは
借金を抱えて親からの援助も
断ち切られてしまった今の私は
正直、お金が入ってくる!
助かった!と思ったけれど
いざ
被保険者の義母の名前と
その隣の受取人にある娘の名前を
見たら
その思いと自分の親不孝が
辛くて苦しくて
涙で書面が見えなくなった。
この2人の縁は
一体なんだったんだろう。
1才から会っていないので
娘はもう1人ばあばがいることを
認識していない。
コロナ制限が緩和されたら
義母の故郷で会おうねと
話していた。
私は日本にはもう住みたくないけれど
義母の故郷なら
だからもし義父が先に亡くなって
義母が1人残ったなら
私は最後は義母と私と娘と
3人で暮らしてもいいとさえ
考えいた。
赤ちゃんじゃなくなった孫に
一目会うことも、叶わなかった。
コロナの制限は
大切な人との別れの機会さえも
奪っている。
会いたい時に会うこと。
きちんとお別れをすること。
今度ね、の今度は
来ないかもしれないということ。
私の娘のことを愛おしく思っている人は
たくさんいるのに
娘のそばには私しかいない。
想いだけが
宙を彷徨って
時にお金に形を変えて
やってくる。
本当は、生きて
笑って、一緒に時を
過ごしたかったな。
娘が生まれてすぐ
義母は私を連れてゆうちょの娘名義の
口座を開設した。
そこにこれからお金を入れていくからね、
と話してくれていた。
結局、その口座に義母がお金を
入れる暇もなく
私たちは会えなくなり
そして義母は死亡保険金という形で
想いを孫に渡すことになってしまった。
もっと、会わせてあげたかった。
一緒に、時間を過ごしたかった。
親不孝でごめんなさい。
頂けるお金は
娘が笑顔になれることに使って
いこうと思います。