子の心親知らず

実の母親に家庭を壊された毒親育ちのシングルマザーが親子のあり方を考察するブログ。

親の死目に会えないかもしれないということ

先週土曜日、暇だったので
娘がじいじばあばと電話したいと言い
電話をかけた。

 

珍しく、母が体がしんどいと言って

元気がなかった。

 

いつも何時間も電話を繋ぎっぱなしに
するのだけど、母の方から
「ばあばちょっとしんどいから、もう
バイバイしようか。ごめんね。」と
娘に言っていた。

 

後からお腹が痛かったんだと
メッセージがあった。

 

母は

「私がしっかりしてないと家庭は

回らないんだから!」という

勘違いの責任感と使命感のためか

 

70過ぎまでほとんど病気を

したことがない。

 

誤嚥性肺炎には何度かなったことがある。

夫と2人で実家にお世話になっていたときにも

なって、ひどく咳き込んで私は心から

心配した。

 

母が熱を出したりして横になっている姿は

生まれてから45年で2度くらいしか記憶がない。

 

雪道をバイクで転倒して膝に大怪我をした時も

病院に行かずコンビニの仕事に出かけていた母。

 

「私がいないと職場も家庭も回らない」

 

その勘違いの使命感が

母から病気や怪我を遠ざけていたんだと思う。

 

今年の1月に義母が腎臓の病気で亡くなったと

聞いた時、同じ歳の母は

なぜ病気一つしないんだろう、

厄を全部子どもにぶつけてきたからじゃないのか

などと思った。

 

母は実際、ストレスを自分の中に溜め込まず

私にぶつけてきたと思う。

 

私を支配して自立させないことが

母の生きがいになっていたから

彼女は元気でいられたのではないか。

 

孫を産んだ娘から夫を追い払い

母親として一番やりがいのあった

子育て全盛期のあの喜びを、充足感を

もう一度体験してやろうとした計画が

 

途中で挫折して、娘と孫が遠くに行ったまま

コロナだ戦争だ物価高だという厳しい時代に

突入した。

 

素直に妻に感謝している

真面目な夫が一緒にいるのだから

別に不幸ではないはずだけど

 

母の生きがいは何より子ども、

特にこの私だったのだから

気力が多少抜けていても不思議ではない。

 

年を取ると特に、

気力の欠如が体の不具合に直結してくる。

 

魂がこの世界で生きる動機や力を

なくした時、途端に肉体の老いが

加速する。

 

そんなふうにして

息子に突然先立たれた義母は

あっさり旅立ってしまった。

 

私は夫と義母の葬式に参列できなかった。

その死の知らせさえも、すぐには

もらえなかった。

 

だから、もう覚悟した。

 

コロナ禍で海外にいる身。

 

親が死んでも、すぐには駆け付けられない。

 

もしも妹が先に死んだら

両親は絶縁した私にはそのことさえも

すぐには知らせないのではないかと

思っている。

 

家族の死目に会えない。

そんな宿命を持っているんじゃないかと

考えさえする。

 

生前どれほど争いや葛藤やモヤモヤした

気持ちがあっても

家族がこの世を旅立つときには

きちんとお別れをしたいけれど。

 

したかったけれど。

 

夫の、というつもりで

手元仏壇を置いているけれど

遺影もないし位牌もない。

 

お彼岸に一応お供えしてみるも

彼がここにいる気はしない。

 

壮絶な争いを経て離婚した後で

亡くなった夫。

 

その母親。

 

私はどんなふうにお供えして

どんな気持ちで手を合わせればいいのか

正直よくわからない。

 

この先両親が老いていき

弱音を吐くようになるかもしれない。

 

病気になったとき

怪我をしたとき

介護が必要な状態になったら

危篤になったら。

 

私は今年の1月

義母が亡くなったショックで

母に感情任せにLINEを送った。

 

「もう誰の死に目にも会えない覚悟です。

お父さんお母さんが元気な間は帰りません。」

 

でも実際に、もし死んだら

私は絶対に泣く。

膝から力が抜けて、号泣するだろう。

 

そのとき、私の隣に肩を抱いてくれる

大きな手がないなんて考えられない。

辛すぎる。

 

私を抱いてくれる腕がないのに

私が一方的に悲しむ娘を抱きしめなければ

ならないのは、辛すぎる。

 

だから、ずっと前から決めている。

 

パートナーができない限り

故郷には帰らない。

 

それが、私から夫を

娘からパパを、義母から息子を

結果的に奪った母に対する復讐。

 

今度日本へ帰るときは

パートナーと一緒に帰る。

 

新しいパートナーと

母の故郷へ行く。

 

それで、何か浄化できるような気が

している。