子の心親知らず

実の母親に家庭を壊された毒親育ちのシングルマザーが親子のあり方を考察するブログ。

パパがいないこと、子どもの気持ちを尊重すること

娘は5歳ごろから

「パパが欲しい」と言うようになった。

 

絵本やアニメの世界は”普通”ではない

家庭には残酷なもので

バーバパパファミリーにも

ペッパーピッグファミリーにも

中心的存在としてパパがいる。

 

子どものためにいろいろ頑張ってくれるパパ

力もちでたくましいパパ

この世界のお話を優しい声で語ってくれる

パパ

ちょっとおっちょこちょいで

家族に笑いを届けてくれるパパ

 

そんな素敵なパパたちの姿は

例え架空のものであっても

パパのいない子供にも日々

容赦無く届けられる。

 

いいな、私もこんなパパが欲しい。

 

幼い子供がそう思うのは当たり前のことで

さらにはお友達にも、みんなパパがいるのだから

 

アニメや絵本のパパほど素敵ではなくても

ママより広い背中で、易々と肩車してくれる

パパがいるのだから

 

お友達が持っているものは

なんでも欲しいと思う年頃。

 

みんなに愛されているという確信が

欲しい幼少期。

 

自分を愛してくれる家族は1人でも

多いほうがいい。

 

私は娘に

パパは死んで、もうこの世界に

いないから会えないということを

話している。

 

娘は写真の中のパパしか知らないけれど

私に怒られた時などに

「なんでパパいないの〜、

りんごにもパパがいたらよかった。

ずるい!」と泣くことがある。

 

ママに怒られた時

慰めてくれる存在がないことが

幼い心には痛いのだろう。

 

パパがいたなら

パパの膝に乗って

「ママ悪い〜」とその痛みを

軽減することもできただろうと

幼いなりに想像しているのだと思う。

 

2015年(平成27年)に行われた調査では、

一般世帯が5,300万世帯以上

その中に占める母子世帯がおよそ75万世帯(1.42%)、

父子世帯がおよそ8.4万世帯(0.16%)

 

コロナ以降もっと増えていると思う。

 

数で見れば少なくないけれど

割合ではやはり少なくて

周囲の同年齢の子どもの中に

ひとり親家庭の子はいない。

 

中国でも同じだ。

 

子供が6歳以下で離婚する人は

意外と少ないのかもしれない。

 

だから娘は

「みんなパパがいる。

私はいない。」そう思ってしまう。

 

何か「欠けている」という感覚。

 

私と2人でゲームをして

とても楽しいけど

 

2人でいろんなところへ

旅行したり遊びに行ったりして

欲しいおもちゃも洋服も

なんでも買ってもらえるけれど

 

何不自由なく暮らしていても

どこか常にある

「足りない」という感覚。

 

新しいパパ買えたらいいのに。

う〜ん人間は買えないからね、

それだとロボットパパになるけど

それでもいいの?

 

そんな会話したり。

 

昨日ケンタッキーで朝ごはんを食べた時に

キッズセットの景品が絵本だった。

 

それがよりによって

「足の長いパパ」という本だった。

 

本の最後に

「あなたの素敵なパパはどんな人?

絵を描いてね!」とお絵かきページが

あった。

 

寝る前、それを見て

「でもりんごパパいない」

というので、

「じゃあ、りんごが欲しいパパを

描いたら?上手に描いたら

神様がパパを連れてきてくれるかも

しれないよ。」と言った。

 

「うん!描く!」

 

と色ペンを使って一生懸命描いた。

 

 

自分を肩車して笑っている

理想のパパ。

 

「上手?」

「うん、とっても上手。

これなら神様きっと届けてくれるね。」

 

この絵本を持って

寝る前に神様に真剣にお願いした娘。

 

朝起きてすぐ

「ママ、りんご寝る前に神様に

パパお願いしたのにパパいない。」

 

「そりゃあ、朝急に家にいたら

おばけじゃん。おばけパパ、

妖怪パパでもいいの?」

 

「そんなこと言わないで!」

 

「ごめんごめん。でも人間だったら

昨日いなかったのが朝急に家にいたり

しないでしょ。ちょっと時間がかかる

んじゃない。」

 

こんな切ないやりとりを

もう何度したことだろう。

 

離婚したパパが元気にどこかで

生きていて

月に一度会える場合でも

「一緒にいない」こと

「パパとママが仲良くない」ことが

少なからず子どもを傷つけているはず。

 

ひとり親家庭の8割が離婚によるもの

だそうだけど

 

離婚であっても死別であっても

「パパ、あるいはママのどちらかが

いない」

「他のみんなにあるものが自分にはない」

 

ことはやっぱり子どもの心を痛めてしまう。

 

大人は時間と共に痛みを癒し

義務や任務に追われ、

多くの人と出会いと別れを繰り返す中で

前を向いて歩くようになるけれど

 

子どもにとっては世界でただ1人の存在で

どこまでいっても恋しい存在なのかも

しれない。

 

ある雑誌モデルのシングルマザーが

コラムで書いていた。

 

娘さんが0歳の時に離婚して

今5歳になった娘さんは

状況をよく理解していて

 

「うちにはパパがいないけれど

ママのいない子もいる。犬を飼っている家も

あれば飼っていない家もある。

いろんな家族がいる。」

 

それを理解してくれていると。

 

ある日2人でお花を買いに行ったら

たまたま父の日だったので

店員さんが

「パパにプレゼント?」と何気なく

聞いたのだそう。

 

その瞬間に娘さんはすかさず

「うちにパパはいません」と

毅然と答えて、感心したと

書いていた。

 

私はやっぱり、この子は自分の

本当の感情に蓋をして、無理を

しているのではないかと思った。

 

ママがパパに会いたくないことを

感じ取っているからこそ

ママの前で”パパがいなくても平気!”

と毅然と振る舞っているように

感じられる。

 

私も娘に話している。

 

パパのいない子もいるし

ママのいない子もいるし

どっちもいなくてじいじばあばの

お家にいる子もいる。

 

兄弟がいる子もいれば

いない子もいる。

 

いろいろいるんだよ。

 

だけど娘はわかりたくない

様子だ。

 

そんなのずるい。

パパが欲しい。

兄弟が欲しい。

犬が欲しい。

 

”全部欲しい。

あれもこれも欲しい。”

 

そう思うのが

小さな子どもというもので

 

その欲望こそが生命力の証

であり

 

全然大丈夫です!

私は何も欲しくありません!

 

と、90歳の老人のように

そんなことを言うのはおかしい。

 

私はどんな状況でも

「子どもの感情を最優先にすること。

子どもが素直に感情を吐き出せる親で

あること」

を育児の最優先事項にやってきた。

 

子どもの感情を優先するとは

わがままを聞くとか好き放題やらせるのではなく

 

感情を押さえつけない、ということだ。

 

痛い時に「痛い」と言える。

悲しい時に泣ける。

腹が立ったら怒る。

言葉にできないモヤモヤを

体でぶつけてくるのを受け止める。

 

それだけは、大事にしてきた。

 

私自身が親に感情を蔑ろに

されてきたことが

成長して親に対して心を閉ざす

要因になったから。

 

「痛い!」

「それくらい痛くない!」

 

「なんでわかってくれないの!

私こんなに悲しいのに」

「お前はお母さんの気持ちわかってるんか!」

 

そんなふうに

感情を、感覚を、すぐさま否定されて

育った。

 

そしてそれは明らかに不健全で

親子の立場が逆転している現象なのだと

精神病の夫を持って、心理学を学んで

よくわかった。

 

親が自分の感情を子どもの感情より

優先してしまっているが故に

 

子どもが痛いと自分が不安になる、

あるいは責められている気がするから

嫌だ→「痛くない!痛いはずない!」

 

子どもが気持ちをわかってくれと訴える

→気持ちをわかって欲しいのはこっちだ!

 

親になる覚悟とは

「自分の感情より子どもの感情を

優先すると決めること」

 

www.snowwhite-escape.com

 

正直子どもに

「パパが欲しい」と言われるのは辛い。

 

だけど、私が受け止めなかったら

娘は他にその気持ちを訴えられる人が

いない。

 

だから

「そうだよね。パパいたほうがいいよね。

一緒に神様にお願いしよう。」

 

そうして受け止めて

1人涙する夜もある。