子の心親知らず

実の母親に家庭を壊された毒親育ちのシングルマザーが親子のあり方を考察するブログ。

母が描いた家族計画の間違い

実家のリビングのテレビ台に

家族写真が飾ってある。

 

ほとんどは孫娘だけの写真だけれど

1枚だけ

 

父と母と私と妹

そして母は腕に生後1ヶ月の孫を抱いている。

 

100日祝いの時に撮ったものだ。

 

この時は夫と伯母もいた。

 

撮影者を換えて、何枚か撮った。

 

母が飾っているこの写真の撮影者は

夫だったと思う。

 

夫が写っている写真も撮った。

ただ、私と夫は並んでいない。

 

どの写真も、

前列の私と娘の隣に母。

夫は、後列に申し訳なさそうに

写っているのだった。

 

この写真に

母の間違った思いの全てが

詰まっている。

 

母は、孫が生まれるとわかった瞬間

自分が築き上げてきた自分たち夫婦と

娘2人の4人家族に、孫娘が1人増えると

考えたのだ。

 

そこに、娘婿はいなかった。

 

母は、孫が増えて5人家族になると

大きな勘違いをしたようだ。

 

ここに他人である娘婿が加わることは

受け入れられなかった。

 

私が結婚した後も

私が自分と別の所帯になったことを

母はずっと受け入れていなかった。

 

戸籍を抜いて、他人と入籍し

世帯から外れて遠い場所で

暮らしていても

 

母は子どもが自分と別世帯になったことを

心で受け入れていなかった。

 

今でも。

 

母は45になり、外国で働いて子どもを1人で

7歳まで育ててきた私が買い物する時

レジの番になると決まってスッと

現れて

 

財布をゴソゴソし

「お母さん出そうか」とやる。

 

年金をもらっていて

仕事はもうたまの非常勤しか

やっていない70代の母が

 

外国で教師をやっている40代の

成人女性に対して

食べ物などのちょっとした買い物を

自分が払おうとする。

 

私が父と一緒に昼食に行き

お金を払ったと聞いた時には

「え!ママが払ったん!」と

たいそうに驚いて見せる。

 

父と一緒にいる時に

私が出した分は

母は必ず返そうとするが

私の分を払った時には

「いやいいよ、そんなん!」

とめちゃくちゃ拒絶する。

 

母にとって

私はいまだに扶養家族である子であり

奢ってもらう筋合いなどないと

いうわけだ。

 

お金を出すという行為には

その関係性によっては

優位に立ちたい、優越感を感じたい

支配欲を満たしたい

そのような醜い欲求が隠れていると思う。

 

マウントの一種。

 

母は私たち夫婦の住む家に

赤ちゃんに会いたくて入る時

バツが悪そうにそそくさと赤ちゃんのところへ

直進した。

 

夫婦2人で暮らす家には

海外だったのもあって来たことがない。

 

離婚後、私が娘と2人で暮らした家には

玄関より中には入らなかった。

 

大学生で一人暮らししていた時は

合鍵を持っていて

いない時にもやってきて

片付けをしたりしていたのに。

 

大学生の1人暮らしは

両親から資金を出してもらっていたので

親の支配下だった。

 

だから母は堂々と娘の部屋に

入ることができた。

 

結婚後、所帯も家計も完全に

別になったら

母は娘の家に入ることが

できなくなった。

 

娘が独立しているという

現実を、見たくなかったのだと

思う。

 

ものすごく、不自然だ。

 

玄関先で持ってきたものを

手渡して、苦々しげに

そそくさと帰っていく母。

 

その態度からは

「私は認めない」という

気持ちが鈍感な人でもわかるほど

はみ出していた。

 

過干渉の親は

子どもが巣立つことを、

大人になって自分の援助が

不要になることを

 

どうしても受け入れられない。

 

それは自分の存在価値の否定であり

子育てだけに全てを費やして

自分を犠牲にして尽くしてきた

人生の否定になるからだ。

 

母の歪み切った思考回路では

孫の誕生は自分の家族が1人増える

ことだった。

 

伝統的な概念でも

孫は夫家族の一員となり

嫁の両親にとっては”外孫”で

節度ある距離を保たなければならず、

自分のものにはならない。

 

孫に会うためには

婿の許可が必要で

義理両親に気を遣うのが

一般的な考え方だ。

 

母はそれを、絶対に

認めることができなかった。

 

孫は私のもの。

こんな頼りない遊んでばかりいる

婿に渡してたまるものか。

 

婿が娘と仲良くしている限り

自分は孫に会うのに遠慮し続け

なければならない。

 

孫が生まれると聞いた瞬間から

母にとって夫は邪魔な存在となった。

 

離婚して、娘と孫がこの家に

戻ってくればいい。

 

そこの保育園に行ってね。

ばあばが送り迎えしてあげる。

美味しいご飯作ってあげる。

 

そこの小学校行ってね。

私も経験あるんだから

いろいろ教えてあげられるわ。

 

そしてそのまま

死ぬまで一緒に暮らしましょうね。

 

母の頭の中の計画が

はっきりと見えた時

私の心は凍りついた。

 

この人は、根本が間違っている。

 

友人のオーストラリア人のお姑さんは

友人が子供を産んだ時

「私たちに孫を授けてくれてありがとう。

あなたのおかげでおじいちゃんおばあちゃんに

なることができました。」と

メッセージカードを送ってきていた。

 

孫というのは

息子に嫁がいるからできるもの。

娘に婿がいるからできるもの。

 

パートナーあって初めて

自分たちはおじいちゃんおばあちゃんに

なることができたのだという

感謝の気持ち。

 

娘の親なら

婿にありがとう。

息子の親なら

嫁にありがとう。

 

この気持ちがなければ

3世代の良好な関係は

生まれないと思う。

 

母にはこの気持ちが一切ない。

 

それどころか

孫を自分のテリトリーに置くために

婿を死に追いやり

義母の寿命を縮めてしまった。

 

私はこう思っている。

たくさんの自己分析や家族療法セッション

セラピーを受けて必死に自分と家族と

向き合った結果

見えた答えがこれだ。

 

今私が娘を連れて実家にいることで

母はもう大丈夫になったのかなと

勘違いしているかもしれないが

 

私は1日に1回は心の中で

「絶対に許さない」と呟いている。

 

夫と義母。

2人は可愛い娘との時間をほとんど

過ごすことのないまま

この世を去ってしまった。

 

それからの私の苦しみと努力、

パパがいない、家族が少ないことで

傷ついた幼い娘の心を思うと

 

その要因を作った母を

許すことはできない。

 

認めもしないし反省も謝罪もないから

許すも何もないけれど。

 

元々の4人家族に孫が増えて

5人家族になる。

 

この母の大きな勘違い計画は

すでに破綻した。

 

まず、妹は抜けた。

そして、私と娘はまだつながっている

けれど、母が計画していた

実家出戻り暮らしは回避したし

 

完全に突き放す時も

そう遠くはない。

 

本音を言わず我慢してきた父は、

ストレスを溜める性格なので

おそらく母より先に逝くだろう。

 

残るは、母1人。

 

強欲な過干渉母が計画した

家族は崩壊し

最後には1人残る。

 

母には

自分がしてきたことの全ての

結果を、最後の最後に

たった1人で引き受けてもらうつもりだ。