子の心親知らず

実の母親に家庭を壊された毒親育ちのシングルマザーが親子のあり方を考察するブログ。

完全ワンオペ育児で一番辛かった時期

私は子どもが1歳2ヶ月の時から夫と別居して

2歳で離婚した。

 

それから7歳まで、完全ワンオペで育ててきて

一番辛かった時期を今振り返ると

 

生後2ヶ月の頃と

2歳の時だ。

 

生後2ヶ月の頃は

実家の近くに夫とマンスリーマンションを

借りて育児していた。

 

夫は無職で、ずっと家にいたけれど

その頃は精神状態が非常に悪くて

うつ状態になったり、切れて暴れたり

統合失調症の症状で変なことを言ってきたり

夫に振り回されていた。

 

娘はまだ生後2ヶ月で

私は一日中授乳とおむつがえなどの世話に

追われ、当然毎日睡眠不足だった。

 

母親なら誰でもキツいこの時期

私は加えて精神疾患が再発していた夫と

さらに夫を追い出したい実母に

挟まれ、意味のわからない状態だった。

 

一度だけ、娘を夫のそばに置いて

もう死ぬから!と言って

家を飛び出したことがある。

 

2月の夜にコートも着ずに飛び出して

2時間ほど神社の裏で号泣して

やっぱり娘に会いたくて戻った。

 

子どもの愛らしさと神々しい命の輝きが

周囲の未熟な大人たちの醜い言動を全て吹き飛ばすほどの

パワーで私を生かしてくれていた。

 

そんな夫から逃げるように離れて

シングルマザーとなった時期は

ちょうど2歳のイヤイヤ期と重なった。

 

別居中は実家にお世話になっていたけれど

離婚届を提出した2週間後にはもうアパートを

契約して、3週間後には実家を出た。

 

離婚が成立すれば、児童手当も私の口座に入るし

ひとり親家庭手当ももらえるから

やっていけるかなと思った。

 

でも、全然やっていけなかった。

 

都会の片隅に借りた2DKのアパートで

2歳の娘と暮らし始めて

まず引っ越し作業が死ぬほどしんどかった。

 

購入した大型家具の組み立ても

電気の取り付けも

絨毯を引くのも

育児の合間に全部女1人でやるのは

本当に死ぬほどキツかった。

 

ネジを回しすぎて指にタコができた。

 

組み立てたばかりの棚を

娘が倒しそうになった時は

大声を張り上げた。

 

朝保育園に行く時間が迫っているのに

着替えをイヤイヤする娘の手をつかんで

突き飛ばしたこともある。

 

女腕片手でいとも簡単に吹っ飛ばせるくらいの

小さな体を突き飛ばして

びっくりした娘の無垢な顔に

涙が溢れた。

 

ママ頑張ってるんだから

協力してよ!!

 

そんな無理なことを

2歳児に向かって叫んでいた。

 

2歳のイヤイヤ期は、本当に大変だった。

 

離婚したてのあの頃

私は人並みの暮らしをしようと

無理をしていた。

 

週末には家族連れで賑わうショッピングモールに

2人で行き、普通の家族みたいにしたかった。

 

それなのに

広い道路を渡る時に娘が手を振り払おうとして

「危ないから離しちゃダメ!!」と叫びつつ

小さな手を力いっぱい引っ張って

道路の真ん中で立ち往生したこともある。

 

店内でも言うことを聞かない娘に

何かもかもが思い通りに行かなくて

周りのパパのいる家族連れが目について

悲しくて虚しくて

人目も憚らず大声で

 

そんなことするんだったら

もう帰るよ!!!とか

置いていくよ!!とか

 

あの頃は、外でも時々大声で

娘を叱っていたような気がする。

 

それは叱っているというより

お願いだからママを困らせないで!!

普通の家族みたいにしてよ。

 

そんな私の心の叫びだった。

 

1人でもちゃんと子どもを楽しませて

あげられるんだと自分に証明したくて

週末あちこちに出かけていた。

 

屋外プールに連れて行った時

昼食を買うためにフードコーナーに

足早に向かっていた。

 

行列ができているから

早く行かないとと思って

足早になっていた。

 

2歳の娘はそんなママに必死に

ついていこうとしていて

転び、膝から血が出た。

 

立ち止まることを余儀なくされた私は

心配よりも怒りが先に出て

もう!なんで!と言っていた。

 

プールの保健室のようなところで

絆創膏をもらい午後もまたプールに

入ったけれど、傷は思ったより酷くて

水に入ってしばらくすると娘は

痛いと言い出し、仕方なくプールを出た。

 

こんな時家族3人だったら

パパに昼食を買いに行ってもらえれば

娘を早歩きさせることもなかった。

 

あの頃の私は

そんな思いを常に抱えながらも

見ないようにして、必死に無理にでも

”人並みの家族、人並みの育児”を

しようとしていた。

 

最初からよくも悪くも人並みなんか

じゃなかったのに。

 

母子家庭だから他の家の子より

レジャーが少ないとか

外食が少ないとか

そんなのは私には許せなかった。

 

無理していた。

 

新居の家具家電や日用品の購入は

ほぼカードのリボ払いでやってたし

両親から仕送りももらっていた。

 

そうしないとスタートできなかった。

 

在宅でできる仕事のためにと

起業塾に通うために人生で初めて

銀行のカードローンを使った。

 

先のことを考える余裕はなく

ただ今この瞬間を人並みにやることに

必死だった。

 

そんな日本での無理ばかりの

二人暮らしを潔く捨て、

3歳で海外に出て

生活は地獄から天国に飛んで行ったくらい

楽になった。

 

それから7歳の今まで

やっぱり2歳の日本での二人暮らしが

一番辛かったなあと思う。

 

イヤイヤ期と離婚が重なって

まあ大変なんてもんじゃない時期だった。

 

だから今育児ストレスマックスのママには、

希望を持って欲しい。

 

ずっと同じじゃない。

子どももママも日々成長しているから

絶対楽になる日が来る。

 

可能な限り頭を振り絞って

自分が少しでも楽に育児できる環境を

選べばいい。

 

自分の中にある枠を取っ払って

住環境や仕事を

ドラえもんの道具を新発明するくらいに

限界を超えて考えてみれば

 

びっくりするくらい楽に

育児できる環境が見つかるかも

しれない。