子の心親知らず

実の母親に家庭を壊された毒親育ちのシングルマザーが親子のあり方を考察するブログ。

純粋な思いで帰れなくなった故郷への思い

最近、ヨガをしているときや
寝る時など安静にしている時に

ふと、日本の見知った風景が脳裏に浮かんでくる。

 

昔住んでいた家や

店の前の道など日常の風景。

 

そして昨夜は母に思いをぶちまけている夢を

みた。

 

なんだったか内容は忘れたけど

母とどこか一緒に行く約束をしていて

 

私は夜の約束のために1人場所を探しながら

向かっていた。

 

だけど道に迷って

昔内見したことがあるアパートに

たどり着いてしまう。

 

懐かしいなあ、ここに住もうと思ってた

時あったなどと思いつつ

約束に遅れてはいけないと母に電話をかけた。

 

「お母さん、道に迷ってるから

ちょっと待ってて。」

「え?ああ、〇〇ならもうお昼にやってきたよ。

梅ちゃんと。」

「はあ?夜に私と行くって言ったじゃん。

なんで?なんでそんなことするの?

そんなだからもう日本にいたくないって思うんじゃん。

せっかく帰ってきたのに」

 

(梅というのは妹の仮名です)

 

母は、私との約束などなかったかのように

あっさり妹と済ませた、と言った。

 

道に迷いながらも必死に歩いていた私は、

海外から帰国して母と何かしようとしていた私は

また失望した。

 

こんなことは、現実にもあった。

 

高校生のクリスマスイブの夜

私はイブは家で家族でチキンでも食べるだろうと

思って、足早に家に向かっていた。

 

なのに、家に帰ると誰もいなかった。

 

携帯電話もなかった当時

テーブルに置き手紙があった。

 

「梅ちゃんとルミナリエを見にいってきます。

チキン温めて食べてください。」

 

その日父は不在で

イブの夜に、私は1人になった。

 

私はもう少しで家に着くところだったのに

なぜ母と妹は待ってくれなかったんだろう。

 

どうして一緒に行こうという発想に

ならなかったんだろう。

 

母は孤独を感じやすい記念日に限って

ぶち壊す。

 

小学生の頃、

私の誕生日に招いた叔母と喧嘩を

始めて、ケーキが涙で霞んだことを

覚えている。

 

高校生の頃が一番顕著だった。

 

母はいつも妹とタッグを組んで

わざと私を仲間外れにした。

 

今も、離婚したら妹に絶縁されたと

言っても、仲直りさせようとする素振りなど

一切なく、それどころか

連休には前半妹で後半私が帰省すればいいなどと

残酷なことをやる。

 

そんなんだから、もう日本に帰りたいなんて

思わないんだよ。

 

結婚した頃からそうだったけど

私にとって日本は「帰る場所」ではなく

「旅行先」「遊びに行く場所」になった。

 

一時は完全絶縁も本気で考えていたけど

パパのいない娘から祖父母まで奪うことが

どうしてもできなくて

今は娘のためにつながっている。

 

2年に一度帰省して

娘におじいちゃんおばあちゃんの温もりを

体験させてあげる。

 

あとは月に一回ほどのスカイプ 電話。

 

私は、大事なことは話さない。

 

娘が、あなたにはママ以外にも

愛してくれている家族がいるんだよと

わかってくれればいい。

 

そのくらいの距離がちょうどいい。

 

だけど時々、脳裏に子どもの頃から

今まで過ごした日本の場所やふとした

日常の風景が浮かんでくる。

 

故郷に純粋に嬉しい気持ちだけで

帰ることができなくなった

私の魂は、やはり悲しんでいるのかもしれない。