子の心親知らず

実の母親に家庭を壊された毒親育ちのシングルマザーが親子のあり方を考察するブログ。

親の罪は子どもに現れる

中国映画「新少林寺」を観た。

 

スカッとする映画が見たいと思って

カンフーアクションは気持ちが良いので選んだのだけど

図らずも泣いてしまった。

 

映画紹介(泣ける少林映画と紹介されている)

www.thecinema.jp

 

〜ネタバレあり〜

 

私が泣いたのは、主演のアンディ・ラウ演じる

軍の司令官の企てた争いに娘が巻き込まれ

娘が馬に蹴られて死んでしまったところ。

 

娘の年頃が私の娘と同じくらいで

とても愛くるしい子だったので

感情移入してしまった。

 

自分が企てた戦で

自分の娘を失ってしまった父親。

 

鬼軍曹と言っても人の親。

 

最愛の娘の死を前にして

怪我を負った妻に

「あなたのせいだ!父親があなたじゃなければ

この子が死ぬことはなかった!」と責め立てられ

ようやく彼は自分の罪を知る。

 

残酷非道な司令官として彼は多くの人を

殺めてきた。

神聖な寺の中にまで押し入り、銃を放った。

 

その天罰は、幼い娘の命を目の前で奪われるという

形で与えられた。

 

親にとって、これ以上の罰があるだろうか。

 

ようやく目が覚め、出家することを決意した

軍曹。

そのシーンで映された仏像に

私は亡き夫の姿をみた。

 

 

夫が亡くなったことを聞いてまもない頃

後悔と罪悪感で眠れない夜を過ごしていた私の

枕元に、夫が菩薩の姿で現れた。

 

全身が金ピカに光り輝いていて、

表情はこの仏像同様に穏やかだった。

 

彼から感じた思いは

「無」だった。

 

そして私は

「ああ、彼は無になったんだな。

ずっと苦しんでいたけど、ようやく楽になれたんだ・・・」

とわかった。

 

そこには私と娘への念のようなものもなく

ただただ静かな「無」の空気だけがあった。

 

この映画の司令官は、多くの人を殺めた。

そして最愛の娘が同席する宴でまでも

人を殺めるつもりで、だからこそ神は

娘を連れて行くことで彼の目を覚まさせた。

 

親がいつまでも大切なことに気がつかないで

いると、その罪は子どもに現れる。

 

私は統合失調症の夫を回復させたい一心で

結婚生活の間に精神疾患について一生懸命

勉強した。

 

そしてほとんどの場合、精神病は親が原因であると

理解した。

不健全な親子関係、親の無知と愚かさが

子どもの精神をむしばみ、最後には命までも

消してしまう。

 

いつまでも傲慢で不勉強で

自分の間違いに気づかないでいると

自分がこの世に産み落とした命が

自分よりも先に消えるという

形で強制的に目覚めさせようと神の手が入る。

 

夫婦喧嘩の毒は子どもにいく。

心の健康よりお金が大事だという間違った考えの

毒も、子どもにいく。

 

私さえ我慢すれば家庭は壊れないですむのだからと

いった間違った自己犠牲精神の毒も

子どもにいく。

 

夫が精神錯乱状態だった産後の2年間、

暴れる夫に私は殺されるのではないかと

怯えることもあったけれど

 

夫は私や娘に手を出したことは一度もなかった。

 

彼は物と自分にだけ危害を加えていた。

 

彼の魂は非常に純粋で善良だったので

どれだけ精神が錯乱していても

愛する人に危害を加えることはできず

自分で自分を傷つけるしかできなかったのだと

思う。

 

産後の2年間のあの錯乱状態であれば

もしも彼の魂が少しでも濁っていたなら

私や娘に命の危険が及んでいた可能性もある。

 

彼は結局、睡眠薬を大量に飲んだり

飲めないお酒を大量に飲んだり

ハンガーストライキをしたりして

自分で自分を傷つけてばかりいた。

 

そしてとうとう、この世を去った。

 

もうこの家族を守れない、という

ところまできたとき

彼は自分がこの世を去るという選択をした。

 

生きている時も、どこか潔い人だったけれど

一緒によく見ていたドラゴンボールの悟空のように

「じゃあな!」という感じで空へ昇り

そのあとは完全に「無」になるという

潔さだった。

 

少林寺の司令官のように

生きて出家して罪を償うという方法もある。

 

私はそれを夫に望んでいた。

出家しないまでも、1年間くらい高野山にこもって

自分を見つめてきて欲しいと願っていた。

 

過去世で即身成仏していた夫は

今世はもう僧侶ではなく

直接仏になることを選んだ。

 

夫の魂が純粋で善良で

潔いものだったからこそ

修羅場の中でも私は幼い娘を守れたと思う。

 

この映画の仏像を見て

なぜかそんな夫に感謝の気持ちが湧いてきた。

 

親になっても

大人になりきれなかった自分の罪を

彼は自分が去るという形で償った。

 

それが彼なりの愛情表現だったのかなと

今では思う。

 

そして70になっても自分の間違いに

気がついていなかった義母は

息子を失うという痛みを知って

ようやく目覚めたのかどうか。

 

会っていないからわからないけれど

わずか1年半後に息子の後を追った

義母には、確かに気づきがあったのだろうと

思う。

 

罪は必ず自分に還る。

 

長い間気づかないままでいると

それはあなたが一番失うことを恐れているものを

失うという形で現れるかもしれない。

 

無知は罪である。

 

 

法律を犯すことだけが罪ではない。

 

だからこそ、私たちは傲慢にならずに

自分はまだまだ何も知らないと思って

勉強していかなければならないと思う。