3連休に義父に会ってきた。
7年ぶり、やっと会えた。
私たちが宿泊するホテルのラウンジで待ち合わせをして、義父はタクシーに乗って来てくれた。
2024年になってすぐにわたしはふと、夫と義母のお墓参りがしたい、東京のお父さんに会いたい、と思い、冬休みにまず東京へ帰国した。
義父に会いたいと思って電話を何度かかけたが滞在中には通じず(知らない番号なので最初は出てくれなかった可能性あり)3日間の東京滞在を終えて富士山の麓にいる時に折り返し電話があったので会うことは叶わなかった。
この夏休みには本当は帰国の予定はなかったのだけど、わたしの突然の失業によって一時帰国を余儀なくされた。
だから義父に会うことができた。
わたしの転職は、きっと宿命なんだろう。
冬に使った携帯番号と同じだったので、今回は義父は一回で出てくれて、とんとん拍子に会う話が決まった。
7年ぶり、83歳になった義父は、手押し車を押しながら現れ、少し痩せて白い髭を蓄えていたので、一瞬分からなかった。
それでも、その歩き方と目元でわたしは義父だと分かった。
娘が待っているラウンジの席へ案内すると、義父は「(白雪娘)ちゃん?」と孫娘を目を細めて見た。
「東京のおじいちゃんだよ。こんにちはって」
「こんにちは」
義父は、嬉しそうに笑った。
席に着いてからも、義父はじっと7年ぶりの孫娘の顔を見つめていた。
この前会った時はまだ1歳だった。
そして義父は「(夫)に似てるね」と言った。
息子に先立たれた義父は、孫に息子の面影を探していた。
「はい。わたしは赤ちゃんの時からお義母さんに似てるなって思ってました」
わたしはそう答えた。
妻と息子を失った今の義父にとって、この孫娘だけが唯一二人の面影を残す存在だ。
私たちは少し近況を話し、義父は夫とお義母さんが亡くなった時の話をしてくれた。
夫が亡くなった時、沖縄やアメリカから友達が駆けつけてきたんだそう。地球を飛び回っていた彼には、世界中に友人がいた。
友達が来たのに、元嫁と娘である私たちは行くことができなかった。
わたしと娘は、彼の死を半年後まで知らされていなかったのだから。
わたしは意識不明の時にあった電話のことも、亡くなった時の連絡のことも、全部両親に隠されていて全て半年後に知ったこと、そのことで母を恨んでいると話した。
だから親にはもうなるべく自分の話はしないようにしていて、以前は東京に住んでいた妹とも今はもう連絡を取っていないことも話した。
わたしと義父は、この数年の間に家族を丸ごと失った同士だった。
初めて夫の死の悲しみを共有できる人に会った。
わたしの両親は、わたしが若くして夫を亡くした悲しみを感じることを、許さなかった。
しっかり悲しむことを、許さなかった。
昔からそうだ。
うちの親は、娘が悲しいとか痛いとか辛いとかの感情を、しっかり感じて表現することを許さない。
負の感情だけでなく、嬉しいとか楽しいとかの感情も。
辛いことがあった時にきちんと悲しんでその感情を受け入れなければ、人は前に進むことができない。
蓋をして何も感じないフリをしている限り、その思いはお腹の中で燻り続ける。
義父は、息子の部屋に残っていた荷物を持ってきていた。
彼の最近の写真と持ち物は、亡くなった後に義母が全部処分してしまったそうだ。見るのが辛かったんだろう。
残っていたのは、子どもの頃から学生時代までの写真と、小さな頃遊んでいたブリキの車のおもちゃがたくさん、子どもの頃の旅行のお土産品と、中学の野球チームで優勝した時のメダル。
それから、位牌と日記。
夫が死ぬ直前まで使っていたという大きなリュックにこれらを入れて、義父は持ってきていた。
夫が亡くなる1年半前に、私たちは離婚している。
わたしがもらっていいんですか...?と言ったら
自分がいなくなったら誰も持つ人がいないから、雪さんに持ってて欲しいのだと、義父は言った。
いらなきゃ捨てていいから、と。
わたしと一緒にいる時には使っていなかった大きな黒いリュックは、一人になってからあちこち行くのに使っていたみたいだ。だいぶ使い込んだ感じがある。
彼はわたしと別居している時から、世界中一人で放浪していた。
それらを実家に連れて帰った。
長い間わたしの家にはなかった男物のリュックは、なんだか夫が一緒に帰ってきたような気にさせた。
駅に迎えに来た母が、わたしの荷物を持とうとしたが、わたしは拒否した。
母には、夫の持ち物に触れて欲しくない。
両親が仕事に行っている間に、そのリュックを洗った。
位牌を、棚の上に置いた。
棚の上には、娘の7歳の写真が飾ってある。スペース的にその写真の前に位牌を置くことになった。
大きくなった娘と、肉体のない父が、やっと再会したような気がした。
義父と一緒にお墓参りもした。
お寺からの坂道を、義父の手押し車を支えて歩く8歳の娘。
血の繋がりなのか、自分にもう一人おじいちゃんがいることを最近まで認識していなかった娘は、会った瞬間から打ち解けていた。
わたしも義父も、全部失ったけれど
こうして夫の位牌と子供の頃の写真がわたしの手元に来たことが、わたしたちが夫婦だった証。
わたしの中では、離婚ではなく死別。
彼にとってわたしが最後の女だったことは事実で、娘が唯一血を受け継ぐ存在であることも変わらない事実。
5年かかって、やっと彼の魂は誰より愛したわたしと娘の元へ帰ってくることができた。
わたしはもし再婚できなくても、この思いだけで生きていけるような気が、初めてした。