8歳になった娘は、祖父母が母親である私のことや自分のことを信頼していないことに気づき、激しく怒っている。
母は子どもを自分より下の生物と見ることしかできないため、できて当たり前のことを大袈裟に「そんなんできるの〜!すごい〜!」と褒め、できなくて当たり前のことを「あなたならできるんでしょ」と言うことで、いつも子どもの自尊心を傷つける。
娘はその祖母の言動にいつも怒って泣いたりする。
私は娘を抱きしめて
「ねえ〜、嫌だよね〜。ママも子どもの時からずっとばあばにこんな風に言われてきてすっごい嫌だった。今でも変わってないけどね。」と慰める。
心の底で人を馬鹿にしていないと出てこない言葉が、母の口からは常に垂れ流されていて、当の本人は気づかない。
あからさまに罵ったりしていないから、自分は褒めてあげているのになぜ怒るんだと逆ギレ。
娘は自分のこと以上に、祖母がママを信頼しないことに怒っている。
75歳の祖母が、47歳の母親に対して
「洗濯機できる?」
「寝る前ちゃんとしてね」
などと言い、「知ってるわ。何十年も立派に自活してるって」と言うママにその言葉だけは無視して2階に上がっていく祖母を見て
「ばあば何言ってんの!」と娘は怒る。
彼女が全服の信頼を置き、世界でただ1人命を預けている大好きなママを、ばあばはまるで4歳の子供に留守番を頼むかのような言い方をするのだから、子供にでもおかしなことを言っていると分かる。
私は外国で完全に1人で娘を8歳まで育ててきた。
仕事をし、近所付き合いをし、光熱費をはらい、買い物をして、料理をし、服や日用品を購入し、車を買って運転し、学校の手続きをし、銀行の管理をして、保護者会に行き、娘におもちゃを買って友達を家に招待し、そうやって私と娘は2人で生きてきた。
その全ての努力や過程、私たちの成長を、母は一切見ることがない。
想像することも、省みることもない。
ただ自分の助けがなければ何も満足にできなかった小さな私の面影だけを追い求め、いまだに自分の指示や手助けがなければ私が家のことすらできないと思いたがる。
過去、自分が最も人から必要とされていた時代の影にすがる老人の姿は、あまりに醜く若者を震えさせる。
娘が世界一信頼して愛しているママを子ども扱いすることしかできないおばあさんは、孫から嫌われる。
娘は「ばあばが一番ムカつく!」「何この人人間じゃないんだ」「ばあばいなくていい」などと言うようになった。
私は、まだ小さい娘がおばあちゃんを大好きになれないことを不憫に思う。
本当は、家族のことをみんな大好きでいられた方がいいのだから。
でも同時に、私が母を嫌だと思ってきたのは間違っていなかった、この人は常に子どもを傷つける言動を無意識にする邪悪な人間なのだと再認識できた。
私が母と縁を切れずにいたのは、幼い娘からこれ以上家族を奪いたくないと言う気持ちがあったから。
娘がおばあちゃん嫌い、じいじもいつもばあばの味方だけしてばあばのおかしさに気づかないから嫌い、そうなれば、もう私たちがこの2人のことを気に掛ける理由がなくなる。
子どもを信頼せずにいつまでも傷つけ続ける親は、孫のことも傷つける。