のぶみさんのYouTubeで、神様の話を覚えている子供たちの話として、以下のようなものがあった。
今の地震はね、お年寄りの多いところで起こってるの。
日本で高齢者が多い町は新潟や秋田、鳥取などだそうだけれど、1月の地震と9月の洪水で二重被災地となった石川県輪島市も、高齢者が多いんだろうと思う。
人工的に地震や降雨を起こしているという陰謀論もあるし、技術的に実際それは可能だし、それに加えて生物〇〇と言われているコロちゃんちくわも、高齢者に積極的に国は勧めている。
2025年問題の1つとして75歳以上の後期高齢者の割合が5人に1人になり、世界で2位の超高齢社会となる。
逼迫する介護費や医療費、減り続ける労働力。
外国人の労働力に頼らざるを得ないけれど多発する移民による犯罪問題。
はて、解決するにはどうしたらいいのか。
YouTubeでは、(声を大にしては言えないが)国が姥捨てをやっているんだと。
そんな思いには反して、輪島の洪水でも14歳の少女が犠牲になり、31歳の働く世代が行方不明となってしまった。
中国で起きた10歳児童の殺害事件に憤慨した日本人は多いだろう。
交通事故でも、子供が犠牲になったニュースを見ると、胸が痛くて仕方ない。
天に帰るのは年齢順にしてほしい。
残された者の胸の痛みは全然違う。
子供や若い人が亡くなって年寄りが生きていると、正直なんで?と思ってしまう。
少なくとも、私は30代の夫が死んで、70代の母が元気にしているのを、なんで?と思ってしまう。
人の寿命はそれぞれで、与えられた使命も違うから、人生の意味はその長さには比例しないけれど、頭でそれは理解しても、心は納得していない。
子どもが3歳でパパを失ったというのに、私の両親は70を過ぎて2人で呑気にお茶を飲んでいるのはなぜなんだろう。
そして団塊世代の両親は生への執着が尋常でなく強い。
母は毎朝ヨーグルトナッツとスムージー、昼はオートミール、夜は野菜を中心に主食抜きで食べ、トマトジュースを飲み、スクワットとヨガをする。
「(孫)ちゃんが大人になるまで元気でいないとね」と言う。
10年前の母を信頼していた私なら、「そうだよ!」と心から思ったけれど
今の私は全く思わない。
は?
娘の幸せぶっ壊しておいて、それが原因で婿と義母は死んだのに
何加害者の自分は長生きしたいとか言ってんの?
むしろ、怖い。
できるだけ長く元気でいて、私の人生に干渉し続けるつもりなのかとゾッとする。
母は今年75歳になり、国が恐る後期高齢者の仲間入りをした。
コロナちくわは5、6回食べたと言っていたけど、副反応も何もなく、今年の不気味な名前のちくわは食べないつもりだと言っていた。
私がちくわについていろいろ情報提供をしてあげた結果、
「国は年寄りを○したいんやろ!打つか!」と言っていた。
まあ、今回のちくわは自分が食べなくても周りから影響をもらうらしいから、自分だけ無事でいられる保証はないけどね。
79になった叔母も、100歳体操に通ったり毎日ウォーキングしたりして健康に気を遣っている。
「元気でいないと」と言うけれど、何のためなんだろう?
叔母は子どももおらず、15年ほど前に叔父は他界。
一人暮らしだから人の世話にならないように、健康でいたいと言うのは分かる。
でも、この世代の人の「元気で長生きしたい」という生への執着は、ちょっとすごいなと思う。
戦争を生き残った世代の子どもで、戦後すぐの満足に食べられなかった時代を経験し、そこからの経済的豊さと物質主義社会を満喫してきた団塊世代。
そして彼らが今若者に残した世界は、若者にとってとても生きにくい。
団塊世代の親たちは当たり前のように老後の世話を期待しているけれど、彼らが親の面倒をみた時代と違って今の現役世代は自分を生かすだけで正直手一杯。
母は、老後の話になると一際声が大きくなって、私に聞こえるように父と話す。
「あそこの家は老老介護やからそれは転倒して怪我もするわな〜」と私を横目で見ながら父と話す。
私はこの人が夫をいじめたせいでシングルマザーになり、2歳から1人で子どもを育て、いろいろと大変な思いをしていると言うのに、そんな私に母は、老後そばにいることを期待する。
というかそもそも私をそばに置いておきたいから夫を追い出したんだけど。
現役世代を幸せにしていない高齢者が長生きすることで、現役世代に何かいいことがある?社会にとっていいことがある?
私たちはただ、育ててもらった恩返しというだけで、自分の幸せも未来も放棄して年寄りの介護をしなければいけないのだろうか?
私は、親の面倒、年寄りの介護というのは、子ども世代が先に幸せになることが前提であり得ることだと思う。
子ども世代が大人として立派に幸せに暮らすことができ、自分の人生にそれなりに満足していて初めて、そんな大人にしてくれた親に感謝が生まれ、その親の老後を少しでも幸せなものにしてあげたいと自然と思う。
子ども世代が仕事がなかったり、結婚したくてもできなかったり、子育てで大きな悩みを抱えていたり、夫婦関係や人間関係がうまくいっていなかったりしたら、心が病んで鬱々と生きているとしたら
自分の人生を「こんなはずじゃなかった」「何このクソみたいな人生」などと、肯定することができずにいたら
高齢者に恩返しなんてしたいと思うわけがない。
自分は次世代を幸せにしているだろうか、と。
いつまでも元気で現役でいたいなどと願わず、苦しい道を歩んでいる次の世代、次の次の世代に、仕事や社会的地位を譲り、素直に親孝行の気持ちを受け取り、子どもから学んで、可愛いジジババになってほしい。
注釈:全ての高齢者の長生きを否定しているわけではありません。高齢者になるまで生き抜いてきただけですごいことです。家族に愛されて社会から長生きを望まれている方もおられると思うので、それは素晴らしいことだと思います。