私は母のことを一生許すつもりはないが、父のことも一生許せなくなった。
今回、私の突然の失業から転職先への手続きのために仕方なく実家に滞在している。
私は戸籍のあるこの場所でしなければならないことがあるために仕方なく帰ってきたのだけれど、娘は純粋に「じいじばあばと過ごせる」ことをとても楽しみにして帰ってきた。
普段私と二人暮らしの娘は、他の家族と過ごすことをいつもものすごく喜ぶ。
だけど8歳になった娘は、私がばあばと会うのを喜んでいないことを知っているし、ばあばがママや自分に対しても、返事や言動におかしなところがあることにもう気づいていて、ばあばに対して苛立ちや不満をぶつけることが多くなった。
何度も言っているのに人の話を聞かないで自分のやり方を繰り返すばあばに「なんで言うこと聞いてないの!何回も言った!」と怒ったり
余計な手を出してくるばあばに「触るな!」と言ったり
ママである私のことを信頼していない言動、例えば雨が降ってきて洗濯物を取り入れたい時に、すぐ近くにいる私ではなく別の部屋にいるじいじをわざわざ呼ぶようなこと、私の運転を過度に心配するような言動、などをすると
娘は「やっぱりばあばママのこと信じてない」と言って怒る。
未成年の子供にとって母親は世界で一番大切で尊敬している存在であり、全身全霊で信頼して命を預けている人なのだから、
その母親を子供扱いしたり信頼しなかったり、傷つけたりする人は、それが家族であっっても敵と認識する。
そして、そんな人をバカにした態度でずっと生きているばあばを、ママ以上に信頼してばあばのおかしな言動は咎めずにいつもママや自分の言動だけを責めるじいじに対しても、娘は文句を言うようになった。
じいじばあばの前で、「ママ大好き」「ママママ」と言う孫をみて、じいじは「もう飽きた」「あ〜やだやだ」などと言ってからかう。
ママが大好きで自分のことを大好きだと言わない孫に対し、苛立ちを見せることさえあった。
そしてとうとう事件が起こった。
ある日、夕方に私と娘と母が3人で買い物から戻ってきた。
1人家にいて出迎えた父に対し、娘が「じいじなんで鍵かけてるの、ばあばが鍵開けとくねって言ったのに!」と言った。
すると父は「あ?なんやお前は....文句ばっかり!」と急にキレた。
娘に向かってキレた父を、え?と思って見た私に向かって「ほんまに文句ばっかり言ってお前らはなんや!ちゃんと躾しとけ!」と言ったので私はキレた。
「この子父親いないんだからしょーがないでしょ!男の人に怒られるの慣れてないんだからやめてよ!」と言ったら
「父親いないからだと?なんか言ったらすぐそれか!」と言うので「私だっていっぱい我慢してるんだからお父さんも我慢してよ!大人なんだから我慢してよ!」と言ったら
「お前はなんのために帰ってきたんや!帰ってきても料理洗濯全部お母さんにさしてほんまに」
「手続きのためやわ!」
「何〜?ほんなら今回それ終わったらもう帰ってくるな!」と8歳の孫娘の目の前で言った。
娘は私と父の喧嘩が始まった瞬間から大泣きしていた。
私に抱きついて「やめて〜、これ夢?やだよ〜」と大泣きしていた。
父は、私が家のことをあまりしないで、さらに孫が料理や自分達の物忘れなどに対して文句を言うことに、イライラを募らせており、この日爆発したみたいだ。
あろうことか、8歳の子供の前で怒りを爆発させた父に、私も日頃抑圧していた我慢が吹っ飛び、里帰り出産時に母が私の夫をいじめた話も持ち出して、私は離婚したときに心が死んだんだと改めて説明した。
心が死んだと思うほどの深い傷と悲しみを背負いながら、異国で1人で育児をしている娘が、年に一回帰省してやるべきことはきちんとやりながらも少し羽を休めているこの時間に、
父は大学生の娘が夏休みに帰省しているのと同じ感覚で、お母さんの手伝いをすることを要求し、自分達にもっと丁重に接することを求めていた。
孫が「じいじ大好き!」と飛びついてくることを望んでいた。
私は悲しかった。
傷心の娘が、たった1人で仕事と育児に奮闘している娘が、たまに実家に滞在している時に、日頃の苦労を労う気持ちなど一切なく、母の手伝いをしないと言って責める父が。
やはり父にとっても、私はまだ「お母さんのお手伝い」をするべき子どもであって、父の知らない土地で立派に仕事をしながら子育てをしている40代後半の中年女性ではないのだった。
私と夫と、母の間にあったことをほぼ何も知らない父は、今も昔も親と子の喧嘩は100%子供が悪く、異なる意見のぶつかり合いではなくてあくまで”子供の反抗”に過ぎない。
私はその時思いつく限りの父の知らない話をして、父の見当違いを指摘し、父と母が娘夫婦と孫をどれほど傷つけたのか訴えた。
夫の死を半年も隠されていたことを恨んでいるなどの話をしたら、父は無言になり、悲しそうに肩を落とした。
一緒に聞いていた母は、表面上は辛そうな顔をして見せたけれど、やはり「そうか、お母さんいない方がいいんやね」と変わらず被害者ヅラをするだけで、「そんなこと言った記憶ないけど?」「そんなんしたかな〜」と知らぬ存ぜぬ、反省はゼロのままだった。
その後食事の時に込み上げてポロポロ泣く私に娘は「ママ、悲しいの?」と寄り添い、「もう二度と帰ってこない!この家で壊れんたんだから!」と私は母に向かって言って、娘をぎゅっと抱きしめた。
娘に「それでいい?世界の片隅で2人で頑張って生きていこうね」と言うと娘は「うん」と言った。
悲しい。悲しすぎる。
まだ8歳の子供にこんな決意をさせてしまった。
おじいちゃんおばあちゃんのことが大好きでよかったのに。
夏休みに帰省するおばあちゃん家を、残しておいてあげたかっただけなのに。
父親がいなくて、父方のおばあちゃんもいなくて
父方のおじいちゃんにはこの前7年ぶりに会えただけで
おばもいとこもいない、この子は
今回、ママ以外の唯一の家族さえも、失うことになってしまったのか。
次の日私は、父が毎朝水を換えている父の両親と兄の仏壇に向かって
「おじいちゃんおばあちゃん、なんで守ってくれないの。あなたの息子は、孫とひ孫を天涯孤独にさせようとしていますよ」と呟いた。
それでも、私にとってはよかった。
もう7年も、帰ってはいけない、会えば傷つくだけなのだから帰るべきではないと思いながらも、娘のためとか、手続きのためだとかで年に1回は1ヶ月程度の滞在をしてしまっていた私の甘えを、微かに親に対して残っていた期待を、父ははっきりと否定してくれた。
これで本当に、日本には帰ることがあっても実家には帰らないという選択ができる。娘は寂しく思うかもしれないけど、理解はしてくれた。
もしも用事で帰らないといけないことができたとしても、実家には日帰りで顔を出すだけにする。
そしてもうこの家のことは忘れて、私と娘の唯一の希望となった新しい家族を作ることに意識を集中させよう。
父は、私の最後の甘えを断ち切ってくれたのかもしれない。