子の心親知らず

実の母親に家庭を壊された毒親育ちのシングルマザーが親子のあり方を考察するブログ。

重大な決断の時に世間の常識や親の考えに従うと人生を間違えてしまう

10月に転職して引っ越しもした。

 

一時的に世話になっていた両親と離れて、また新しい場所で新生活がスタートしたけれど、わたしはやっぱり過去の思いに囚われている。

 

母が私たち夫婦を別れさせた本当の理由について、寝て起きるたびに少し新たな気づきがある。

 

そして気づくたびにわたしはまた、深い悲しみに堕ちていく。

 

義父は、わたしのために個人年金を作ってくれていた。

夫が亡くなってしばらくしてから満60歳から毎月東京都からお金をもらえるという通知が来た。

 

知らなかった。

義父は自分が生きている限り、仕事ができない息子とその嫁ために、掛け金を払い続けるつもりだったんだろう。

 

夫の両親は、統合失調症という厄介な精神疾患を抱えていて、働くことができない息子に、生きる希望を与えてくれた、正気を取り戻させてくれたと、わたしにとても感謝してくれていた。

 

義理両親はわたしにとても優しく、しかも愉快な人たちで、そして資産家だった。

 

だからわたしたちは働かなくてもお金のことだけは義理両親がしてくれていたし、人並み以上に裕福な暮らしができていて、きっとずっとそうできたんだろう。

 

それなのにわたしは、自分の母親の「仕事もしないで子供作るなんてどういうつもりや」「仕事のことどう考えてるんや」「男は外に働きに出るんが普通やろ」という強い主張に洗脳されていたので

 

親になったのだから仕事してほしいな、と思ってしまい、夫にもそれを言ったりしてしまった。

 

それは今思えば、わたしの考えではなく、母の考えだった。

 

夫が無職とはいえ、わたしが働かなければならない状態ではなかったし、他でもない資産家の両親が、こんな息子と一緒になってくれたという感謝の気持ちを持ちながら金銭の援助をしてくれていたのだから、何も問題はないはずだった。

 

問題だと思っていたのは、わたしの母だけだった。

 

母は私たちが出産のために実家やその近くに滞在していた間、ずっと

「仕事もしないで子供作るなんてどういうつもりや」「仕事のことどう考えてるんや」「男は外に働きに出るんが普通やろ」という言葉を夫にも直接言って、精神病の彼を追い詰めた。

 

病気が酷かった時のことをよく知っている夫の両親は、そんなこと全く望んでいなかったというのに。

 

2人とも働かないで生活ができるなら、乳幼児期の育児を24時間一緒にできたらそれほど最高なことはなかった。

 

今思えば、ここまでのわたしの育児と仕事の両立に関する悩みも苦労もお金の心配も、「夫が働かないこと」を受け入れてさえいれば、存在しないものだった。

 

他がそうだから自分たちもそうだとは限らない。

世間一般的には夫が働いて妻が育児をするものだとしても、すべての家庭にそれが適合するとは限らない。

 

世界には夫婦ともに働かないでも生活ができる家庭もあれば、子供を学校に通わせずに大自然の中で育てている家庭もある。妻が働いて夫が育児をしている家庭もある。

 

収入源なんてどうにでもなった。

 

両親からの援助だけでなく、自分の力で生きるために夫婦でYouTuberをやってもよかった。旅ブロガーだってできた。

 

私たちは世界中移動しているマイノリティの夫婦だったのだから。

 

それを母は、「夫が外で働いて、妻が家事育児をする。両親の近くに住む」という母の常識を私たちに押しつけ、その常識から外れているくせに苦労もせずに幸せそうにしている私たちに嫉妬した。

 

だから別れさせて、行き場をなくした娘が子供と一緒に自分たちに世話になる道を選ぶしかなくなるようにと、婿をいじめて追い出す手段をとった。

 

それと母が何より憎かったのは、わたしが義理両親に愛されて大切にされていたことだったんだと最近気づいた。

 

母は、姑のこと(わたしの祖母)が大嫌いだった。

滅多に会わなかったそうだけど、会えば嫌味ばかり言われたとわたしに話したことが何度かあった。

 

毎年夏休みには母の故郷へは帰ったが、父の故郷へは数年に一度しか帰らなかった。

父の家族に何か病気などあったときは、母はいつも父を1人で帰らせた。

 

そんなふうに、仲の悪かった嫁姑で生きてきた母は、わたしと姑が仲良しで、一緒に買い物に行って高価なバッグを買ってもらったりしていることが、気に入らなかったんだと思う。

 

娘が自分より義理のお母さんの方を好きになって、将来もそっちを介護するというのではないかととてつもない不安に襲われたんだと思う。

 

母は親思いで優しい長女のわたしに、老後そばにいてほしいと願っていた。

妹は冷たく、18歳から自立していて他人を受け入れない人間に育ったので、例え独身であっても老後帰ってきてもらうことは期待できない。

 

母が何より大好きな「普通」「世間様では」女の子は夫の両親の世話をするものなのに、母はそこだけは「普通」を許さなかった。

 

母は、わたしの結婚生活があまりに幸福で楽なのものだったのが、気に入らなかった。

 

自分と同じかそれ以上に、結婚生活で苦労をして、「ほら、大変でしょ。これでお母さんの苦労がわかった?」と言いたかったのだ。

 

実際に出産直後に「めっちゃ痛かった。世の中の全てのお母さん尊敬する!」と言ったわたしに母は開口一番「お母さんのことも尊敬して」と言った。

 

わたしは、母親というのは娘の幸せを心から願い、喜んでくれるものだと信じ込んでいた。

 

娘がいい人に出会って結婚し、さらに義理のご両親にも恵まれて、子宝も授かり、円満で幸福な生活ができることを誰よりも喜んでくれるのが母親だと思っていた。

 

でも、私たちが信じ込んでいる「普通」「世間一般では」というものは、考えなしに自分に当てはめてはいけないのだと思い知った。

 

十人十色。千差万別。

 

全ての人の人生は違うもので、起きることも違って、職業も価値観も考え方も違う。

 

世の中の8割の人ができたから自分もできるとは限らない。

 

3割の人が結婚で苦労しているのを「みんな苦労するもんだ」と決めつけるのは間違っている。

 

7割の人は大丈夫だったワクチンでも、3割は後遺症が出る。

 

同じことをやっても、結果は違う。

 

自分が捨てたゴミが誰かの宝物になったり、好きなものも嫌いなものも、我慢の限界線もみんな違う。

 

自分が8割側なのか、2割側なのか、わからない。

 

世の中の常識なんてそんなもんだし、親の言うことなど親自身の経験などからくる思い込みに過ぎない。

 

さらに人は嫉妬して、故意に良くならない方へアドバイスすることさえあるのだから、全く耳を傾けると危険なだけでいいことがない。

 

人生の需要な決断をする時、耳を傾けるべきは「自分の魂の声」だけだ。

 

他の人がどうかと言うのは全部取っ払って

 

あなたは、どうしたいの?

あなたは、何を望んでいるの?

あなたが思う、最悪は何?

 

そうやって自分の魂に繰り返し聞いて、自分の心の声に従う。

 

なんか嫌だな、とか、なんか好き、と言う理由の説明できない直感に従う。

 

それ以外に、幸福な道を選ぶ方法はないんだと、よくわかった。