子の心親知らず

実の母親に家庭を壊された毒親育ちのシングルマザーが親子のあり方を考察するブログ。

わたしが家族を失ったんじゃない。家族がわたしを失ったんだ。

家族の中で、自分自身であろうとして心の葛藤、感情的困難に真っ正面から立ち向かい、「この苦しみは私に何を教えようとしているのか?」と深く掘り下げて生きているのは、私だけだ。

 

母には、自分がない。

 

家族のために完璧に家事をこなすことでしか自分は存在価値がないと思っているし、70過ぎて毎年、もう今年いっぱいでパートの仕事やめるわ、と言いながらも、なかなかやめる決断ができないでいるのは、社会に必要とされていない現実と向き合うのが怖いからだ。

 

歳をとって仕事ができなくなって社会的に価値がないと言われる現実と向き合うことから逃げたいがために、今度は孫育て、離婚した娘と孫の面倒を見ることで自分の価値を保とうと試みた。

 

母は、バイクで転倒して足を大怪我した朝も、病院にも行かずにコンビニ店員の仕事に行き、一日立ち仕事をして傷あとが残った。

 

熱があっても、家族の前で寝ている自分が許せなくてご飯を作ろうとしてしまう。

 

自分に食欲があると思われるのが恥ずかしいのか、外食時に「これいい」と言えずにいつも「これいい」と言う。

 

娘が摂食障害になった時、母はその現実と向き合わなかった。

娘に何か心の問題が起きた可能性を考えずに、運動して痩せろなどと言った。

胃炎になって吐いている時も、なんか食べないと、と口元までスープを持ってくる。

 

父は、私が怪我をした時「それくらい痛くない!」とすぐに言う。思春期、それから大人になってからも、私が痛いとか苦しいとかの気持ちを訴えようとすると「子供の気持ちなんかわかるわけないやろ」「はい、その話おわり!」と勝手に打ち切って、子どもにマイナスの感情を吐き出させない。

 

妹は、10代になってから貝になった。現実から逃げるために、固く口を閉ざし、自分を他人に見せないことに最大の努力をし、東京の一流企業に就職することで社会的自己価値を構築しながら、恋愛からは逃げ、家族からも逃げて、心肺停止のような浮き沈みのない人生を淡々と送っている。

 

親のおかしさと向き合う勇気がないから、家族の問題を全て姉のせいにして片付けてきた。「お姉ちゃんが自分勝手だから」「お姉ちゃんに生活能力がないから」と言ったふうに。

 

夫は、幼少期の愛情不足から統合失調症になった。統合失調症というのは妄想と幻聴が特徴的な症状で、これ以上ない「現実逃避病」である。

夫は、いつも何かから逃げていた。生活基盤を作ることから生まれるしがらみが嫌で、海外引っ越しを繰り返した。旅をしている時だけ、心から安心できるようだった。旅人には、しがらみがない。

 

離婚の可能性が出てきた時、私と向き合うことから逃げた。調停にも来なかった。最後に会話した時には、一方的に自分の話だけして私の話を聞かなかった。

 

私がどうして離れようとしているのか、どうして欲しいのか、何も聞かずに、向き合う勇気が持てずに、ヨガに連れて行ったりライブチケットを買ってきたりと見当違いなことばかりした。

 

息子が幼い頃は育児をまともにせず、日々麻雀をしていた義母、高校で問題を起こして停学になった時はハワイに息子を島流しし、統合失調症になったら原因を考えることなく、自分の子育てを振り返ることなく入院させて、その後は親戚の家に送り込んだ。

 

みんな、現実から逃げてきた。

心の問題と向き合ってきたのは、ただ、わたし1人だった。

 

だから、家族は崩壊した。

 

私はずっと、「私が里帰り出産したせいで、家族が崩壊してしまった」「私が違う選択をしていれば」と後悔してきた。

 

だけど、全くいらない後悔と罪悪感だった。

 

里帰り出産が悪いわけない!

出産の時母親を頼ることが悪いわけない!

孫を産んで親を喜ばせようとしたことが悪いわけない!

 

夫と一緒に育児をしたいと願ったことが悪いわけない!

子供が生まれたばかりで夫にギャンブルではなく仕事をしてほしいと思ったのが悪いわけない!

赤ちゃんの世話でいっぱいいっぱいで寝る前に夫の話をゆっくり聞く時間がなくなったことが悪いわけない!

 

父に気持ちをわかってもらおうとしたことが悪いわけない!

痛い時に痛いと言って、悲しい時に涙を流すのが悪いわけがない!

 

別居して修復したかったけど、乳児育児中の私に一円の生活費も入れてくれなくなったから離婚するしかないと思ったのが、悪いわけがない!

 

私だけは、その時その時の、辛い現実から目を背けずに向き合い、真っ正面から解決しようと試みてきた。

 

だけど、他の家族のその問題に対する対応が全部間違っていた。

 

誰も問題を直視せず、きちんと本音で話し合いをせず、逃げた。

 

逃げたから、唯一心と向き合っている私を、彼らは失うことになった。

私の小さな愛くるしい娘と一緒に。

 

夫は、せっかく私と結婚するという正しい選択をしたのに、子供が生まれた後の家族の変化に向き合うことができなかった。対応できる心のキャパを持ち合わせていなかった。

 

だから彼の人生は、子育ての喜びを知る前に終わってしまった。

 

母は、里帰り出産で自分を頼ってきた娘と婿に対する態度を間違えた。

父は、母娘の問題を知ろうとせず、育児に関与しないくせに成人した娘の意見までも全て親に対する反抗と捉えるという間違いによって、妻子の関係を修復不可能なまでに悪化させた。

 

だから彼らの人生は、娘夫婦と孫に愛されて穏やかに暮らす老後を迎えることができない。

 

人生を後悔することになる生き方をしているのは、他でもない彼らであって、私ではなかった。

 

私のこの500記事を超えるブログは、まさに私が家族の問題と、心の葛藤と、人生のその時どきに起きる問題と真っ正面から向き合い、深く掘り下げて解決を試み、学びを得ようとしてきた記録であり、家族の誰よりも感情的困難と向き合っている証だ。

 

この先幸せになって死を迎えるその瞬間に「楽しくて幸せな人生だった。価値があった」と言えるのは私だけだ。

 

現実から目を背けることに全ての努力を費やしてきた両親と妹が、この先もやり方を改めないのなら、そんなふうに人生の幕を閉じられないことははっきりしている。

 

新しい家族と彼らとの間には築けなかった絆を持ち、幸せになったわたしの姿を見て、最後に彼らを後悔するんだろう。

 

私は自分の間違いのせいで家族を失ったと思っていた。

 

違う。

 

家族が私を失ったんだ!

 

私は、何も、失っていなかった。

 

今、嘘みたいに心が軽い。