子の心親知らず

実の母親に家庭を壊された毒親育ちのシングルマザーが親子のあり方を考察するブログ。

他人から見た幸せを追求してきた人は、自分の幸せを実現している人が許せない

母は、人並みに幸せな家庭を築いて、特別大変なこともなく、大きな不幸に見舞われることもなく、順風満帆に70まで暮らしてきたように見えていた。

 

25歳で国家公務員の2歳年下のわりとイケメンな男性と結婚して専業主婦になり、出身地からすると結構都会の方へ引っ越した。

 

子どもは女の子2人の4人家族。

 

最初は団地暮らしで長女が15歳の時に郊外にローンで一戸建てを購入。ご近所付き合いもうまくやっている。ローンは20年で早めに完済。

 

夫は国家公務員として40年間真面目に働き、お金の管理は妻に任せ、タバコは吸っていたけれどお酒に溺れることもなく、若い頃はたまにパチンコをしてはいたものの、ギャンブルにハマって借金するようなことはなく、

 

ただの一度も浮気などしたこともなく、子育てに口を出さず、細かいことは言わず、家事はしないけれど休みの日には家族を連れて車でお出かけしたりはよくしてくれて、親戚とも仲が良く、特別変なところはない、いい夫なのではないかと私は思う。

 

昭和の九州男児らしく、記念日や誕生日に花やアクセサリーを送るなんてことは思いつきもしないし、外で母と手を繋いで歩くなんて死んでもできないタイプではあるけれど、母のことを大切に思っていることは子どもから見てもわかるのだから、別にそれでいいのではないかと思っていた。

 

子どもである私たち姉妹は、小さな頃から大人になってもずっと優等生で、2人とも10代後半で摂食障害になった以外には大きな問題を起こしたこともなく、毎日真面目に学校へ行き、言われなくても勉強し、ほどほどに習い事をし、友達付き合いもそれなりにうまくやり、とてもいい子だったと思う。

 

私なんて、10代の反抗期さえもなかった。ひたすらに親を信頼して、妹のことを思い遣っている、優しい優等生だった。

 

だから私が親になった瞬間に母が意地悪全開になって、その後私が夫と自立した幸せを築こうとするのを全力で阻止してきたのが全く理解できなかった。

 

例えばシングルマザーで女手1人で苦労ばかりして、男性不信にもなって生きてきた母だったとすれば、父の暴力に耐えながら子育てしてきた人だったとすれば、娘が結婚して出ていくのを快く思えないと言うのも、まだなんとか理解できる。

 

でも母は、健康で真面目で自分のことを大事にしている夫がそばにいて、自分はちゃんと夫婦を継続しているのに、娘の私が夫婦円満にやっていくのを苦々しく思うなんて、全く理解できなかった。

 

お母さんは、一体何が不満なんだろう?

なんで、娘が自分の家族を持って幸せになることが許せないんだろう?

 

この7年間、ずっと分からなかった。

 

でも、加藤先生の本を読んで、完全に理解できた。

 

 

消費社会における普通の幸せは、全て偽りの幸せである。

 

 

現代の消費社会において、昭和平成令和と「普通の幸せ」だと多くの人が信じ込まされてきたものは、

 

真面目に働く夫とそれを支える妻、子ども2人の4人家族

郊外に35年ローンで一戸建てを建てる

特別贅沢はできないけれど、必要なものは全て揃っている平和な暮らし

 

もしくは

 

肩書きの強い職業(医者、弁護士など)もしくはビジネスの成功者と美しい妻

タワーマンション暮らし

年に一回以上海外旅行をする経済力

子どもたちは私立有名校に進学

 

そのような人生だ。

 

私の両親は前者、夫の両親は後者に近い人生だ。

 

加藤先生が言うには、このような消費社会における、ステレオタイプの幸せ、

要するに、「自分が幸せかどうか」より「他人から幸せに見えるかどうか」の方を重視して、他人から見た幸せの形を勝ち取り、手放さないことに、全力で努力してきた人たちは、最後に挫折する。

 

最後とは、つまり老後。

 

年を重ねてから自分の人生の虚しさを突きつけられる。

 

自分は他人から見た幸せのために全てを捧げてきた。

実は、やりたいことがあったのに、1つとして心の赴くままに自分勝手にやったことはなかった。

 

子どもたちのためにお金も労力も費やしてきたのに、大人になった子どもは、あまり幸せだと思っていないらしい。

 

子どもたちは兄弟仲も悪くなり、疎遠で、

親の自分は、どうやら恨まれているようだ。

 

私はこの人生で一体何をしてきたのだろう?

一体何のために、こんなにもがんばってきたのだろう?

 

老後、中年になった子どもたちは、誰も会いに来ない。

 

このような人たちは、人生をかけて必死に「不幸へ向かう努力」をしているのだと言う。

 

なぜなのか?

 

それは、一度として「自分が本当にやりたいことは何?」「あなたの思う本当の幸せはどんな形?」「あなたが絶対に認めたくないことは何なの?」と自分の心に問いたださなかったからだ。

 

テレビやCMで繰り返される「普通の幸せ」を実現することに必死で、自分を顧みることがなかった。

 

だからどれだけ形は整っても、なぜか心はずっと満たされない。

 

頑張っているのに、報われていない気がする。

 

他人が認めてくれないのが不満。

 

自分勝手に生きている人が憎い。

 

人並みはずれて、結婚しても落ち着かない人や、子どもができてもバリバリ働いて自己実現している女性が憎い。

 

子どもがいるのに海外旅行ばかりするなんて、あり得ない。

ろくに働きもせずお金がたくさんあるなんて、そんなことあるわけない。

 

だって私はこんなに我慢して頑張って、ようやく継続してきたんだから。

 

あなたも我慢するべき。

あなたも報われない苦労をするべき。

 

私だけなんて、許さない。

 

母の潜在意識には、こんな気持ちがあるのだとわかった。

 

加藤先生は、「自己実現していない人は自己実現している人が憎い」と言っている。

 

なぜなら、人生の本当の使命は「自己実現すること」であって、「他人が定義した幸せを実現すること」ではないから。

 

誰でも魂だけは本当の使命を知っているから、自分の心の声に耳を傾けることなく表面上幸せにやってきた人は、理由もわからないまま、なぜか「あの人が憎い。ああいうことをしている人たちが許せない」という嫉妬の気持ちに支配されてしまう。

 

本当の意味で、「自分の人生を生きている人」を見ると「他人軸の人生を生きている自分」が虚しくなるから、間違いだと突きつけられている気がするから、見たくないから、潰そうとする。

 

母が、私の結婚生活を許せなかったのは、そういう理由。

 

母の挫折は母の責任。

 

娘に被せんじゃねーよ。