はてなの今週のお題「2024こんな年だった・2025こんな年にしたい」をテーマに、2024年の総括。
2024年は、一言で言うと、「人の悪意を知った年」だった。
冬と夏、年に2回も実家に長期滞在した今年。
母は相変わらず現実から目を背け続け、わたしが辛かった悲しかった腹が立った気持ちをどれだけ打ち明けようと、「そんなことしてない、言ってない」とシラを切る戦法で娘と真剣に向き合おうとせず
「夫の死を半年も隠したことや、里帰り出産の時に言ったことを恨んでる」とはっきり言えば、「お母さんいない方がいいんやね」と被害者ヅラ。
さらに父は夏に帰省したときに、とうとう8歳の孫にまで小さなことでブチギレるという幼稚さを露呈。
両親にとって子供は所有物で愛玩動物であり、ただただ可愛い幼児の時期を過ぎて、一人前に意見を言うようになったとたんに、目に入れても痛くないはずの孫さえ、ありのままを愛することができなくなったらしい。
「じいじ大好きって言ったら可愛い」
「お手伝いしたらいい子」
両親は孫にまでそんな条件付きの愛情を出した。
所詮、この人たちは自分が一番可愛くて、子どもや孫のことを心の底から愛することのできない人間なんだとわかってしまった。
そして今年は家族以外の人間の悪意にもたっぷり触れてしまった。
ネットの怖さを知った。
SNSのトラブルで、警察のお世話になった。
子連れシングルなのに、突然職を失った。
離婚の時の次に、どこか現実感のないほどの困難に直面した年だった。
この7年、離婚、死別、妹との絶縁、両親との対決、借金、海外での反日勢との戦いとたくさんの辛いこと、困難なことを経験した。
それでも笑いながら前を向きながら、人に優しく明るく接してきたわたしに、神はまだこれほどの試練を与えるのかと、絶望しそうになった。
社会的には、元旦の大地震で始まった2024年、能登の復興に関しては政府はなぜか放置で、夏に帰国した翌日に南海トラフ臨時情報が出て日本の緊張の1週間を体感した。
中国で多発した無差別殺人。
日本人学校の子どもが学校前で惨殺された事件は、子を持つ親として、中国で育児していた経験を持つものとして、絶対に忘れられない。
子どもという無垢な存在を自分自身で処理できない不満の吐口にする大人たちの愚かさと醜さ、残忍さ。
わたしは常々、毒親と中国共産党はとても似ていると思っている。
どちらも、弱いものを狙う。「あなたのため」と言いながら人生を壊す。
残忍な事件や目を疑うような事故、納得できない司法の判断、政治の闇が多く見えた今年。
それでも、わたしはこうして生きている。
どれだけ攻撃されても、愛をなくしても、信じていた人に裏切られても、路頭に迷いそうになっても、必死で何とか道を見つけてきた。
子どもと一緒に、笑いを絶やさなかった。
自分の力1つで道を見つけ、国を跨いで移動し、また新しい人と繋がり、心の葛藤と向き合い、よくなる方法を探りながら、今日も寝て食べて、笑った。
今年後半、ダイエットと美容を始めた。
この7年、自分の外見にはあまり意識がいっていなかった。
ようやく目を向ける気になり、いろいろ自力だけでは変えられないうまくいかないことがある中で、自分の体だけは、顔だけは、自力で変えられると思って、努力することにした。
どん底に落ちて地獄を見た、人の悪意を思い知ったところから、また這い上がる。
人生復活を賭けたダイエットと心も潤うための美容。
キャリアアップになる転職。
どれだけ辛いことがあっても、親に本当の愛をもらえていなかったことに気づいても、それでも絶望せずに自暴自棄にならずに、自分のできる精一杯を”行動して”生きていく。
「そういう人は、絶対に人生を後悔することにならない」
そう、半世紀以上人生相談を受けている加藤先生もおっしゃっているし、40代で一度家族が壊れたり人生に挫折しても、10年後に想像をはるかに上回る幸せと絆を手に入れている人がたくさんいると、再婚した人のブログにもあった。
だからわたしはこれからも自分を信じて、2025年も、できる精一杯をやって生きていこうと思う。辛い経験がわたしをさらに成長させる。
2025年こそは、努力が報われると信じて。愛の復活を、信じて。