また加藤先生の本を読んで、私の母が意図的に(本人は無意識かもしれないが)私の結婚を壊して妹とも絶縁させたことが確定してしまった。
このような人は幼少期に得るべきだった親からの愛情と承認を得られず、愛情飢餓感が深刻なまま大人になり、そのために友人や恋人と、配偶者とも心の交流をすることができず、全ての人間関係で失敗してきて、最後に辿り着くのが”子ども”なのだ。
子どもほど意のままに操れる存在はいない。
大人なしでは生きることができない小さなうちから洗脳して仕込んでおけば、自分の劣等感や虚無感を払拭してくれる都合のいい人間に仕立て上げることができる。
そんな存在は子ども以外にはいない。
役割逆転の親は、親にしがみつかなければ生きられない子どもを、自分の生きる糧にする。
そのような親にとって、子どもの自立は最大の攻撃であるから、命懸けで阻止しようとする。
子どもに味方ができて、自分の敵意に気づいて離れるのが死ぬほど怖い。
だから子どもを孤立させる。
他の家族とタッグを組む。恋愛や結婚を阻止する。
親族に会わせない。
こうして、子どもが他の人を味方につけて自分の敵にならないように
細心の注意を払って、先回りして囲っておく。
ここまでするのは、役割逆転の親にとって、ターゲットの子どもが自立して自分から離れることは、親自身の生死に関わっているからだ。
この子の心が自分から離れたら、自分はもう生きられない。
他に心の交流ができる存在は1人もいない。
この子がいなくなれば、自分は社会で役に立たない人間だったことや、表面だけの夫婦関係でやってきたことに、目を向けなければいけなくなってしまう。
この年でそんな現実を見れば、もう生きることさえできない。
だから、子どもの自立を全力で阻む。
加藤先生は、
親にしがみつかれている子どもは、殺される以上の苦しみを味わっていると言う。
全身全霊で信頼し、命を預けてきた親に、命懸けで自立を阻止されて、それを突破するのは子どもにとって人生最大の難関だ。
このような親から子どもが離れるとき、それは銃口を互いに向け合ったまま後ろに下がるような緊張感のあるものになる。
お互いに命懸け。
この戦いに負けた私の夫は、実際に死んでしまった。
毒親の銃弾に倒れた。
彼もまた愛情飢餓感の深刻な人で、結婚によって本当の愛を知ろうとしていたのだけど、本当の敵は自分の親ではなく、嫁の親だったことに、私たちはその瞬間まで気づいていなかった。
- 母は、私の妊娠報告の電話で「じゃあもう離婚し」と言った。
- 出産後に「めっちゃ痛かった。世の中のお母さんみんな尊敬する」と言った私に「お母さんのことも尊敬して」と言った。
- 母は、私が親戚に会うことを嫌がる。
- 私を親族の葬式に参加させない。
- 子どもの頃から、妹と母はタッグを組んで私を敵視していた。
- 離婚直後に妹と絶縁になったことを、悲しむどころか喜び、放置している。
- これまで、父と私が直接話をしないように、自分が間に入ってきた。
- 私と喧嘩した時は自分が被害者だと父に告げ口し、父に私を叱らせてきた。
- 産後私が一番大変な時に夫をいじめ、コソコソ直接連絡をとって「あんたはいらない」というメッセージを送り続け、夫の心を壊した。
- 里帰り出産を終えて私たちが実家を出るために荷造りをしていた時、母は私の背中に向かって正座して「お父さんお母さん敵なん?」と低い重い声で言った。
母は、私が夫と子どもと新しい家庭を持ち、義理両親と仲良くして自分から離れていくことが死ぬほど怖かったのだ。
私が他の人と子育てをしたら、自分の親としての機能不全に気付いてしまうと、無意識に母の中で警報が鳴ったのだろう。
だから私を愛する他人を徹底的に排除して、自分と一緒に子育てをするしかなくなるように仕向けた。
そうすれば、自分の親としての不完全に娘は気づかずにいられるかもしれないと。
「親子の役割逆転をしている親にとって、ターゲットの子どもは本当に命綱」
命懸けでしがみついている。
子どもの方は、それを振り払わない限り自分の人生を生きることはできないし、幸せにはなれない。
このような親に支配された人生だったとしても、気付いたときにきちんと離れることができれば、晩年は幸せになれる。
親の方から離れることは絶対にない。生きている限り。
子どもは、本当に好きな人を見つけて一緒になれば、離れられる。
1人でいてはダメ。親が入り込む隙があるから。
私は好きな人と愛されて一緒になったけれど、夫は戦いに負けてしまう弱い心の持ち主だった。
今度は、自立への戦いに負けたりしない、すでに自立している強い心の持ち主と結婚する。
そうすれば、私はやっとこの戦いに勝つことができる。
そして、晩年は心穏やかに幸せに暮らすことができる。
ずっと過保護な親に愛されて守られて育ってきたと思い込んできたけど、
実際は私が母の心と両親の夫婦関係を守って生きていた。
心理学者の先生が「殺される以上の苦しみ」だという親子関係の中で生き延びてきたのだから、人生後半は人も羨むほどの幸福に包まれて生きる権利があると言うものだ。