親、特に子どもを自分を慰める道具にしている毒親からの真の自立は、人格を作り直す作業になる。
私は40歳で自分の親が毒親であることに気づき、そこから人格の再形成が始まった。
親に愛されて守られていると信じていたときの私と、
親に応援されても守られてもいないことを知った後の私とでは、まるで別人だ。
まさに、私は40歳で一度死んだ。
肉体はずっと生きているけれど、心は死んだ。
そして、第二の人生が始まった。
いつでも実家に帰れると思っていた。
親は私の幸せと自立を願って応援してくれていると思っていた。
勘違いだった。
子どもを産んで親になった私には、
暖かく迎えてくれる実家も、応援してくれる親もいない。
夫もいない。
親になった私には、つかまるものが何もなくなった。
寄りかかる肩が1つもなくなった。
子どもを守っているけれど、私を守ってくれる人はいなくなった。
きついよなあ、とずっと思っていたけど
加藤先生の本には答えが書いてあった。
人間は何かにつかまっていないと生きられないが、
人格の再構築期には、つかまるものが何もなくなる。
そこを踏ん張って乗り越えた人は、幸せになれる。
本当の自分を生きることができる。
つかまるものが何もない。
守ってくれるものがない。
それは、人格の再構築期だからなのか。
確かに、40歳を境に私は別人になった。
配偶者もいない状態で、親を頼れないと認識したその時から
本当の自立が始まる。
私は今まで自立していなかった。
自分が甘いんだと思っていたけれど、そうじゃなかった。
親が、命懸けで私の自立を阻んでいたからだった。
私が大人として一人前の人間になることを、望んでいなかったからだった。
その真実に気づいてから、私の本当の自立への奮闘が始まった。
誰も頼る人がいない、孤軍奮闘の状況で
それでも諦めずに、心折れずに、自分ができることを精一杯やって生きる。
多少顔がキツくなるのは仕方ない。今は。
20歳で自立することを許されなかった私は
結婚しても自立していなかった私は
親になってやっと、強制的に自立させられることになった。
もっと早くに親といい感じに分離できている人は
こんな苦労はしなくていいのだろう。
でも、これが私の運命。
私の人生だと。
つかまるものが何もない状況で、生き延びることができたなら
その時私は本当に自分に自信を持ち、
1人でも幸せ
2人ならもっと幸せ
と感じることができ、本当に心で繋がっている家族を持つことができるんだと思う。