悲しみは時とともに和らぐ。
記憶は時とともに薄れる。
でも、後悔は日増しに強くなることもある。
離婚当初想像していたよりシングルの期間が長くなって、両親や妹とも関係破綻し、完全に一人で子供を育てている孤立無縁のシングルマザーライフ。
他人の力は借りているから、完全に一人というわけではないけれど、本来あるはずの家族の力が本当にない状態。
お年玉や誕生祝いと言って両親と義父から年に2回ほどお金が送られてくるけど、そんなお小遣いは私たちの生活の足しにはほとんどならない。
本来なら、毎月決まった金額の援助があって然るべきシングルマザー。
今日娘に、「ママはわたし以外に好きな人いる?」と聞かれて
「いない。好きな人はみんないなくなっちゃった。」と答えた。
本当にそうだから。
今の私には、娘以外に好きな人がいない。
こんな状態は、40歳までなかった。
最近また、夫のことをよく思い出し、もし今ここに彼がいたなら、と妄想をしてしまう。
彼は9歳になった娘と一緒にゲームを楽しんだりしていたかな。
その間に私はパソコン作業ができたかも。
一緒に海外のリゾートに行って、3人で遊べたら、どれほど幸せだったんだろう。
ずっと母子旅行ばかりしてきて、さすがに疲れてきたし、淋しく感じる。
私に旅を教えてくれたのは夫だから、旅をするたびに彼を思ってしまう。
テレビでサッカーが盛り上がっている。
夫は大のサッカーファンだった。サッカー選手の名前を口にするようになった娘に、サッカーのことを語る夫は、きっと嬉しそうな顔をしていたんだろうな。
1歳の、まだおしゃべりをする前に離れてしまったから、夫と娘が会話をするところを見ることはできなかった。
義母は、おしゃべりするようになったらもっと可愛いよ、と1歳の時に言っていた。
義母と中国語でおしゃべりする様子を、見たかったな。
今日、ワガママばかり無い物ねだりばかりする娘を、たたいてしまった。
夫がいたなら、普通に3人家族だったなら、お金と時間にもっと余裕があったなら。
こんなケンカは、起きなかったのかな。
今娘は春休みだけれど、私には仕事がある。
昼間、在宅ワークしている私が休憩していると、「ママ遊んで」と言ってくる。
お昼は仕事あるから無理だよ〜というと、涙を浮かべて怒る。
「せっかく休みなのに〜!」
夫がいたなら、二人とも家にいて、たっぷり娘と遊んであげられたのに。
私は本業以外にお金を稼ごうと副業をあれこれ手を出している。
ネットで家にいながら稼ぐ仕事なんて、夫と二人でやっていたら、もっと余裕があって楽で楽しくできただろうな。
夫の家から役員報酬という名の仕送りを毎月もらいながら、好きなだけゴールドカードを使いながら、自分たちでも収入作ろうよ、という感じでYouTubeやったりSNSやったり、コーチングやったりして、あーだこーだ相談しながらやれたら。
愛の波動でやることはうまくいきやすいから、きっとすぐに成功しただろう。
実際、夫と一緒にいる時の私は何をやってもすぐに成果が出ていた。
ブログを書けばSNSのシェアも何もしていないのにすぐに1万PV超えた。
離婚後、心から愛がなくなった私は、何をやってもうまくいかない。
こんなに人生に悪影響があるなんて、思っていなかった。
いや多分、離婚が原因というよりは、親との確執が本当の原因だと思う。
親に愛されて応援されていると思い込んでいた40歳までの私と、親の本心に気づいて親を信じられなくなり、憎み、恨むようになったそれ以降の私とでは、まるで別人だから。
でも夫は、私が離婚しなかったとして、本当に一緒に育児ができる人だったのだろうか?
彼の高校時代からの親友は、子どもが産まれて最初に会った時、
「お前育児できんの?」と言った。
彼と父親は、友人の中で到底結びつかなかったみたいだ。
ある占い師には、彼は「トップオブクレイジー」だと言われた。
変人で、統合失調症で、金持ちのボンボンで、かまってちゃんの無職、ほぼ育児放棄状態でシッターに育てられた男に、育児ができただろうか?
もしかしたら、無理だったのかもしれない。
子供を望んだのは、彼だったけれど。
彼は子育てとは何かを全くわかっていなかったと思う。
今幸せな俺らの間に、ここにちんまいのが増えるんでしょ。
おもしろいよね。
そんなことを言っていた。
妹は私たちの結婚を、「おままごと婚」だと言った。
確かにそうかもしれない。
実際、私が産院に入院している間に、夫は「ねえ、退院早められないの?俺もう限界」
と虚な目で言ったし、子どもを見る時間より、自分に構ってくれなくなった私に怒りをぶつけていることの方が多かった。
だから朝4時ごろに目が覚めて、いつも寝室を出てリビングで本を読んだりしていた。
彼が部屋を出る時、私は目が覚めてしまうことが多く、0歳の赤ちゃんはなおさらちょっとしたことで起きてしまうから、夜泣きしてやっと寝たと思ったら夫が起きる音でまた起きて、などをやっていると私は全く眠れない。
だから夫には別の部屋で寝てもらっていた。
夫は、「俺しらゆきちゃんが隣にいないと眠れない」と訴え、朝起きてくるなり、あからさまに憂鬱な顔を見せてきた。
私はそんな彼にイライラしていた。
高い高いをして天井に子どもの頭をぶつけたり、海外の道路で歩道がほとんどないような道をものすごい早足でベビーカーを押して歩いたり、肩に子どもを米俵みたいに担いでふざけてわっしょいわっしょいと言いながら歩いていることがあった。
正直、彼が赤ちゃんと一緒にいるのを、危険だと感じていた。
夫がそうなったのは、出産前後に私の実家で母にいじめられて精神状態が悪化していたせいかもしれない。
それは事実だと思う。
でも元々、統合失調症を持っていて、毎日抗精神病薬と睡眠薬を飲みながらなんとか日常生活を送っていた彼に、親になった嫁の変化に対応して自分も父親になるという難易度の高いことが、果たしてできただろうか。
かなりチャレンジングなことだったと思う。
母のいじめがなかったとしても、里帰り出産しなかったとしても、
もしかしたら、ただ、母になった嫁の変化と、自分中心でいられなくなった状況に適応できずに、彼の精神状態は悪くなった可能性もある。
別居中の夫の不気味な脅迫のようなメールに悩んでいた頃、相談した占い師が、
「ああ、この人、48までに亡くなるよ。遅かれ早かれね、別れることになる。」と言った。
「この人はなまじ体が丈夫だから病気では死なない。心がダメになって、お迎えが来る」別の占い師はそんなようなことを言った。
まさか本当に当たってしまうなんて。
私は、彼と老いるまで一緒にいて、できるだけのことをしてあげたかった。
子どもを産まなければ、一緒にいられたのかもしれない。
でも彼は、子どもを望んだ。
早く亡くなってしまうなら、遺伝子を残せたのはよかったのかもしれない。
本当に不思議な人だった。
おもしろくて、クレイジーで、かっこよくて、ぶっとんでいた。
でも可愛らしくて、素直で、魂のきれいな人だった。
結婚していた6年間、いろんなことがあったけれど、私は幸せだった。
彼も、すごく幸せそうだった。
ただ二人で自転車で並んで走っているだけで、ホテルのプールで一緒に泳ぐだけで、一緒にお鍋を囲むだけで、彼はいつも「あ〜幸せだ〜」と言っていた。
私たちは二人で、遊んで暮らすのには最高のパートナーだった。
でも、一緒に育児をするパートナーではなかったんだろう。
子どもを望むべきではなかった私たちが、子どもを産んだことで与えられた過酷すぎる試練。
何より強烈な、実の親に幸せを願われていなかったことに気づいてしまうという試練。
彼は、私が人生を親に支配されたものから自分の手に取り戻すために、ほんの6年私のそばにいた天使だったのかもしれない。