私は娘が4歳の時にパパがこの世にいないことを伝えた。
幼稚園でパパの話をするお友達や、運動会で両親揃ってきている家族を見て、娘は母と2人暮らしの自分の家を疑問に思った。
「パパいないの?」
あ、とうとうこの時が来たか。
娘は1歳半から父親に会っていないので、父親の記憶がなく、いないのが当たり前だから疑問に思うのは遅いだろうと考えていた。
しかし幼稚園という集団生活の中で他の家族を見たり聞いたりするのだから、当然自分の家と違うところには気づいてしまう。
「そうだね。りんごのパパは、、、お空にいるの。遠い遠いところ」
最初はそんなふうに言ったような気がする。
「ふうん」
4歳の時はやはりよく理解していなかった。
ただ「ここにいない」ということだけはわかったらしい。
幼児に対して死別をどう伝えたらいいのか。
ネットで体験者の話を調べてみたり、あれこれ考えたりしてみたが、正解は分からなかった。
でも私は嘘がつけない。
離婚と違って死別の場合は
どれだけ願われてももう会うことはできないのだから
「もう会えない」ことだけは理解させないといけないと思った。
その場を誤魔化すために
「今は別の場所にいるけど、そのうち会えるよ」などとは絶対に言えなかった。
大きくなるにつれて、娘は父親のことを知りたがった。
「パパどうやって死んだの?」
「死んだらどこにいくの?」
「今もりんごたちのこと見てる?」
私はその度にちょっと悲しい気持ちを抑えながら
誠実に話をしてきた。
「パパ生まれ変わってまたりんごのとこに来てくれるかな?」
「そうならいいけど、でもママの夢に出てきたパパはもう神様になってたよ。金ピカの神様になってとても安心した顔してたから、今は天国で幸せなんじゃないかな」
「え!パパ神様なの?!すごいね!でも、ここに来てくれないの悲しい」
「神様は体はないけど、どこにでもいることができるんだよ。だからママとりんごが幸せでいられるように見守ってくれてると思うよ。」
そんな会話を何度かしてきた。
でも小学生になってから、娘は時々
「パパいないの悲しい」
「パパが欲しいよ〜」
「なんで死んだの」
と言って泣くようになった。
9さいの時に私は引っ越した家に初めて遺影を飾ろうとした。
私もそれまでは受け入れられていなかったのか、どうしても写真を飾る気になれなかったのが、7年近く経ってふと「写真を飾ってちゃんと供養したい」と思うようになった。
夫と義母のにっこりしている顔の写真をプリントして
寝室の位牌の隣に並べてみた。
するとベッドの上にいた娘が
「パパとおばあちゃんの写真あるの嫌だ!
みたら悲しくなる〜」と言って泣き出してしまった。
私は慌てて「え!ごめん、ごめん。悲しくなっちゃうか。そうだよね」と言って出したばかりの写真をまた箱にしまった。
当然のことながら、娘はまだ家族の死を受け入れられていない。
でも、死を身近に感じているようで、YouTubeで事故や事件の動画をよくみていたりする。
娘なりに「死ぬ」とはどういうことなのか。
人が死んだ後、家族はどうやって生きてるのか。
そんなことを知ろうとしているように思える。
私の親は「死」をタブーなものとし、徹底的に隠してきたので
子どもの私にとって「死」は遠いものだった。
私が初めて「人の死」を目の当たりにしたのは高校三年生の時。
神戸の震災でクラスメイトのお姉さんが亡くなり、みんなでお通夜に行った時だ。
大学生の時に祖母が亡くなって、いつも親族の死を私に隠してきた母も、さすがに自分の気持ちで一杯一杯だったらしく、私を葬儀に連れて行った。
もう大学生だ。
私が家族の死を体験するのは、遅かったかもしれない。
泣き崩れている母を見て、私は涙が全く出なかった。
現実味がなかったのだ。
大学生になってもまだ、私は「死」をよく理解していなかった。
それに対して、娘は小さなうちに家族の死を知り、人の生死について興味を持つようになった。
私は動物ドキュメンタリーを見るのが好きで、娘と一緒によく見るのだが、捕食動物が獲物を捕らえて殺すシーンで、動物好きな優しい娘はいつも号泣する。
まだ見せるべきじゃない。
そう思う人も多いかもしれない。
だけど、子どもにとって大切な大切な「父親」を亡くしている娘には
誰でも、どんな動物も、この地球のすべての生命はいつか死ぬということを理解して欲しいと思っている。
家族を亡くしているのは自分だけじゃないし
みんな有限の命で生きているのだから、失ったものを嘆くより
今ここにあるものを大切にして、日々笑って生きよう。
そんなふうに考えてもらいたいと願っている。
でも、一番マイナスの影響としては
娘は私がいなくなることを極度に恐れているということだ。
学校から帰るたびに私の姿を見て
「よかった。ママいた」と安心する。
徒歩3分のスーパーへ行くのも留守番を嫌がる。
ママが無事に帰ってくるかどうか心配でたまらないのだそうだ。
スクールバスから事故をみたりしたら
「もしかしてママ?!」といてもたってもいられないほど心配になったと言った。
パパが死んだから
ママが生きていること、がまだ1人で生きられない娘にとっては死活問題で
私の身の安全をものすごく心配する子どもになってしまった。
私は親が死ぬかもしれないなど、30歳くらいまで思ったことなどないのだから
これは4歳で父親の死を知った影響だと思っている。
娘はどうしたら安心してくれるのだろう。
そりゃあ自分を守る親がたった1人しかいなくて、他の家族もいない異国に2人で住んでいるのだから「もしママに何かあったら」と心配になるのも無理はないと思う。
こればかりは、新しいパパが我が家に来てくれるまで、他に自分を命懸けで守ってくれる大人が現れるまで、彼女は安心できないのかもしれない。
子どもに死別を伝えるのは、胸が痛くて、難しいことだ。
痛くても難しくても、私たちは全てを背負って前に進まなければならない。