実家に到着して、やはり母はぎこちない表情だった。
私達はすぐにマンスリーアパートを探して、産後もそこにいるつもり
だったけど、両親が、産後は家にいたらいいじゃない、壁の薄い
アパートだったら赤ちゃん泣いたら何か言う人もいるかもしれないし。
と提案してきた。
まあ、両親が孫と一緒にいたいというのが一番の理由だったと思うけど。
その時は、そうした方がいいかなあ、と私も思った。
確かにご近所を気にしながら赤ちゃんの世話するのも嫌だし。
夫も、その時は、僕はそれでも別にいいよ。
お母さんの料理おいしいしね。
リリちゃんもその方が楽でしょ。
と言ってくれた。
でもその後、アパートに入居するまで3週間ほど実家にいる間に
そんな考えは微塵もなくなった。
母はやはり基本的に不機嫌で、私達の食事の用意をしながら
洗濯物をたたみながら、車で送り迎えしながら
態度はいつも不機嫌だった。
行動だけみれば、献身的に世話を焼いてくれているのに
顔は怖く、態度は悪く、言葉は冷たく意地悪だった。
しかし父が帰宅すれば、急にニコニコして
明るい上機嫌な、献身的な母を演じ始める。
そのギャップが、私達夫婦の精神を蝕んでいった。
アパートに入居した後も、買い物に連れて行ってもらったりしていたが、
母の不機嫌は続いていて、アパートに来た時にも夫に挨拶も
返さない始末だった。
ある日車の中でまた不機嫌全開にした母にとうとう耐えかねて
「私が子供産むのがそんなに気にいらんの?」と聞いた。
母は驚いたように
「なんで?そんなわけないやん。うれしいよ。」と言った。
「うそばっかり。全然うれしそうにしてへんやん。いっつもいっつも
仏頂面して。」
切り出した私は、もう止まらなかった。
妊娠5ヶ月で一時帰ってきた時から、いや電話で妊娠報告した時から
ずっと母が喜ぶどころか不機嫌になったのが、理解できなくて
傷ついたこと。
婿にひどい態度であること。夫は傷ついていて、こんなんじゃ
子供が生まれた後ここに連れて帰ってくるのも嫌だと
言い始めていること。
そうすると母は、不機嫌の理由として
「だって、あんたも(夫)も、お母さんに反抗的やんか。
お母さん一生懸命やってるのに、感謝もなくお母さんの言うことに
反論ばっかりして!」と言った。
確かに、母が自信たっぷりに言ってくる育児の知識。
それは40年近く前の情報、知識で、今は間違いだったと
されていることが多いので、情報が更新されていない母に
私は、あ、それ今は間違いってことが分かってるらしいよ。
とか言っていた。
医学的なことも、情報といえばテレビと週刊誌しかみない母に
対し、私達夫婦は、インターネット、書籍、メルマガなど
幅広いメディアや知人から、最新の情報を得ているので
それを母に伝えていた。
それを母は、自分への反抗、と受け取っていた。
だから私は、それを反抗と捉えるのがそもそもおかしい。
私達もう40近い大人だし、大人として自分の意見を
言ってるだけやん!
そう言ったら、母は目からウロコみたいな顔をして黙った。
ふ~ん・・・・・そうか・・・・
団塊世代が妄信してきた情報を、間違いだったんだって。
と言われて、受けるショックはいかほどのものだろう。
そう言われても、にわかには覆せないだろう。
そして、父と妹には不機嫌な顔を隠す母に、
お母さんが一番気遣わないとあかんの(婿)やで。
(婿)よそから来た人やで。違う環境で育った人やで。
せめてお父さんや(妹)に遣うぐらいの気は遣ってよ!
お母さんが態度改めへんのやったら、ほんまに
孫連れて帰って来れなくなる。
(夫)はもうないわ、って思ったらほんまに切る人やで。
せっかく生まれるのに、会えなくなるよ!
私、(夫)とお母さんが対立したら(夫)の方につくから。
そっちが今の私の家族やから。
孫連れてお母さんのとこに行くと思ったら大間違いやで!
・・・・・そこまで一気に言った。
さすがに、孫に会えなくなるという文句が効いたのだろう。
母はしばらく考えてから
「わかった。お母さんが悪かったわ。そんな不機嫌にしてるつもりなかったけど
あんたらにそう見えてたんやったらそうやったんかもしれへん。
ごめんな。これから気つけるわ。(夫)にも、謝ったほうがいいね?」
そう言って、一緒にアパートに行き、母は無理して笑顔を作って
夫に明るく謝った。
それで夫の気は晴れたみたいだったが、母の無理している笑顔と
婿に謝っている姿が、私には、少し痛かった。