妊婦健診は、車で行く関係上、いつも母に付き添ってもらっていた。
しかし私はひそかに、産気づいた時は母には知らせず、タクシーで
病院へ行こう、と決めていた。
なぜなら母がそばにいると、私も夫も変に緊張し、私は苦しみが増すし、
誰よりも手も口も早い母のせいで夫が一生に一度の娘の誕生の
瞬間に遠慮して後ろに下がってしまう、というようなことが
起こることが目に見えていたから。
母は当然出産の瞬間も自分がそばにいることを想定して
「お母さん夜寝る時も携帯枕元に置いてるから夜中でもいつでも
連絡してきてよ。」と言っていた。
私は、「でも出産の立ち合いって旦那さんだけなんやって。
お母さん病院来ても居るとこないよ。」とだけ言っていた。
母は、え?そうなん?と不満そうだった。
そして予定日より10日早く、私は陣痛が強くなって、夜中の2時に
予定通り夫と二人でタクシーで病院へ行った。
夜中の分娩を避けるという病院側の都合で
陣痛緩和剤を打たれ、次の日に出産することになった。
翌朝、8時頃、病室のベッドの枕元の携帯が鳴った。
母からの、まるで虫の知らせかのようなメッセージ。
「陣痛大丈夫ですか~?何かあったらすぐ知らせてね~」
まだ予定日の10日前で、直前の検診の時には
お医者さんに、まだ全然下がってないからまだまだやね~って
言われたよって話してたのに。
母親というのは、子供に何かあったら直感でわかるものらしい。
だけど私は、「大丈夫です。何かあったらこっちから連絡するから
お母さんは普段通り生活しててください。」とだけ返信した。
実際は今日、出産するというのに。
冷たい子供だろうか?
夫は、ずっと付き添って、私を扇いだり、水を飲ませてくれたり
腰をさすったりしてくれた。
午後になって陣痛室に入り、分娩までは5時間程度という
安産で無事に娘を出産した。
夫は出産に立ち会い、私の体を支えて共にがんばった。
そして娘を、私の次に一番に抱いた。
よかった。
これが、私達夫婦の望んでいたこと。
そして私が後産の処置をされている間に先に個室へ戻った夫が
母に電話で報告してくれた。
私が個室へ戻ると、母がいて
私は不覚にも泣きそうになってしまった。
「お母さん。陣痛ってこんなに痛いんやね!私世の中のすべての
お母さん尊敬する!」と言った。
「お母さんのことも尊敬して~」と、母は言った。
やはり、私に軽んじられていると感じているみたいだ。
陣痛は、想像をはるかに超える痛みで、
本当に人類が耐えられるマックスの痛みだと思った。
私は5時間の安産でそう思ったのに、
母は私を産む時、27時間かかって、出血多量で意識不明になりかけた
らしいから、その苦しみは察するに余りある。
母は私を産む時苦しかったことを、それこそ何百回も私に言う。
だから私はその時の苦しみのために、母は私に意地悪になったんだ、と
思うようになった。
妹は超安産で病院ついてもうすぐ生まれたんよ~と笑顔で言うから
妹には今も優しいのかな、と思ってしまう。
生まれる時のことを責められても、胎児だった私に罪はないはずなのに。
むしろ安産でなかった原因は、母親にあるはずなのに。
母があなたを産む時大変だったんよ、と私に言うたび、
私は母に生まれた時からずっと責められているんだな、と感じる。
母親を苦しめる悪い子。
母は、私にそういうレッテルを貼った。
私は安産でほんとによかった。
私は娘に、そんなレッテルを貼らずに済む。
安産ヨガをやっていて、よかった。
食事に気を付けて、拭き掃除やウォーキングをやっていてよかった。
健康体でよかった。
支えてくれる夫がいて、よかった。
娘にも、感謝しかない。
ほんとにありがとう。
私たちのところに来てくれて、ありがとう。
しかもね、シータヒーリングによると、娘は夫を、救いに来たらしい。
過去生で娘は平安の姫だったことがあり、夫は爺だったらしい。
とても仲良しだったんだって。姫は爺のことが大好きだった。
だから、今世精神的に苦しんでいる爺を、救うために、
明るい世界に押し出すために、姫は娘となってまた爺のそばに
やってきた。
いいなあ。
私はその時代、そばにいたのかな?いなかったのかな?
娘は、本当に姫顔だ。
高貴な顔立ちをしている。親ばかかもしれないけど。
話は戻る。
出産を終えて病室に戻って母と会い、母は
親戚に電話をかけ始めた。
「今日さっき生まれたよ~。私も生まれてから知らされたんよ。
もう~なあ。なんか旦那さんしか立ち合いできへんから言うて。」と
母はおばに不満げに言っていた。
その後、近所に住んでいるおばや、父が面会にやってくるのだが、
みんな母のテンションに引いていた・・・・
普段より2オクターブくらい高い声で看護師さんに挨拶し
入院申込書の保証人欄をセカセカと書き、病院内を小走りで
ちょろちょろしていた。
あちこち電話して、私の荷物をセカセカと片づけ
いつも以上に落ち着きがなかったので、夫は外にたばこを
吸いに行ったり、新生児が見られるところに行ったりして
なるべく母から離れていた。
お母さん毎日来るからね!と言うので
いや、来ないで。
(夫)が来てくれるから大丈夫やから。と断った。
病院も基本的には面会の人数は少なめに、
できるだけパパ一人とかでお願いします、って言っているし。
赤ちゃんをあまり外部の菌にさらしたくないからね。
私達がくつろげるのは、母がいない時間だけだった。
しかし私はひそかに、産気づいた時は母には知らせず、タクシーで
病院へ行こう、と決めていた。
なぜなら母がそばにいると、私も夫も変に緊張し、私は苦しみが増すし、
誰よりも手も口も早い母のせいで夫が一生に一度の娘の誕生の
瞬間に遠慮して後ろに下がってしまう、というようなことが
起こることが目に見えていたから。
母は当然出産の瞬間も自分がそばにいることを想定して
「お母さん夜寝る時も携帯枕元に置いてるから夜中でもいつでも
連絡してきてよ。」と言っていた。
私は、「でも出産の立ち合いって旦那さんだけなんやって。
お母さん病院来ても居るとこないよ。」とだけ言っていた。
母は、え?そうなん?と不満そうだった。
そして予定日より10日早く、私は陣痛が強くなって、夜中の2時に
予定通り夫と二人でタクシーで病院へ行った。
夜中の分娩を避けるという病院側の都合で
陣痛緩和剤を打たれ、次の日に出産することになった。
翌朝、8時頃、病室のベッドの枕元の携帯が鳴った。
母からの、まるで虫の知らせかのようなメッセージ。
「陣痛大丈夫ですか~?何かあったらすぐ知らせてね~」
まだ予定日の10日前で、直前の検診の時には
お医者さんに、まだ全然下がってないからまだまだやね~って
言われたよって話してたのに。
母親というのは、子供に何かあったら直感でわかるものらしい。
だけど私は、「大丈夫です。何かあったらこっちから連絡するから
お母さんは普段通り生活しててください。」とだけ返信した。
実際は今日、出産するというのに。
冷たい子供だろうか?
夫は、ずっと付き添って、私を扇いだり、水を飲ませてくれたり
腰をさすったりしてくれた。
午後になって陣痛室に入り、分娩までは5時間程度という
安産で無事に娘を出産した。
夫は出産に立ち会い、私の体を支えて共にがんばった。
そして娘を、私の次に一番に抱いた。
よかった。
これが、私達夫婦の望んでいたこと。
そして私が後産の処置をされている間に先に個室へ戻った夫が
母に電話で報告してくれた。
私が個室へ戻ると、母がいて
私は不覚にも泣きそうになってしまった。
「お母さん。陣痛ってこんなに痛いんやね!私世の中のすべての
お母さん尊敬する!」と言った。
「お母さんのことも尊敬して~」と、母は言った。
やはり、私に軽んじられていると感じているみたいだ。
陣痛は、想像をはるかに超える痛みで、
本当に人類が耐えられるマックスの痛みだと思った。
私は5時間の安産でそう思ったのに、
母は私を産む時、27時間かかって、出血多量で意識不明になりかけた
らしいから、その苦しみは察するに余りある。
母は私を産む時苦しかったことを、それこそ何百回も私に言う。
だから私はその時の苦しみのために、母は私に意地悪になったんだ、と
思うようになった。
妹は超安産で病院ついてもうすぐ生まれたんよ~と笑顔で言うから
妹には今も優しいのかな、と思ってしまう。
生まれる時のことを責められても、胎児だった私に罪はないはずなのに。
むしろ安産でなかった原因は、母親にあるはずなのに。
母があなたを産む時大変だったんよ、と私に言うたび、
私は母に生まれた時からずっと責められているんだな、と感じる。
母親を苦しめる悪い子。
母は、私にそういうレッテルを貼った。
私は安産でほんとによかった。
私は娘に、そんなレッテルを貼らずに済む。
安産ヨガをやっていて、よかった。
食事に気を付けて、拭き掃除やウォーキングをやっていてよかった。
健康体でよかった。
支えてくれる夫がいて、よかった。
娘にも、感謝しかない。
ほんとにありがとう。
私たちのところに来てくれて、ありがとう。
しかもね、シータヒーリングによると、娘は夫を、救いに来たらしい。
過去生で娘は平安の姫だったことがあり、夫は爺だったらしい。
とても仲良しだったんだって。姫は爺のことが大好きだった。
だから、今世精神的に苦しんでいる爺を、救うために、
明るい世界に押し出すために、姫は娘となってまた爺のそばに
やってきた。
いいなあ。
私はその時代、そばにいたのかな?いなかったのかな?
娘は、本当に姫顔だ。
高貴な顔立ちをしている。親ばかかもしれないけど。
話は戻る。
出産を終えて病室に戻って母と会い、母は
親戚に電話をかけ始めた。
「今日さっき生まれたよ~。私も生まれてから知らされたんよ。
もう~なあ。なんか旦那さんしか立ち合いできへんから言うて。」と
母はおばに不満げに言っていた。
その後、近所に住んでいるおばや、父が面会にやってくるのだが、
みんな母のテンションに引いていた・・・・
普段より2オクターブくらい高い声で看護師さんに挨拶し
入院申込書の保証人欄をセカセカと書き、病院内を小走りで
ちょろちょろしていた。
あちこち電話して、私の荷物をセカセカと片づけ
いつも以上に落ち着きがなかったので、夫は外にたばこを
吸いに行ったり、新生児が見られるところに行ったりして
なるべく母から離れていた。
お母さん毎日来るからね!と言うので
いや、来ないで。
(夫)が来てくれるから大丈夫やから。と断った。
病院も基本的には面会の人数は少なめに、
できるだけパパ一人とかでお願いします、って言っているし。
赤ちゃんをあまり外部の菌にさらしたくないからね。
私達がくつろげるのは、母がいない時間だけだった。