子の心親知らず

実の母親に家庭を壊された毒親育ちのシングルマザーが親子のあり方を考察するブログ。

里帰り出産の理想と現実~実家を去ることを伝えた日~

夫は、思い立ったらすぐ行動しないといられない性質だ。

もう今からタクシーでもいいから行こうよ。とか言われて
ちょっと待って。親にちゃんと話さないとあまりにも失礼やんか。
と言うと、じゃあすぐ話してきて。俺まじ無理だから。と言われ、
悲しい気持ちいっぱいで、両親のいるリビングに行った。

その日は土曜日で、父もいた。

私はリビングに入るなり母に、
「お母さん、リリ夫にきつくあたってるの?」と切り出した。
もうすでに涙声になってしまった。

母はすぐにきつい表情になり
「なんもきつくなんかあたってへん。何?」と答えた。

リリ夫、もう、今すぐこの家出たいって。お母さんがきついからって。
今からタクシーでもいいから出ようとか言い出してる。

父の顔色も、変わった。

父にして見れば、一生懸命世話してやっているのに
この家出たいとは何だ!という気持ちだったと思う。

母はずっと、父には私達に対する不満な気持ちや
言い争いがあったことなどを隠しているから
私は、この機会に父にも全部知ってもらおう、と思った。

子供の頃からずっと、都合の悪いことは父に隠す母を
ずるいと思っていたから。

お母さん、リリ夫が朝起きてきたときも、おはようの挨拶も
返さんで、自分で朝ごはんできるんやろ。とか言ったらしい
やんか。リリ夫、婿やで。そんな冷たくされたら傷つくの
当たり前やんか。なんでそんな態度取るん・・・・

お母さん、リリ夫がずっと家にいるのが嫌なんやろ。
勤め人じゃないのが認められへんのやろ。
1日中外で働いてればいいのに、とか思っているんやろ。

そう言ったら

そんなん当たり前や。普通思うやろ。

と言われた。


母が私達に、特に夫に冷たかった理由は
私達が反抗的、だけではなく

夫が、精神疾患を持っていてちゃんと働いていないのに
子供を作ったこと。

里帰り出産なんて”普通”娘だけが帰ってくるものなのに
なんでか婿までセットで実家にいるということ。

根本的な不満は、そこにあった。

母は、妊娠報告した時も、おめでとうより先に
リリ夫、仕事どうするんやろ?何考えてるんやろ?と
低い声で言ったし

実家にいる間にも、
お母さん、あんたと孫だけやったらなんぼでも家おってもらって
ええけど。

と婿はいなくてもいいのに、というメッセージを隠しもしなかった。

子供ができる前から、私達夫婦は、いつも二人で実家に帰っていたけれど
最初は張り切って婿の食事の用意をし、
男の子はたくさん食べてくれるからええわ~とか喜んで
仲良くやっていたものが

毎年毎年けっこう長居するものだから、母はだんだんと嫌になっていた
みたいだ。

食事に関していえば
結婚1年目、実家で3ヶ月お世話になったことがあった。
その時、夫の状態はあまりよくなくて、私も精神不安定になり
離婚する!とか言っていた時期だった。

とても二人で暮らせる状態ではなくて、実家で
糖質制限の栄養療法をやることにし、母はがんばって糖質オフ料理を
作ってくれて、夫を毎日ジムまで送ってくれ、
夫は生気を取り戻し、私の気分も落ち着いて、離婚せずに済んだ。

その頃は、私達と母との関係は良好だった。
夫は、うちの実家大好き、そして母のことを神様、と呼んでいた。

今でも言う。あの時、本当に救われた。
お義母さんのがんばりがなかったら、今の僕はなかった、と。

母の不満の原因の一つは、ここにもあった。

あの時、糖質制限食を懸命に作り、婿の治療に協力したのに
今また、婿は普通に、いや普通以上にお米や麺を食べて
体重も増加しており、

お母さんのあの努力は何やったんやろ?って思う。

と話していた。

私は、今普通に食べてても精神的におかしくならへんってことは
よくなったってことやんか。
お母さんがあの時料理がんばってくれたからそれきっかけで
劇的によくなって、今の安定があるんやから、それだけで
意味あったってことやで。

もし今も糖質制限続けなあかん状態やったらそれこそ
何もよくなってないってことになるやん。

と私は慰めた。


つまり母の最近の婿に対する冷たい態度や言葉は

・精神病なのに子供を作ったことを無責任だと思う
・勤め人じゃないことが理解できない。ちゃんと妻子を養えるのか。
・お母さんの努力に報いていない
・昔は素直だったのに今は反抗的
・いつも娘にくっついて実家に帰ってくるけど、自分の実家には帰らない。
 お母さんばっかりあんたの世話して不公平。
・食費がかかる


これらが原因。

昔は素直だったというのは、結婚1年目は彼は調子が今よりずっと悪くて
ぼーっとしていた。頭がほとんど働いていなかったから
自分の意見なんてものもなかった。
それで、なんでも「はい。はい。」と聞いていたから。

でも元気になるにつれ、本来の頭の良さが出てきて
母よりずっと詳しいことも増え、そこに元来の頑固さも加わって
智識を断定口調で言うので、
知ったかぶりをこれまた断定口調で言う母と、対立してしまった。

それに、夫と母を対立させたのは、私にも当然原因があった。

私は夫に、子供の頃、特に思春期の母との争いのことなどを
赤裸々に話し、母が私にだけ意地悪なことで傷ついてきたことなど
話していた。

だから夫は、母のことを、大事な嫁を傷つける存在のひとつに
カテゴライズしてしまったところがある。

今回の実家滞在の最後に
母は、「お父さんお母さん敵なん?」と
悲しそうに言った。

そう思わせるほど、私達夫婦は敵対心のようなものを
母に向けてしまっていた。