アパートに戻って1か月が過ぎ、母に
「もうそろそろ自分で食事の用意できるんじゃない?」と言われ
しぶしぶやることにした。
育児にも少し慣れ、特にトラブルもなく私の体も順調に回復していたので
少しづつ家事をする余裕が出てきていた。
今までは全く余裕がなかったので、家事は夫のペースに任せていたが
自分に余裕が出てくると夫のペースを遅いと感じるようになってきた。
だから先に洗濯をしたり、洗い物をしたりし始めていた。
すると夫は、だんだんとやらなくなっていった。
母が来る頻度も減って、母のことで悩むことが減ってきた、と
思ったら、今度は夫が荒れ始めた。
実はさ、昼間から眠剤たくさん飲んでる。
飲まないとやってらんねえから。
突然そう告白された。
何が”やってらんねえ”のか、私にはよく分からなかった。
やっぱり、日本はまだダメだったのか。
私が赤ちゃんの世話にかかりっきりで、かまってあげないからか。
母のことか。
きっとこのどれもが、彼の精神に悪影響を及ぼしていたのだと思う。
そして夫は、幻聴の話をし、(本人は幻聴だとは思ってない)
私を責め、家を燃やすとか言って夜中に暴れた。
そういうことが3度あった。
そのたびに私は親に泣きながら電話して迎えにきてもらった。
娘に、お父さんがこんなになっているところを見せたくなかった。
大きな物音で、驚いて泣く娘をこの人から守らなければと思った。
その時のリアルな様子は旧ブログ参照→実家に避難
実家に逃げては、やはり夫のことも心配で、すぐに夫の元に戻る。
私は、どっちつかずだった。
ある戻った日の夕方、眠剤を飲んでぼーっとした顔でリビングで横たわっている
夫と、そのすぐ隣でベビーラックですやすや眠っている小さな我が子を
交互に見つめていたら、私の心が、限界を超えた。
私は突然
「こんなん耐えられへん~。私今から死んできますからこの子よろしくお願いします~!」
と泣き叫び、家を飛び出した。
夫は豆鉄砲を食らったような顔をし、娘は泣き出した。
本当に、死にたかった。
なのに、携帯電話を持って外に出た私は、どこかで夫が電話で
呼び戻してくれるのを期待していたんだろう。
2月の午後6時。外は寒かったけれど、コートは着ていなかった。
すぐに夫が電話をかけてきた。
「どこ?戻って来て。」
「私どこかの屋上から飛び降りるから今場所探してる。
(娘)は粉ミルクでも育つから、よろしくおねがいします~」
そんなことを言って、電話を切った。
またすぐかかってきて
「そんな意味わからんこと言わないでさ、近所にいるんでしょ?
缶コーヒー買って戻って来て」
だけど私は、電話を切り、その後数回電話が鳴ったが、もう出なかった。
私はパニックになっていたので、しばらく近所をうろうろして
偶然見つけた小さな神社の裏側に入った。
もうあたりは暗くて、そこなら人目につかなかった。
そこで田んぼを見つめながら、号泣した。
娘に謝る言葉しか、出てこなかった。
1時間くらい泣き続けた。でもやっぱり、死ねなかった。
娘は、まだ生後2か月なのだ。そんなの残して、身勝手に
死ねるわけもなかった。
それに私がいなくなったら、夫も、だめになってしまう。
手がキンキンに冷えてしまって、もう帰ろう、と思い
家に向かって歩くと、家の窓に灯がついていて
窓辺に干している夫の服と、娘の小さな服の影がみえた。
ああ、私にはあそこに家族がいる。
二人は、私を待っている。
しっかりしなきゃ。
そんなことを思いながら、家に帰った。
ドアを開けようとしたら、中からチェーンがかかっていた。
こんな時でも、無意識にチェーンをかけてしまう夫に
がっかりしたけれど、中に入ると夫は
ぎゅっと抱きしめてくれた。暖かかった。
だからまた泣いて、娘の顔をみたら何事もなかったかのように
眠っていたので、安心した。