アパートで夫が暴れること3回。
私のプチ家出1回。
3度目に夫が暴れた時は、私は娘と実家に避難して
夫には、どこかに行ってきてくれ、とお願いした。
その時の様子は旧ブログ→新婚生活は妄想との闘い
たったの2泊、近くのホテルでやり過ごして戻ってきた夫は
やっぱり、ここにはもういられないから
あと1か月、また実家に帰ろうよ。と言った。
自分から、うちの親に不快な思いをさせて突然実家を
出たくせに、今度は、また自分勝手な理由で
戻ろう、と。
衝動的で、身勝手で、自由すぎる夫の言動に
私も親も、振り回されていた。
私は、両親に申し訳ない気持ちがあったが
正直に話すと、両親は受け入れてくれた。
正直、婿がそんな不安定な状態で、私と孫が心配だったらしい。
それにもちろん、両親は孫と少しでも一緒にいたいから
実家にまた帰ることを、受け入れてくれた。
ちょうど、娘の100日のお祝いの時だった。
夫は、お食い初めって絶対やらなきゃだめなの?
お義母さんが手配するの?
実家行かなきゃいけないの?
それまで日本いなきゃいけないの?
この日まで、何度も何度も私にそう言ってきた。
自分は、お食い初めやお宮参りなど
日本の子供の伝統行事なんて何もやってもらったことはない。
うちはそういうの分かんない家だったから
やらなきゃいけないとも思わない。
私が、絶対やるんだよ!と言っても
ずーっとグチグチ言っていた。
だからその日の直前、私は夫にどこかに行って来て、と言い
お食い初めは夫抜きでもいいや、と思っていた。
すると夫は今度は
「明日お食い初めやるんだよね?俺行かなくていいの?」
とメールしてきたから
「別に来なくていいけど、来たいなら来てもいいです。」と
返事した。
そしたら、「行きたいよ。(リリ娘)のお祝いだもんね。」
と言って、結局、来た。
いっつも、そう。
結局参加するなら、仲間はずれが淋しいのなら
最初からグチグチ言わなきゃいいのに。
そしてその日から、実家にまたお世話になることになった。
両親は、孫の顔を見ればデレデレの笑顔になったけれど
私達夫婦と両親は、やはりどちらも、複雑な表情だった。
私は、母のことも嫌だったけれど
子供作っておいて両親を不安にさせるような行動しか
していない自分たち夫婦が、情けなくて、ふがいなかった。
こんなんじゃ、何を言われても仕方がないとも思った。
夫は、まだ精神が完全に健康になったわけではないのに
大丈夫だろうと浅はかに判断して
子供を産んだ自分のことも、責めていた。
母も夫もダメだから
私は娘とふたり、どこか知らない町に行って
2人で生きていこうか。
何度もそれを考えた。
八方塞がりだと、思っていた。
だけどそうすることは、みんなを淋しくさせるだけのような
気もした。
逃げて、全員が淋しくなるより
踏みとどまって乗り越えた方が、未来は幸せのような
気がしていた。
今のところ、実家にいる以外、選択肢はなかった。
母の射るような視線に耐える日々が、また始まった。