重い空気のまま、両親とのお別れの日が来た。
赤ちゃんがいるからということで、父の運転で空港まで
送ってもらうことになっていた。
車中、私と夫は後部座席でけっこう話していたけれど
両親は口数少なかった。
空港に着いて、父も母も、私や夫とはあまり目を合わせずに
ベビーカーの赤ちゃんに向かって
じゃあね。元気にやるんだよ~。と言った。
私と夫は、一応 ありがとう。と言った。
それだけで、両親はささっと車に戻ってしまった。
淋しさを、必死に堪えている感じだった。
特に母は。
実の親と、こんな感じになってしまうなんて
何のための、里帰りだったのだろう?
この日本滞在は、一体何だったんだろう?
実の親と、何かもう簡単には拭い去れない
深い深い禍根が残ってしまった。
次からは、心の底から明るい気持ちで
帰るよ~とも言えないし、両親も、100%の嬉しい気持ちで
私達家族を迎えることは、もうできないだろう。
私は、孫を会わせたい。
両親も、孫に会いたい。
本来なら、幸せな時間、楽しみな瞬間のはずなのに
何がどうなって、こんなことになってしまったのか。
両親と離れてから、私はずっと後悔していた。
何もあそこまで、過去にさかのぼって
両親を責めたりしなくてもよかった。
もう別に、よかったのに。
自分で解決できたことだったのに。
今更親を責めたところで、それで表面的にごめんね、と言われても
言われなくても、別に救われないのに。
親の子育ての失敗点を挙げつらい、家族みんなを重い空気に
するより、子供の頃してもらってうれしかったこと、楽しかった思い出
たくさんあるよかった方にフォーカスして、ただ感謝していた方が
お互いに幸せだったのに。
今更何か言ったところで、親はもう子育てをやり直せない。
母にとっては子育てこそが生きがいでそれこそが人生の大半を
占めていたのだから、それを知りながら、母親の人生を
否定して、何かいいことがあるのだろうか?
私は、違うように子育てをすればいいだけ。
親にしてもらってよかったと思えるところはマネして、
そうじゃないところは違うやり方にして
自分なりに精一杯子育てするだけ。
娘に明るい気分で「ばあばん家行こうね~」と
行ってあげたいし、「おばあちゃんの家」を娘の子供時代の
楽しい思い出にしてあげたい。
私がそうだったように、
だから、実家に帰れない。帰りづらい、なんてことには
したくなかった。
それなのに、どうしてこんなことになってしまったんだろう。
どうしてあそこまで両親にはっきり何もかもぶちまけたりしたんだろう?
確かに、余裕がなかったんだと思う。
初めての赤ちゃんの泣き声。
夫の訴え。
母の視線。
家族の愚痴、アドバイス、意見。
育児書。
助産師、医者。
私の耳には一度にたくさんの声が怒涛のごとく
流れ込んできて、いっぱいいっぱいだった。
睡眠不足の頭でこれらに対処しなければならず
もう、いっぱいいっぱいだった。