子の心親知らず

実の母親に家庭を壊された毒親育ちのシングルマザーが親子のあり方を考察するブログ。

親を大事にしろ、の本当の意味

「親を大事にしろ」
は、よく言われることだ。

しかし世の中にはいろんな親がいて、子供の側からすれば
なんでこんな親大事にしなきゃならないんだよ!と思う場合もあるだろう。

里帰り出産時の両親とのあれこれをこうしてブログに書きながら
思い出して整理していく中で、気づいたことがある。

親って、自分の根っこなんだ・・・・。

自分という人間を造り上げたのは、まぎれもない世界でたった2人の
父と母であり、その両親のダメなところ、嫌なところをあげつらって
否定するということは、他でもない自分自身を否定することにも
つながる。

親に、もしかしてちゃんと愛されてなかったんじゃないか・・・・
と思い始めると、なんだか明日を生きる気力さえも、湧いてこない。

自分という人間の、根っこがぐらぐらしているような感じで、
いくら社会に出て仕事や結婚や交友関係を充実させようとしても
木に例えれば根っこが腐っているのに枝葉を伸ばそうと頑張っている
ようなもので、しんどいだけでなかなかうまくいかないのだ。

誰だったか忘れたけれど、ある成功者の人も本に書いていた。

「親のことをクリアにしておかないと、本当の意味では成功しない。」

仕事で一時的に成功を収めたとしても、親を憎んだままだったりすると
本当に幸せにはなれない。

私が、20代後半に一時期婚約していた人の話だが、
その人は父親の暴力が原因で両親が離婚し、母に育てられた。
父親はその後再婚して子供も二人でき、海外で経営者として
暮らしていた。

彼はその父親のことを、30過ぎてからも強く憎んでいて、
自分は成功者になって40でセミリタイヤすることを目標に
メンターも見つけて、数々の自己啓発セミナーなどにも参加し、
一生懸命やっていた。

だけど、私が交際していた当時33歳で、派遣社員
成功の法則に従って暮らしていたけれど、どこか心が入ってない
ような感じがあった。

私が勝手に思っていることだが、親からの愛情が深刻に不足したまま
大人になった人は、瞳の中が空洞のような印象がある。

意欲的な話をしていたとしても、目の奥に虚しさと寂しさを湛えている。

私はその人と同棲して3ヶ月で、あまりの厳しさに分かれた。
成功の法則と信じているルールに私が完璧に従えてないことが
彼には耐えられず、日々叱られたからだ。

私には、彼が若くして成功者になるとは、到底思えなかった。

別れて私が遠くへ引っ越してからは連絡はなかったのだが、
私が34歳で結婚することが決まった時、本当にちょうど結婚が
決まったそのタイミングで、何年かぶりにメールが来た。

その長文のメールは、どこか無理しているような近況報告と、
私への感謝、まるで永遠の別れを示唆しているような
内容だった。

私が返信に、結婚が決まったことを報告して、あなたもどうか
幸せになってください。と送ったところ、更に返信が来た。

思ったとおり、彼は死ぬつもりだった。

もし私から返信が来なかったら、もう人生を終えるつもりだったと、
でも返事をくれたから、また頑張ることにした、本当にありがとう。
と、書いてあった。

やっぱり、親に愛されなかったと思っている人は、
生きていることが辛くなりやすくて、すぐ死ぬことを考えてしまうみたいだ。

夫も、そうだ。

幼少期からの、親からの絶対的な愛情というものが
その人の根幹を形成する。

その根っこのところから、生きる活力や、自分や他人を愛する力が湧く。

自分を産んで、幼いころは世界のすべてである親に愛されてると実感
すること。

それが自分がこの世界に存在していいんだ、という根本的な自己肯定感
となる。

親からの愛は、親の「愛してるつもり」ではダメで、
子供がちゃんと「愛されてる」と実感できる形でないとダメである。

なぜだか、親からの愛情が不足している男性に、親代わりに
生きる活力源と勝手にされてしまう私だが、

今回、自分の親の、愛し方の間違いに気づき、直接親と
やり合ってしまったせいで、今までどっしりとしていた私の
根っこが揺らぎ始め、心が疲弊して涙がポロポロ出るというような
状況になってしまった。

親の愛し方に問題があったせいで、大人になった自分が生きづらく
なるような様々な問題が起きていることに、気づきもしないまま
一生を終える人も多い。なんとなく気づいても、親を責めたり
否定するのが怖いから、見なかったことにして自分だけを責めて
生きている人も多い。

結局、それでは生きづらさは解消されない。

まず、気づくことが大切。

それから幼い頃悲しかった自分を受け入れて、慰めてあげる。

でも親のことを責めてもいい結果にはならないので、
親に直接ぶつけるのではなく、自分の中で決着をつける。

私には昔、親がいました。
彼らなりに、一生懸命やってくれたんだと思います。
大人になった今、私には年の離れた人生の先輩がいます。
彼らと私の人生は、今は関係ありません。
私は、彼らに影響されることなく、自分の人生を自分らしく
歩んでいきます。

産んでくれて、ありがとう。
育ててくれて、ありがとう。
これからは、別々の人生、お互い楽しもうね。

それくらい、さっぱりと、決別する。

たまにお茶を飲みながら互いの近況報告をして談笑する。

年老いた親と、成人した子の関係は、それくらいでいい。

それ以上の干渉は、必要ない。


私は、決めました。

これ以上、親のことで心を欝々とさせるのはやめる。
五体満足、健康に産んで育ててくれたこと、
今不自由なく生きていること、親も健康で生きていること、
それに感謝します。

幼い自分が、満たされなった部分は、
今大人になった自分が、慰めてあげることができる。

今はもう、親の言葉や手は必要ない。

母がたとえ私をいまだにペットだと思っていたとしても
私はペットではなく自立した人間なので
対等な大人として、距離と節度を持って接します。

幼子のように甘えもしない代わりに、批判もしない。

過去のことで心を暗くしている暇があったら
今の生活を大事にする。

今持っているものに目を向けて、現状に感謝して
幼い子と、若い夫との日々を、大切に愛して
生きよう。


重いテーマで記事を書き続けて心が息切れしてしまい、
夫や娘の顔を見ながら涙がポロポロ出るようなことに
なってしまったので、反省した次第です。

今あるもので、十分幸せ。
ありがとうございます゜゚*☆*☆*゚ ゜゚*☆