子の心親知らず

実の母親に家庭を壊された毒親育ちのシングルマザーが親子のあり方を考察するブログ。

長典男氏のセッション 私の場合・母のことについて

長氏の個人セッションは、夫婦二人同時に行い、夫の話が終わった後で
私も相談した。

母とのことについて。

 最初に、
「私は(夫と比較して)愛情たっぷりに育ててもらったと思うんですけど、
なんか思春期ごろから母が私に意地悪な気がするんです・・・・」

長氏はすぐ、
「愛情はかけてもらったかもしれないけど、それはあなたの望む形じゃ
なかったね。」と言った。

ああ。妙に納得した。
私の望む形。
それは今ははっきり分かる。

思春期以降は、自立をサポート、応援してほしかったのに
母は自立を邪魔するような言動しかしなかった。

私はそれを、いつしか”意地悪”だと受け取るようになった。

私は、「母にこういう気持ちを直接伝えた方がいいんでしょうか?」
と聞いた。

長氏は、「いや、伝えてもお母さん変わらないですよ。
あなたお母さんのペットだから。言ったら可愛くないって思われるだけですよ。」


・・・・・ペット。

そうだったんだ・・・・。
だから母は、エサを与えることに喜びを感じていたんだ。
身の回りのこと、全部世話焼いてそれに生きがいを感じていたのか。

ペットなんだから、自立なんて許せるわけないよね。
ペットは巣立ちなんてしないんだから。
死ぬまでそばにいて、ただ世話を焼いてもらうんだから。

私が一人前に意見なんて言ったら、
飼い犬が牙剥いた!可愛くない!としか思わない・・・・。

そっか・・・・。
母は、言っても変わらないんだ・・・・。

残念だな。
でもそれが、母の選択なんだ。

私は9月にこう言われていたのに、結局我慢できず出産前後に母に
牙を剥いて、結果ボロボロになっちゃった。

世界の記憶が見える人が、お母さん言っても変わらないから
あなたが傷つくだけだよ。って教えてくれていたのに。

ほんと、言わなきゃよかったね。

長氏によると、親からの愛情が満ち足りている人は3割、
完全に愛情不足の人も3割。残りの4割は、私のように
親がかける愛情の形と、子供が受け取りたい愛情の形が
違っているタイプだそうだ。

完全に愛情不足というのは、孤児とか、育児放棄されたとか
虐待とか、分かりやすい。

夫の場合は、このタイプで、親はいたんだけれども実質育児放棄
していた。彼の幼少期の記憶に、母親はいない。

私のようなタイプは自分でも気づきにくい。

親はちゃんと愛してくれているのに、なぜ自分はこんな風に思って
しまうんだろう?と自分を責め続ける人が多い。

愛情というのは、受け取る側がそれを愛だと思ったら”愛情”であり、
迷惑だとか邪魔だとか思ったら、愛情ではないんだそうだ。

受け取る側次第。

だから、「お母さん一生懸命やってあげてるのに。」とか
「よかれと思ってしたことなのに、どうしてそんな風にしか受け取らないの?」とか
「お父さんもお母さんもあなたのためを思って・・・・」とか

こういう浅はかな親たちが安易に子供に言ってしまいがちなセリフは
完全に間違っているのだ。

愛情という仮面をつけたエゴの押し付けは、受け取る側を深く傷つける
ことになる。

相手が「それは違う!ほしいのはそんなんじゃない!」というメッセージを
送ってきたら、潔く反省して、相手の望む形は何なのかを真剣に
考えるべきだ。

本当に、その人のことを、子供のことを、愛しているのなら。

母にとって、私は一人前に成長して大人になり、自分で思考する人間ではなく、
何も考えずに世話焼きが性分の母の生きがいとなり、癒しとなるべき愛玩動物であった。

与えられたエサはたとえお腹がいっぱいでも、
文句など言わずにおいしそうに食べ、母の欲求を満たしてあげなければ
いけないのだった。


言っても変わらないけれど、一緒にいると自分が苦しい場合、どうしたらいいのか。

長氏もやはり、離れるしかないよ。とおっしゃった。

夫に関しては、「そんな場所だからね~。帰りたくないのは当然。
無理に帰ってもしんどいだけですよ。」と。

私は嫁という立場上、夫が嫌がっても夫の実家にたまには顔を見せるのが
筋だと思っていたけれど、帰れない実家にしたのはまぎれもない両親なのだから
しんどいのに無理して帰る必要なんかない。

私の実家にしてもそうだ。
母の執着と父の放任によって、子供である私がリラックスできない家に
なったのだから、年を取って淋しいとか虫が良すぎる話で
親たちは自分の子育ての結果の責任を、黙って負うべきである。