私たちは年に1、2回しか日本に帰省しないから。
会いたい人に会っておこうと思う。
会えるうちに、会っておきたいと思っている。
若くしてこの世を去った身内がいると、そう思うようになる。
離婚してからずっと、義理家族との接触を避けていた。
頭のおかしなメッセージばかりしてくる夫が怖かったし、義理家族には恨まれているんじゃないかと思っていた。
離婚からたった1年半で、夫は死んでしまった。
もしもわたしが連絡が取れる状態にしていたなら、彼は死ななかったかもしれない。
少なくとも、事故の時にわたしが直接連絡を受けることができていたなら、彼のもとへかけて行って、彼は意識を取り戻したかもしれない。
夫が死んでから1年しないくらいの時に、帰国中に義母から二度ほど電話がかかってきた。
結婚していた頃と同じ感じで結構話して、娘を会わせたい気持ちはあったけど、コロナで移動制限がかかっている最中だったから、会うことはできなかった。
そうしたら、その次の年の冬に義母は亡くなってしまった。
そんな取り返しのつかない大きな大きな後悔がずっと胸に重くのしかかっているから、今わたしは勇気を出して会いたい人に、会っておかなければならない人に、連絡している。
人は突然死んでしまう。
当たり前の日常は、前触れもなく不意に変わる。
だから、”今”行動する。
冬休みには、6年ぶりに義父に電話をかけて、話した。
タイミングがずれて会うことは叶わなかったけど、2回電話で話して、義父がまだ元気なことがわかったし、わたしを恨んでいないこともわかった。
娘と少し言葉を交わしてもらうこともできた。
「東京のおじいちゃんだよ」
娘は、東京に自分の家族がいる実感がない。
娘のパパは東京で生まれ育って、今も実家があるけど、1歳の時に行ったのが最後だから、娘には記憶がない。
わたしの両親以外に、家族がいることを知らない。
パパは死んでしまったけど、パパのパパ、おじいちゃんは生きている。
生きてる家族には、会いたい。
義父は電話で「誕生日にお金送るから。口座はそのままか?」と言ってくれたけど、何年も会わせていないのに、お金だけもらうなんて、悲しすぎる。
義父に電話すると、今回は1回目でつながった。
相変わらずの声色、話し方。
夫といた頃の空気が急速に蘇る。
わたしと義父が会話しているそばに、夫がいないのがとても不思議だ。
変わらない義父とわたし。
消えてしまった夫と義母。
30代で亡くなる人と、80をすぎても元気でいる人。
人生は、本当にわからない。
勇気を出して電話した。
繋がって、会う約束ができた。
娘が1歳の時から、会っていない。
今生きていて会ってくれる人に会うためなら、新幹線でも飛行機でも乗ってどこへでも行く。
わたしが会いに行くと言うと、義父は夫が残したものが少しあるから、渡そうか要らないかと聞いてきた。
夫の学生の頃の写真と日記らしい。
日記...
そんなもの今読んだら、心が持つかな。ちょっと怖いな。
でも、わたしは前に進むために、夫の死と、そして彼の家族と、向き合わなきゃいけない。
そのタイミングは、今だという気がする。