年が変わって、また再確認していることがある。
それは、「悲しみは時間と共に癒えるけれど憎しみは時間が経っても消えない」ということだ。
辛いことや悲しいことがあった時、人はよく言う。
「時間が解決してくれるから」
確かに、私もそう思ってこの6年間過ごしてきた。
出産とほぼ同時に家族がバラバラになってしまった悲しみ。
里帰り出産を選んだ自分の後悔。
子どもをパパのいない子にしてしまった苦しみ。
夫が無念の中で死んでしまった悲しみ。
家族が少ない寂しさ。
シングルマザーであることで感じてきた様々な屈辱や辛さ。
そして、それらを思うたび、湧き上がってくる
私と娘がこんな人生を送ることを心から望んだ毒母への憎しみ。
思い返せば思い返すほど、母は私に嫉妬していたんだとわかる場面が
出てくる。
あの頃、母を盲信するあまりに、母親は子どもの幸せを誰より願っているものだと
盲信するあまりに、見てみないふりをしていた、嫉妬する母の顔。
8歳になった娘は、5歳ごろからずっと「パパが欲しい」「なんでうちにはパパがいないの?みんないるのに。」「家族が少ないね」
こんなことを言う。
その度に私の心には
「そうなることをばあばが願ったんだよ。ばあばが、あなたがパパのいない子に
なることを望んだの。」
そんな言葉が浮かんでしまう。
最初の家での沐浴の時に手伝おうとした夫を
「育児に男はいらん!」と言ってドアをピシャンと閉めた母。
「育児に男はいらん」
絶対そんなことはなかった。
私はずっと「夫がいたら」「パパがいたら」そう思いながら1人で育児をやってきた。
育児に男はいらなかったとしても、妻子には男が必要だ。
子を守る母とその母を守る父。その構図があってこそ初めて健全な家族の姿になる。
母のその呪いのせいで、私はずっと守ってくれる人のいないまま、一方的に子を守る任務をこなしてきた。
いらんと言った母本人は、いまだに父と一緒に暮らしている。母がシングルで私を育ててくれていたのならまだ納得もできたこの言葉。
なんで、どうして。
私は7年間、ずっと忘れることができない。
母がどれほど意地悪をしたとしても、夫の精神が健康で仕事がある人だったら、やり直せたのかもしれない。
母を信頼してしまっていた夫は、その豹変ぶりに驚き、深く傷つき、元々低かった自己肯定感をぺしゃんこにされてしまった。
薬を飲まなければ平常心でいられないほど精神の弱い人だったから、子どもの誕生と同時に邪魔者扱いされたことは、彼には耐えられなかった。
私は気づいて母の元を離れ、夫と3人でやっていくんだと決意して、飛行機で12時間離れた場所に引っ越したけど、夫の心は戻ってきてくれなかった。
婿が精神病であることは重々承知の上で、産後の私に一番余裕がなくて誰よりも人の助けが必要な時に、急に意地悪ババアを発動し、見事に娘の家庭をぶっ壊して、私に母以外に守ってくれる人、愛してくれる人のいない世界にした。
自分以外に娘を愛する人、守れる人がいることは許せない。
この子には私以外に頼れる人がいてはいけない。
いつまでも一番に「お母さん、お母さん」って来てくれないとダメだ。
そんな身勝手で生物の掟に反する思いのために、私にシングルマザーの苦しみを、孫にパパのいない寂しさを嬉々として与えた母。
私の出産産後の思い出には、大きな痛みが伴っている。
可愛い赤ちゃんの娘を思い出すたび、同時に夫と母の争いが浮かんでくる。
それから夫が死んで、義母も死んだ。
妹には絶縁された。
母の望む通り、私には母とその横にいる父しか、子どものことで頼れる人がいなくなった。それこそが、母の望みだった。
母が何より恐れていたのは何か手助けが必要な時に、私が母以外の誰かを先に頼ることだ。
娘はパパに肩車をしてもらうことができなかった。
運動神経抜群だったパパは、今運動大好きになった娘と一緒にスポーツを楽しめただろうな。
赤ちゃんの時に「おしゃべり始めたらもっと可愛いよ」と言っていた義母は、孫が喋る言葉を聞くことができなかった。
義父にも、もう6年も会っていない。
それなのに、父と変わらず元気に老後を過ごし、孫と会っている母。
私が散々訴えてきたことは、何もなかったように否定したり無視したりしてやり過ごしてきた母。
姉妹が絶縁したというのに、仲直りするように何かすることは一切ない。
義理実家からの連絡は、すぐに私に伝えず時間が経ってから伝えてくる。
夫が意識不明だった2ヶ月間、義理家族から実家に連絡があったのに、それを私に伝えなかった。夫が死んだことも、半年も経ってから私に知らせた。
私は許せない。
成人している娘に、夫だった人との別れさえもさせなかった母を。
大事なことは全部私に隠して、自分に都合のいいように仕向ける母を。
6年間、必死にこれらの悲しみ憎しみを消化しようと、乗り越えようと1人で努力してきた。悲しみは時間と共に癒えたような気がする。
だけど母に対する憎しみは、全く消えない。減らない。
本人に全部背負わせるまでは、この思いは消えないと思う。
背負わせたい。私が産後の一番大変な時に母に背負わされたこの苦しみを、母が人助けが必要になったその時に、一気に全部背負わせる。
それは母が弱った時、母に味方がいない時に決行する。
それまでは、ただただ娘のために、普通の家族としてやり過ごすつもりだ。
まだ幼い娘には「大好きばあば」でいてもらいたい。
母のためじゃない。家族の少ない娘の心を守るため。
私の心に燃えているこの憎しみは、母本人にだけ渡すつもりだ。
他の人は、巻き込まない。本人にお返しして初めて、やっと消すことができる。
新年早々の決意です。
(画像はドラマ「とんび」より。昭和生まれの私は昭和の家族の様子を見ると胸に響きます。3人家族の光景を見るだけで涙が溢れ出ます。)