夫の死から4年半、義母の死から2年。
ようやくお墓参りができた。
義父に連絡したけれど電話はつながらなかったので、一度だけ夫家族と一緒に行った記憶を頼りに、娘を連れて自分で行った。
墓地を2周して、ようやく見つけたお墓には、目に焼き付くほどみたことのある夫の名前と、義母の名前が刻んであった。
本当に、死んだんだ...
今更ながらにそう思いながら、墓石に彫ってあるその名前を何度も何度も撫でた。
遅くなってごめん...
夫は、一緒に墓参りをした後、
「俺はあの墓には入りたくないんだよね。雪ちゃんと一緒に入りたい。」
そう言っていたのに、結局この先祖のお墓に入ることにさせてしまった。
ごめんね...
看取ることさえできなくて。
死んだ後の願いさえ、叶えることもできなくて。
義母にも、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
私は、随分長い時間お墓に向かって胸の中で話しかけていたけれど、8歳の娘は嫌がらずに隣で待っていた。何か感じていたのかもしれない。パパとおばあちゃんは、娘に何か話しかけたのだろうか。
夫の家のお墓の隣には、飼っていたペットのお墓もあった。
夫が亡くなってすぐ、犬も亡くなっていた。
歳も取っていたので仕方ないとは思うけど、その子は夫が統合失調症を発症して、陰の症状が出て抜け殻のようになっていた時期に、息子が少しでも元気になるようにと義母が連れてきた犬だったらしい。
そしてそのワンちゃんの息子である犬も、ほどなくして亡くなった。
夫の地元にいた3日の間に、できれば義父と会いたいと思っていたけれど、残念ながら連絡がつかなかった。
そこで実家に戻ってから、娘の最近の写真を何枚か印刷して、手紙を書いて送った。
手紙で私は母の悪行を初めて伝えた。
「私たちが離婚に至ったのは、全て母が原因です」と。
夫が意識不明の時そちらから連絡があったことも、亡くなったことも、私が聞いたのは半年も経ってからであること。
私はとても後悔していること。
義父と娘を会わせたいと思っていること。
「実家に連絡をくださっても母が全部自分で判断して終わらせてしまって私には伝わらないので、何か用事がある時は実家には連絡せず、私に直接連絡してください」と書いて、電話番号とメールアドレスを書いた。
義父が元気かどうかも確かじゃなかったし、もし夫の姉などがそれを見たら義父に渡さないかもしれないなどと少し心配はあったけれど
数日後、義父から電話がかかってきた。
離婚以来、6年ぶりくらいに話した。
声は少ししゃがれて年を取ったような感じがしたけれど、話のテンポは相変わらずで時間の隔たりを一瞬にして超えてしまった。
私はうっかり夫がいないことも忘れて、結婚していた時みたいに楽しく話ができた。
娘のことを聞かれ、可愛いだろうねえ、と言うので、「隣にいますよ、少し話しますか?」と言って
娘に「東京のおじいちゃん。パパのパパ。こんにちはって」と伝えて電話を耳に当ててあげた。
娘は「こんにちは」と言った後、何か「うん、うん」と聞いていて、途中声を出して笑った。
義父は、娘が1歳過ぎの時に家に来た時のことを、よく覚えていた。その時の話を電話の中で二度もした義父に、それしか思い出を作ってあげることができなかったことを、申し訳なく思った。
今もし夫が生きていたなら、私たちが離れていなければ、義父と義母と夫と、娘は楽しくおしゃべりして、笑いが絶えなかっただろうな。
私は、夫と夫の両親が大好きだった。
改めて、そう思った。
私にとってこんなにいい義理の両親はいなかった。
結婚する人とは本人同士よりその親など義理家族と縁が深くて結ばれている場合があると聞いたけれど、そうなんだろうなあ、と思う。
翌日、また義父から電話があり、初回は私たちがレストランにいたので周りがうるさくて聞き取りづらかったのもあってまた少し話した。
私は他の家族が元気なのかどうかもずっと気になっていたけど、みんな元気だと言っていた。でも義母が亡くなったときに相続でもめて義母側の親類とは疎遠になったらしい。
義母はやはり夫が亡くなってから「私なんのために生きてるの」とよく言っていたそうだ。死因は腎臓の病気だそうだけど、生きる気力をなくしていたんだろう。
今一人になっちゃったからね、とやはり少し寂しそうだった。
義父の家は家族経営で商売をしているので、周囲には家族親族がたくさんいるけれど、義父が一緒に暮らしていたのは義母と夫、犬2匹だった。
この5年の間に義父はその家族を全員失い、80すぎて引退したとたん、一人になってしまった。
私は自分の家族より、こっちの家族と一緒にいたかった。
最初からないものより、一度手にしたものを失う方が痛みがはるかに大きい。
息子の結婚と孫の誕生で一度増えた家族が、今度は一瞬にして一気にいなくなった。
そしてそれは私も同じ。
私だけでなく、夫とその両親、そして孫が本来持っていた幸せまでも我欲のためにぶち壊した私の母だけが、今はまだ誰も失わずにいる。
母は、まだ誰の肉体も失っていない。
だけど、心は失った。
娘二人の親愛と信頼、孝行心を失った。
私にこんな気持ちがある以上、娘ももうすぐおばあちゃんに対する真の愛情や信頼はなくすだろう。
母は私から大切な人を奪ってきた。成長してものがわかるようになった娘にも、自分の味方になるように仕向ける可能性が高い。
娘だけは、死んでも守る。
家族の体に触れられなくなる痛み、今度は母の番だ。
人にやったことは必ず自分に返ってくる。因果の法則。
入院して管に繋がれている父を見舞いに行って、「しんどそうやったわ」と自分までも死にそうな顔で帰ってくる母に対して、私は
甘えんな。こっちはあんたのせいでとっくに旦那亡くしてんだよ。
そんな気持ちしか湧いてこない。
私は父を愛していたけれど、両親が結託して私の結婚を壊した今となっては、父が死ぬかもしれない悲しみよりずっと、母が早く喪失の悲しみと孤独と後悔の日々を送って欲しいと願う気持ちの方が強い。
母は我欲のために気の優しい娘だった私から徹底的に「孝行心」を奪い去った。
母の罪はあまりにも大きい。