(この記事は過去に書いたものを転載しています)
2016年6月1日
今朝、夫はついにカーテンを開けた!
半分だけ。。。
でも起きたらリビングに明るい日差しが入っていて、
気持ちよかった。
ゆうべ寝る前に、夫に愛情と感謝の違いについて
話したからかもしれない。
夫は、感謝も愛情のうちだと思っているけれど、
私は思う。
感謝って常に受け身だよね。
誰かが何かしてくれた、言ってくれたから、感謝する。
でも、愛情って自分が動くことだよ。
人間ね、口はいくらでも嘘をつけるけど、体は嘘つけない。
言葉は気持ちが伴ってなくても出てくるけど、
行動は気持ちが
入ってないとできないんだよ。
だから行動こそが本心なの。
口で「愛してるよ〜。ありがとう。」って言ってても、
相手を喜ばせるような行動がなかったらそこに
愛情なんてないんだよ。
あなたはいつも誰かに何かしてもらって感謝してるけど、
あなたはその相手のために、何かした?
感謝されないって不満に思うってことは
相手が望むことを自分がしてないってことじゃない?
愛情は受け取る側がそれを愛かどうか決める権利が
あるんだから。
伝わってないなら、全然足りないか、
やり方が間違ってるんだよ。
そんなようなことをもっと簡潔に、夫に話した。
夫は、そっか〜、と考えてるふうだった。
例えば、
「カーテンを開けるとか?トイレットペーパー交換しとくとか?」
と言うので、
「そうだよ。そういう日常の些細なことだよ。」と言った。
夫がカーテンを開けなければ、私が開けなければならない。
夫が使い終わってもトイレットペーパーを交換しないなら、
私がすることになる。
家事育児に忙しい妻の仕事を、少しでも減らすために
自分のこと、自分ができることはする。
公共のトイレにも貼り紙があるよね。
次に使う人のために、きれいに使いましょう。
次に使う人のことを考えて、ちょっとしたことをしておく。
コーヒーの粉をこぼしてしまったら、自分で拭いておく。
(夫は毎回こぼすけど放置してるので、 私が掃除している)
洗濯物は洗濯カゴ に入れておく。
通り道に物を置かない。
コースターの上にカップ以外の物を置いておかない。
次の一手のことを考えて自分ができることをやるのが
愛だと、私は思う。
夫にも、もちろんできていることもたくさんある。
荷物は全部持ってくれる。
瓶の蓋を開けてくれる。
ゴミを出してくれる。
一緒に買い物 に行ってくれる。(調子悪い時以外)
子供をお風呂に連れて来てくれる。
ちなみに夫の現在の育児参加は、
子供を私が待つお風呂場に裸にして連れて来ることと、
遊ぶこと。
1日中家にいる旦那さんとしては、少ないかな。
オムツも替えないし。
フルタイムで仕事しててももっと育児やってる旦那さんも
いるだろう。
逆に全くしない旦那さんもいるだろう。
うちは、今のところはこれでいいと思っている。
家のことって、人と比べてもいいことない。
私は今朝、夫がカーテンを開けていたのがうれしくて、
「カーテン開ける(夫)、好きよ。」と言った。
滅多に私は好きとか言わないので、夫は少し照れた感じで
まんざらでもなさそうだったけれど、
〜するあなた、好きよ。
というのは、"条件付きの愛情" だから、
この言い方はよくないな、と自分ですぐ思った。
何をしてもしなくても、そのままのあなたが好き。
あなたの存在がうれしい。
人は誰かにそんな風に無条件で認めてもらい、
愛されることを望んでいるものだから。
特に子供に
こういう条件付きの愛情を示さないように、注意しないと
いけないな。