子の心親知らず

実の母親に家庭を壊された毒親育ちのシングルマザーが親子のあり方を考察するブログ。

母の姉妹喧嘩の仲裁をした私と、私たち姉妹の絶縁に安心している母

妹と絶縁してもうすぐ5年。

 

その間、一切連絡はしていない。

LINEはブロックしているけど

向こうもしているかも知れない。

 

両親は、私に妹の近況を一切伝えない。

もはや、触れてはいけないものになった。

 

実家の玄関に、私たちが子どもの頃に

旅先で作った家族のネームプレートが

かけてある。

 

父の名前

母の名前

私の名前

妹との名前

 

平仮名が読めるようになった娘が

それを読み、

妹の名前のところで

「ねえ、うめちゃん(仮名)って誰?」

と母に聞いた。

 

母は

「ばあばの子ども」と答えた。

 

ばあばの子どもなら

ママの兄弟姉妹だと

もう少し大きい子ならわかったかも知れないが

7歳の娘はまだそこまでは気づかなかった。

 

私は、以前娘に写真の妹のことを

この人誰?と聞かれた時は

「ばあばのお友達」と答えた。

 

だいぶ前だったので、娘は覚えていなかった

みたいだ。

 

母は、妹とLINEのやりとりをしている。

妹には、私のことを話しているかもしれない。

 

昔から、そうだったから。

 

高校生の頃も

母は妹とタッグを組んで私を仲間外れに

するのが好きだった。

 

母が必死に隠している心の奥底の部分を

真正面から突っついてくる私とは違い

妹も母と同じで

「逃げる・臭いものに蓋をしてやり過ごす」

タイプなので安心だったのだろう。

 

自分の本音と向き合わない。

魂の声に耳を傾けない。

 

世間体と体面が保てればそれでよし。

 

人の世話になるのはプライドが許さない。

 

とても似ている。

 

ところで、母の姉妹関係の話。

 

同じ市内に、母の4つ上の姉が

住んでいる。

 

年末、私たちが帰省していることを

電話でおばに知らせた時

 

コロナに怯えている伯母は

私たちに会いに来なくていいと言った。

 

2年ぶりに外国から帰ってきた姪と

その子どもに会わないつもりなのかと

私はとてもショックを受けた。

 

伯母のことは子どもの頃から大好きだった。

母が毒親だと気付いてからは

この伯母もやはり同じ親に育てられた人ゆえ

考え方は残念だなあ、と思うところもあれど

 

それでも小さい頃から私をよく可愛がって

くれたし、同じ市内に住んでいることもあって

一番親しくしている親戚だ。

 

伯母は、親族で唯一、

シングルマザーとして私がよくやっていることを

きちんと褒めてくれる人だ。

 

両親は、娘のことは褒めても

私の努力を言葉にして褒めることはほぼない。

 

それに子どものいないおばは

十数年前に夫を亡くしてから

一人暮らしなので

 

私は帰省すれば必ず連絡をし

家に行ったり呼んだりするのだった。

 

母は、おばの夫(私のおじ)が

嫌いだった。

 

いつも文句を言っていた。

 

一番近くに住んでいる親族だから

頻繁に会う機会があったけれど

母はいつも変な表情をしていた。

 

おじが亡くなってから

母は1人になったおばのことを

気にかけ、運転しないおばの代わりに

買い物をしてあげたり

送迎をしてあげたりしている。

 

私の印象では

母はおばのことがあまり好きではなく

おじもいた頃はあまり会いに行きたがって

いなかったけれど

 

1人になったら母の世話好きが炸裂して

以前よりよく会うようになった気がする。

 

そのおばと母が、喧嘩をした。

 

年末の電話でおばが私たちに

会わなくてもいいと言ったことで

私も傷付いたので

 

正月三が日も、3日のおばの誕生日も

電話もしなかった。

 

父も母も、電話しようと言わなかった。

 

毎年、していたのに。

 

それで1月なかばに母が何か用事で

おばに電話したら

おばがひどく怒っていたらしい。

 

三ヶ日に電話の1本もよこさないで!

もうええわ!と

ブチ切れ、その後母が電話をしたら

着信拒否されていたと。

 

え?

母も姉妹絶縁?

ザマアミロ。

 

と一瞬思ったけれど

娘の家族がまた1人減ってしまうのは

心苦しく思った。

 

母は図々しくも

「私からはもう連絡できないわ。

白雪ちゃん中国戻る前に一回電話しといて。

今回は会えなかったけど、って。」

と言った。

 

それから10日ほど経って

中国に戻る日を決めたら

本当にこのままおばに会わずに

日本を離れるのか・・・

 

大きくなった娘に一目も

会わずに?

 

娘はこの伯母のことも

家族の一員だと思っているのに?

 

次いつ会えるのか

78になったおばにまた元気なうちに

会えるとも限らない。

 

それで私は電話をしてみた。

 

家の固定電話からおばの携帯に

かけたら、それは着拒されていなかった。

 

いつもと変わらぬ声で

電話に出たおばに

私はまず正月に電話しなかったことを

謝った。

 

娘にお年玉ももらっていたから。

 

そしておばちゃんが

私たちに会いに来なくていいって

言ったから、傷付いたんだということも

言った。

 

今度日本に帰るのは何年後かわからない。

このご時世鎖国になったり戦争になったり

何があるかわからないから

戻れるとも限らない。

 

それでもいいの?

私も娘もおばちゃんにも会うつもりだった。

娘はおばちゃんのことも家族に入れている、と。

 

おばは、

会いに来なくていいと言ったことを私に

謝り、高齢で1人だから万が一かかったらと

思うと怖くてな〜と。

 

正月に連絡なかったの

怒ってしまったけどそれは

(母)に対してで

あんたや(娘)ちゃんには何も思ってないよ〜。

 

私の説得が効いて

「ほな、一目でも会おうか」と言った。

 

お母さんに対してもいつまでも

怒っててもしゃーないから

もうええで。とも言った。

 

母にそのことを伝えたら

ふん、という顔をしていた。

 

そして結局

母が仕事の今日、

父と一緒におばの家に行った。

 

母は、やはり幼稚な人だ。

 

その時の状況や気分で

怒りをぶつけてしまうことが

誰にでもある。

 

でも時間をおいてほとぼりが冷めたら

自分にも悪いところがあったと反省し

お互いに謝れば仲直りできる。

 

私の妹は、謝った私の謝罪の言葉までも

拒絶した。

だから、絶縁状態になった。

 

やはり母と妹はそっくりだ。

 

お互いに言いすぎているのに

一方が謝ったのを拒絶するなんて

どれだけ傲慢なの。

 

今日会った時も

結局おばは嬉しそうで

「会えてよかった。

あんたは優しいなあ〜ほんまに。

あんたのおかげで会えてよかった」と

ニコニコして

お菓子やお金までくれた。

 

毒母は

私と娘からおばまで奪うつもりだった。

 

本当に恐ろしい。

 

私はこんなふうに母とおばの

仲介をしたけれど

母は、私たち姉妹の仲介をしようとは

しない。

 

もう5年も連絡をとっておらず

妹がいるなら私は帰らない

私がいるなら妹は帰らない

 

そんな状態を喜んで放置し

孫の家族を1人、また1人と

消していく。

 

自分だけを、頼ってもらうために。

自分が、除け者にされないために。

 

自分の子どもたちが喧嘩したら

仲裁するのが親の役割じゃないの。

 

まして絶縁なんて、

子どもの気持ちを考えることの

できるまともな親なら

何かできることはないかと考えるんじゃないの。

 

私は、母と母の姉の喧嘩の仲裁をした。

母は、私と妹が喧嘩するように仕向け

仲を引き裂いた。

 

私たちが思春期になった頃から

母はそうなるように動いていた。

 

妹には私が妹のことを悪く言っていると言い、

私には妹が私のことを悪く言っていると言った。

 

私を除け者にして妹とタッグを組んだ。

 

直接話をしないで

お母さんに言いなさいね、と言っていた。

 

父にも、お父さんにはお母さんから言うから

直接話さないように、と言っていた。

 

家族が自分を一番大事にするように

家族の他の成員が自分の知らないところで

仲良くならないように

細心の注意を払っている。

 

もうその魂胆は、私に見抜かれているのに。

 

母は、幼稚だ。

親の役割を、果たしていない。