子の心親知らず

実の母親に家庭を壊された毒親育ちのシングルマザーが親子のあり方を考察するブログ。

もう元には戻らない世界。私には幸せになる義務がある。

咳が出るので、外出はしないことにした週末。

 

(風邪ひいていると罪人、ゾンビ扱いされる世の中

だからね。)

 

退屈する娘のため、また私が休息を取るために

両親とテレビ電話。

 

通話開始2秒。

私が2度咳をしただけで

すぐさま

「ママ風邪ひいてるの?!」と

声色を変えた母。

 

はあ、こういう人が

今の息も満足にさせてもらえない社会を

作ったんだなあ。と

 

母は私の体調の変化を誰より早く察知し

咳を2度したら

「咳出るやん!!風邪ひいたん!!」

 

トイレに長い時間こもっていたら

「お腹痛いの?!」

 

とものすご〜く不機嫌で不安げな

この世の終わりのような声で

声をかけてくるので

10代の頃からうんざりしていたことを

思い出す。

 

この人の前では咳払い1つできないなあ、と。

 

それから

 

「ワクチン打ったの?」

「いや、集団接種あったけど断ったよ。」

「断るとかできるの」

「いつから咳出てるの?ママ、

ねえりんごちゃん。」

 

私に聞くとうざがられると分かっているのか

娘に聞く母。

 

私が

「3日くらいかなあ〜」と言ったら

娘が

「12月3日」と間違えて言って

母は

「ええ〜?3日ってもう1週間になるやん!」

「いや3日からやったら2週間やけどな。

ていうかそんなに前じゃないから。」

「え〜」

ものすごく不機嫌な声色。

不安とか心配を通り越して不機嫌な。

 

私は思わず

「うるせー」と呟いた。

 

今まで特に興味もなかったから

話題にしなかったけど

ついでに母にもワクチン打ったか

聞いてみたら

当たり前だという感じで

 

「打ったよ。周りもみんな打ってるわ。」

と言った。

 

3度目も打つのか聞いたら

来年だろうけどね、まあ。

と。

 

私は、去年実家を出る時に

「両親双方が元気な間にこの家に

来ることはもうない。」

そう密かに決意して出た。

 

そしたら、私の決意がまるで地球の決意かの

ように、地球全体が「実家に戻れない」

「国境を越えられない」状態になり

もはや2年だ。

 

そしてこの状態は2025年まで続く

という見方もある。

 

私の甘えと、母の依存を断ち切るのに

これほどの非常事態が必要だったのか。

 

絶縁の手紙を送らずとも

海外在住の子どもが日本に戻れないこと

離れて暮らす子どもが故郷に戻れないことは

人類共通の状態となった。

 

すっごいな。我ながらこの

地球とのシンクロレベルが。(笑)

 

それは母にとっても都合の良いことで

娘が戻れるのに戻ってこないというのと、

こんなご時世だから戻れないわね、と

いうのでは、ご近所や親戚への説明や

自分自身への説明に好都合だろう。

 

かわいそうなのは純粋無垢な子どもだ。

 

最近時々

「あ〜あ、またじいじばあばのお家

行きたいな〜。一緒にシャボン玉したい。

あの公園が一番楽しかった。」などと言う。

 

娘にとっては祖父母の家は

居心地が良くリラックスできて

甘えられる存在が複数いて幸せだったと思う。

 

海外でまだ言葉も十分ではない状況で

母一人子一人。

お友達もできたとはいえ、孤独は免れない。

 

もしもこの地にも他に家族がいて

可愛い犬も飼っていたりしたら

娘も

「じいじばあばのお家の方が楽しい」

などとは言わないだろう。

 

私はそれこそ清水の舞台から

飛び降りた。

(この言葉はこう言う時に使うんだ)

 

それほどの決断と行動を

2018年から2020年の間毎年した。

 

2018年3月離婚。

2019年9月海外移住。

2020年10月ロックダウン解除とともに

2度と戻らない覚悟で実家から再び海外へ。

 

私が苦しみもがき、血と涙を人生一流して

選択したシングルマザーとしての人生。

娘と二人生き延びるために見出した

生きる道。

 

それまで持っていたものの9割を

捨てて、ほぼ裸一貫くらいの勢いで

リセットした。

 

楽な道より楽しい道を。

 

19歳の時に人気だった歌手の歌詞から

心に響いて以降その基準で人生の道を

選択してきた。

 

実家に留まって両親に子どもを

見てもらえれば確かに楽かもしれない。

日本にいれば、楽かもしれない。

 

だけど私は少しも楽しくない。

幸せじゃない。

希望がない。

 

だから飛んだ。

 

自由を求めて。

楽しみを求めて。

希望を求めて。

 

不安な時もあるし

孤独を感じる時もある。

厳しさを感じる時も。

 

それでも私には

今の生き方の方が楽で楽しい。

 

日本の田舎で母の支配の下で

新たな恋の可能性もなく

地味な仕事をしてただ介護を待つ

だけの人生なんて、私には到底似合わない。

 

娘にはいろいろ厳しい経験をさせていると思う。

 

2言語での生活。

外国人はただ一人という幼稚園生活。

空港での検査。

この地の厳しい冬の気候。

食べるのが難しい大好きな日本料理。

 

日本にいれば経験することの

なかった多くの怖いこと、寂しいこと、

厳しいことをさせている。

 

母子家庭+外国人

2つの”特別”を背負って生きる人生。

 

これが娘が3歳で背負ったもの。

 

どうしたって8割の方には入れない。

どう誤魔化しても羊のふりはできない。

 

私たちは2割の特殊な環境の人。

ライオン親子。

 

娘にこの人生を背負わせた以上

私には幸せになる義務がある。

 

ママの選択は正解だったね!と

二人で笑い合えるように

この道で、幸せに、楽しく生きる。

 

引目を感じる方の2割ではなく

羨望され、尊敬される方の2割。

 

私は娘にそんな人生をプレゼントする。

 

自分の人生を、誇れるようなものに。

 

もうすぐだから、待っててね!