子の心親知らず

実の母親に家庭を壊された毒親育ちのシングルマザーが親子のあり方を考察するブログ。

愛する人をなくして思い出すこと

tver.jp

 

『妻、小学生になる。』

 

愛する人を亡くした人は

見ずにいられないテーマのドラマ。

 

夫を亡くしてから

ドラマや他人の物語への感情移入がさらに

強烈になった。

 

歳を重ねて、経験を積んで

共感、理解できる物語が増えて

涙なしには見られないものが多くなった。

 

そして、気付いたり考えさせられたり。

 

このドラマの遺された家族は

10年も死んだように生きていたとなっているけど

実際は、子育てがある限り死んだようには

生きられない。

 

夫や妻を亡くしたその日さえも

悲しみに浸って死んだような目をして

ボーッとしていることなんかできない。

 

子供が小さければ小さいほど。

 

ドラマの娘さんは10歳で母親を失い

誕生日のお祝いも10歳で止まっていた。

 

私の娘が、パパに誕生日をお祝いしてもらったのは

0歳だけ。ハーフバースディーがパパと3人で

お祝いした最初で最後の娘の誕生日。

 

早すぎるね、さすがに。

 

彼は娘が3歳の誕生日までは

この世界に生きていたけれど

1歳も2歳も3歳の誕生日にも

私は実家にいて

そこに夫はいなかった。

 

1歳と2歳の誕生日。

夫はサイズの合わない洋服の贈り物を

送ってくれたけど

私が一緒にお祝いした人は

子どものパパではなく

じいじばあばだった。

 

あの頃

私は離婚したいとは思っていなかった。

 

ただ、夫の精神状態はもう普通ではなくて

一緒にいると子どもの安全を守れなかったから

安心して寝ることもできず、

命の危険を感じてさえいたから

別居するしかなかった。

 

まあ、過去の話はもういいや。

 

ドラマの中で

小学生になった妻が本当に妻の魂なのか

確認するために

 

夫婦しか知らない思い出を語り合う

場面がある。

 

もらったプレゼントや

プロポーズの場所

その時の反応

 

愛する人との思い出って

一緒に行った場所の美しい景色や

美味しい食べ物より

 

その時の相手の表情や思い

言った言葉や姿勢なんかの方を

覚えているものだよね。

 

私は夫と世界中旅行して

絶景をたくさん見たし

美味しいものもたくさん食べた。

 

それらももちろん覚えてはいるのだけど

それ以上に私が時々思い出すのは

 

家で、夫が恐る恐るペットボトルの水を

小さなペットボトルに移し替えていた

背中を曲げた姿。

 

今、娘が同じことを緊張しながら

やっていて、そして思い出してしまう。

 

その時の夫の後ろ姿を

可愛いな、と思って見ていたから。

 

今、同じことをやっている小さな娘の

姿を、可愛いな、と思って見ている。

 

バリ島で私の誕生日をお祝いしてくれた時の

夫の穏やかな優しい顔。

 

素敵なレストランで

美味しい料理に可愛いケーキ

ジュエリーのプレゼントも

嬉しかったのだけど

夫がとても満足そうな優しい顔をしていたこと

の方を、よく覚えている。

 

なぜなら、彼は精神病のせいで

外にいる時いつも穏やかだったわけではないから。

 

一緒に過ごせた平和な優しい時間は

私たちの愛の賜物だから、

それが、幸せだなあ、と思って印象に残ってる。

 

裸でボディビルポーズをする夫の

写真を撮って笑っていた時間

 

一緒にテレビを見て爆笑すると声なしで

笑う彼の顔を見て私が爆笑していた

時間

 

旅の景色より

一流の食事より

思い出すのはそんな日常の何気ない瞬間ばかり。

 

夫婦って、そんな風に一瞬一瞬の

愛しい時間をたくさん積み重ねて

つながっている。

 

彼も、私に褒められるより

叱られることに喜んでいたなあ。

 

男って、愛する女に叱られたい

生き物らしい。

 

叱られることで愛を感じて

やる気になるらしい。

 

だけど彼は私のことをよく褒めてくれた。

 

お尻の形が絶品だとか

踊りが上手だとか

目がキラキラしているとか

 

彼にとってのツボの部分を

毎日毎日褒めてくれた。

 

そんな風に、出会ってから

7年ほどでも

私たちしか知らない掛け替えのない

思い出がある。

 

愛と努力の積み重ねがある。

 

それを、母は

積木みたいに、砂の城のように

簡単に、壊してしまった。

 

そして、彼は人生さえも

終えてしまった。

 

妻をなくして死んだように

生きているわけではなくて

本当に、死んでしまった。

 

そして私は

1日も死んだように生きることも許されず

日々、必死に一人で子育てをしている。